優勝争いが佳境に入りポストシーズンに向かう秋は、引退や戦力外の話題が飛び交う季節でもある。厳しい競争社会を40代まで生き抜き、今季限りでの引退を表明した4人の超一流プレーヤーにまつわるとっておきの"秘"エピソードを糸井嘉男(いとい・よしお)編、福留孝介(ふくどめ・こうすけ)編に続き、今回は能見篤史(のうみ・あつし)編をお届けします!(全4回/第3回目)
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■「1年だけでいい」と伝えていた能見
昨季、移籍したオリックスでの初登板は西武との開幕戦。能見篤史はエース山本由伸の後を受け、8回のマウンドに上がった。2死から8番・木村文紀をストレートで見逃し三振に仕留め、無失点で切り抜ける。
能見はその瞬間、小さく、だが力を込めて左手を掲げ、拳(こぶし)を握った。
あっ、ガッツポーズした。
阪神時代の能見を知る者たちは目を疑った。阪神では抑えても打たれても、決して表情に出さないクールな投手だった。それがまさか、ガッツポーズ?
そんな声は本人の耳にも届いた。能見は苦笑した。
「確かに阪神ではガッツポーズなんてやったことない。感情を表に出すこともはばかられるような雰囲気でしたから」
打たれて白い歯でも見せようものなら、ファンからはヤジられ、記事でも叩かれる。先輩選手から「笑わんほうがええ」とはっきり言われたこともあった。
それもまた人気球団の常――というのは当時の話で、今の若い選手たちの気質とはだいぶ違うが、とにかく能見は16年間、そんな覚悟で阪神で生きてきた。マウンドに立ったときは「もうひとりの自分が投げているような感覚」になった。
それがオリックスに来てからというもの、ガッツポーズも笑顔も増えた。話し出せば饒舌(じょうぜつ)にもなる。
実は、内心では昨季1年限りで辞めるつもりだった。
20年オフに阪神から戦力外を通告されたときは「まだ1年やりたい」と思い、今のボールならまだ通用するという手応えもあった。
だから誘ってもらったオリックスには「現役は1年だけでけっこうです」と伝えていた。なまじ長くやって若い選手の機会を奪うことになったら申し訳ない、とも思った。
ただそんな思いとは裏腹に、登板はことのほか厳しい場面が多かった。抑えの平野佳寿が故障離脱したシーズン序盤は9回に投げることもあり、26試合で2セーブ5ホールド。
日本シリーズではワンポイントでヤクルトの村上宗隆を見事に打ち取った。まだやれるという手応えは間違っていなかった。オフには中嶋 聡監督から「もう1年やれ」と慰留された。
「投手としては十分にやり尽くした。若い投手への助言役として、もう少しお手伝いできたら」
若い選手たちのわずかな成長がうれしい。自身が投げることよりその気持ちが勝っていることに気づき、能見は思い残すことなく現役を退くことができると思った。もし阪神だけしか知らず、戦力外通告を受けて引退していたら、どうだっただろうか。
「必死さだけで終わらず、野球を楽しむことができた。いい18年間だった」
●能見篤史(のうみ・あつし)
1979年生まれ、兵庫県出身。大阪ガスから2004年ドラフト自由獲得枠で阪神入団。1年目から1軍に定着し、09年から先発ローテの中核として活躍。18年からはリリーフに転向した。20年オフに戦力外通告を受けオリックスへ。今季はコーチ兼任でプレー