ネッカー川にかかる橋からの風景。テュービンゲンの名所のひとつ(のはず)
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第20話
筆者の研究スタイルを語る上で欠かせないキーワードのひとつ「旅」。それは「研究者」という職業の醍醐味のひとつでもある。
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■テュービンゲンでのひととき
テュービンゲンは、とてもこじんまりとした、歩いてぐるっと回れるくらいの小さな町だった。滞在するホテルから歩いてすぐのところにネッカー川が流れていて、淡色ながらカラフルな建物が並ぶ。河畔の絶壁に、大学生とも観光客ともおぼしき人たちが腰かけて談笑している。
カフェとバーの間くらいの店で、ドイツビールを飲みながらダニエルを待った。数ヵ月ぶりの再会に話は弾んだ。ドイツ料理屋でシュニッツェル(薄い豚肉や鶏肉を使ったドイツのカツレツみたいなもの。このときはいわゆる薄いトンカツ)と、シュペッツレというパスタのできそこないみたいなものを食べた。ダニエルとの会話に花は咲いたが、このドイツ料理で舌の太鼓が音を立てることはなかった。
シュニッツェル。薄肉のカツレツのようなドイツ料理
■「旅をする」ということについて
「旅をする」ことについては、この連載コラムでも語ったことがあるが、改めて。その動機や指向などについては第6話や第14話でたっぷり語ったのでここではあえて詳しくは述べないが、要は「旅」というのは、私の今の研究スタイルを語る上で欠かせないキーワードのひとつであると思っているし、まさに「研究者」という職業を語る上での醍醐味のひとつでもあると思う。
「旅をする」という行為自体は昔から好きなのだが、史跡や博物館を訪れて造詣を深めるほどの知識も私的興味もないことに、あるときに気づいた。それから私は、訪れた街で、できるだけ日常の生活のような時間を過ごしてみたいと思うようになっている。
こういう指向は年齢に依存するところもあると思うが、40を超えた現在の私は、訪れた街で、特別ななにかをする訳でもない。朝起きて、ホテルで朝食をとり、エスプレッソを飲み、ホテルの部屋かどこかのカフェかなにかで、MacBook Airを開いて仕事をする。
そういう、東京の普段の生活から比べるとちょっと「非日常」なにおいがする日常生活をすることを好むことに、ここ10年くらいの海外出張の経験で気づいた。
このテュービンゲンの滞在も例に漏れず、用務としてのテュービンゲン大学での講演を終えた後は、ネッカー川沿いをひとり散策したり、見たこともない道端の花の写真を撮ったり、コインランドリーで洗濯をしたり、空いているカフェとバーの中間のような店でドイツビールを飲みながら書類仕事をこなしたりして過ごした。
ドイツにはこれまで何度も訪れていたが、今回の滞在で初めて、自分がいわゆる「ヴァイツェン」という小麦のビールを好むことに気がついた。基本的にいろいろなことに頓着がなく、また記憶力も良くないので、蘊蓄がましく披露する含蓄もないのだが、今回の滞在ではとにかくヴァイツェンを好んで飲んだ。ただ忘れているだけかもしれないが、こういう些細な「気づき」が楽しかったりする。
テュービンゲンで飲んだいろいろなドイツビール。特にヴァイツェンはとてもおいしかった
最後の夜にはダニエルと一緒に散策し、ギリシャ料理屋で夕食を共にした。ダニエルは蛸足のソテーみたいなものを食べ、私はものすごいボリュームのムサカを食べた。ドイツ料理の単調な味に辟易した私にとって、ギリシャ料理の味変は新鮮であったが、サラダやフムス、ムール貝のグリル、そしてヴァイツェンを嗜んだあとの私にとって、そのギリシャ料理のボリュームは過多にすぎた。
ダニエルと蛸足のソテー
食べきれなかったムサカをドギーバッグに入れてもらい、夜のネッカー川河畔を眺めながら、ホテルに戻る。翌朝、その残りのムサカを食べ、エスプレッソを飲んだ私は、荷物をスーツケースにまとめて、電車で一路、ウルムへと向かった。
※(3)に続く
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