瞬く間に世界に広まったオミクロン株。G2P-Japanはその特性をいち早く解明し、2021年12月25日、論文をラボアカウントのGoogleドライブにアップロードした。そのときのツイートはインプレッション数が300万を超えた
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第17話
ひょんなことからオミクロン株の研究プロジェクトをふたつのグループに分けることに。それぞれから送られてくるデータを論文にまとめるため「カンヅメ」の日々が始まった。
前編はこちらから
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■イギリスからの打診
翌11月26日。G2P-Japanの面々と、「オミクロン」と命名されたばかりの変異株に関するプロジェクトの進め方の詳細を詰めていた。すると、ケンブリッジ大学(イギリス)のラヴィンドラ・グプタ(Ravindra Gupta)教授(ラヴィ)から、あるメールが届く。
――「オミクロン株の研究、一緒にやらない?」
この連載コラムでも紹介したことがあるように、ラヴィとはそれまでに、デルタ株や他の変異株についても共同研究をした経験と実績があった(第15話参照)。そのためこれは、通常ならば「渡りに船」な、ありがたいオファーのはずだった。
しかし「前編」で述べたように、われわれG2P-Japanは、前日(11月25日)の時点ですでに、誰が何を担当するかに至るまで、綿密な研究体制をすでに組んでしまっていた。とはいえ、せっかくのラヴィからの打診も無碍(むげ)にするわけにはいかない。再度慌てて緊急会合を開き、この件について改めて検討することした。
そして出した結論は、「G2P-Japanのプロジェクトをふたつに分け、それらを同時に進行する」というものだった。つまり、前日に計画したプロジェクトのうち、オミクロン株の「病原性」に着目したプロジェクトを北大のチームが中心となって進め、オミクロン株の「免疫逃避力」に着目したプロジェクトをラヴィとの共同研究で進める、というものである。
しかし、「言うは易し、行うは難し」である。これはつまり、ふたつ分のプロジェクトのデータが出てくることを意味していた。しかもオミクロン株は、南アフリカ政府の警告どおり、瞬く間に世界に拡散。ニュースは連日その流行拡大の状況を伝え、未知の変異株に対する一般社会の恐怖と緊張感が日に日に高まっていることを痛感する。
「オミクロン株とはいったい何者なのか?――」。このとき、一般社会が回答を求めるこの疑問に対して、正しい回答を提供する術をもつ者は、われわれウイルス学者だけであった。
■「いちばんのスクランブル」の裏側
一般社会からの期待に応えたいという高揚感と、1日でも早く研究成果を公表しなければならないという責任感が入り混じった、アドレナリンが出続けた時間だった。幸いにして、国立感染症研究所(感染研)が迅速にウイルス分離に成功し、それを分与してくれることになった。
12月6日、G2P-Japanの打ち合わせのために札幌に出張していた私は、感染研から「オミクロン株のウイルスは、7日に発送、8日に受け取りで提供できますが、それでいいですか?」と問うメールを受信した。札幌出張は8日まで予定していたが、この連絡受けて急遽旅程を繰り上げ、7日の午前の便で帰京する。車で感染研に向かい、手渡しでウイルスを受け取り、そのままそれをラボに運んだ。郵送の行程で1日ロスしてしまうことも避けたかった。
12月20日を過ぎたあたりから、データもほぼ出揃ってきて、あとはそれらを論文にまとめあげるフェーズに入った。「朝起きて、電車で通勤し、仕事をし、夜にまた電車で帰宅して寝る」という平時の生活サイクルではとてもさばき切れないことを悟った私は、ラボからほど近い目黒にあるビジネスホテルでカンヅメを開始。
日中は全国のG2P-Japanメンバーから送られてくるデータをまとめ、確認し、作図し、そしてそれらを論文にまとめていった。夜も23時を過ぎた頃には、今度はラヴィから連絡が入り、イギリスとの共同研究の詰めに向けた議論が進む。ひとしきりやりとりが続き、終わるのが朝の3、4時。そして翌朝の8、9時には起床し、G2P-Japanメンバーから送られてくるデータをまとめ、論文を書く、ということを毎日繰り返した。
チェーンスモーキングしながら、コーヒーかエナジードリンクでカフェインを摂り続けながら、そしてBPMが高いロックミュージックをがんがんに流し続けながら、この作業を5日間続けた。そして、クリスマスの深夜、論文のプレプリントを公開した。
通常、プレプリント(査読前論文)は、『bioRxiv』や『medRxiv』と呼ばれるプレプリント専用サーバーに投稿され、公開される。しかしそれまでの経験から、これらのプレプリント専用サーバーは、学術雑誌のような査読・審査こそなくとも、「スクリーニング」というフォーマットの確認作業が入るために、投稿から公表まで1、2日を要することがあることを知っていた。
そのタイムロスも避けたかった私は、作成した論文を、ラボアカウントのGoogleドライブにアップロードした。そしてそれを誰でも閲覧できるようにした上で、それをツイッター(現X)で拡散した。こうすることによって、私たちの研究成果を、査読やスクリーニングを待つことなく、即時に一般社会に公表することができた。
大仕事をやり遂げた私は、その後どのようにして年末年始を過ごしたのかをほとんど覚えていない。クリスマスの翌日に5日ぶりに帰宅し、あとはひたすら寝ていたような気がする。昼前に起きて、ブランチを食べ、昼寝をし、夕食をとり、晩酌して寝る。初詣にも行っていなかったように思う。
激動の中でまとめ上げたふたつの論文、オミクロン株の「病原性」に着目した論文(G2P-Japanが主導)と、オミクロン株の「免疫逃避力」に着目した論文(ラヴィとの共同研究で遂行)は、どちらも2022年2月1日に学術誌『ネイチャー』のオンライン版で公開され、3月24日号に同時掲載された。(後編に続く)
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