アメリカ・ニューヨークのグループから発表された研究で、膠着していたプロジェクトが動き出す
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第37話
仮説とはまったく逆の結果が出たことで、頓挫していた京都疎開プロジェクト。しかし、ひょんなところから事態は急展開を見せる。
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■急展開する事態
ここで改めて、プロジェクトの状況を整理しておく。
京都疎開の前に私が立てたプロジェクトの「仮説」は、以下のようなものであった。
SARSウイルスのORF3bは、インターフェロン(ウイルスの増殖を抑える物質)の産生を強く抑えることができる(これはすでに、論文で報告されている)。そのため、感染した人は、インターフェロンでSARSウイルスの増殖をうまく抑えることができず、重症化してSARSを発症する。
それに対し、新型コロナウイルスのORF3bは、「終止コドン」という変異が入ることで、とても短い遺伝子・タンパク質になってしまっている。そのため、インターフェロンの産生を抑えることができない。そうなると、感染した人の体内での新型コロナウイルスの増殖は、インターフェロンによって抑え込まれてしまう。
つまり、「SARSウイルスのORF3bは、インターフェロンの産生を強く抑えることができるが、新型コロナウイルスのORF3bはそれができない」。これが、私が立てたプロジェクトの「仮説」であり、「だから、COVID-19の病態が、SARSのそれに比べてマイルドである」ということが、私のプロジェクトで導きたい「結論」であった(第35話のポンチ絵も参照)。
しかし、実際に実験で得られた結果は、「仮説」の真逆。つまり、新型コロナウイルスのORF3bの方が、SARSウイルスのORF3bよりもより強くインターフェロンの産生を抑えてしまったのである(第36話のポンチ絵も参照)。これでは、「COVID-19の病態がSARSよりも軽い」という「大前提」の説明になる「結論」にはならない――。
そういう理由で膠着していたこの京都疎開プロジェクトであったが、ひょんなところから事態は急展開を見せる。
■新型コロナウイルスにあって、SARSウイルスにないもの
4月半ばのある日、研究所最寄りのコンビニ前の喫煙所でタバコを吸いながら、いつものようにツイッター(現X)をザッピングしていた(第31話でも少し紹介しているように、パンデミック初期、新型コロナ研究に関する情報をもっとも簡便かつ詳細に得る手段がツイッターだった)。すると、ある研究成果を紹介するひとつのツイートが目に留まった。
それは、「COVID-19の患者では、インフルエンザの患者などに比べて、インターフェロンの産生レベルが『低い』」、というものであった。
私はそれまで、「SARSよりCOVID-19の方が重症化しづらいのは、新型コロナウイルスがインターフェロンの産生をうまく抑えられないから」、つまり、「COVID-19のインターフェロンの産生レベルが、SARSよりも『高い』から」だと決めつけていた。
しかし、アメリカ・ニューヨークのグループから発表されたこの研究では、そうではなくて、COVID-19ではそもそも、インターフェロンがあまり作られないのだという。
少し解説を加えると、人がウイルスに感染すると、「インターフェロン応答」に加えて、「炎症応答」が起きる。インターフェロンの効果はこれまでに解説した通り、ウイルスの増殖を抑えるためのものである。それに対し、「炎症応答」は、ウイルスの増殖を抑えるための免疫反応である反面、発熱や倦怠感、さらには病態を悪化させてしまうような作用を引き起こしてしまうこともある。
つまり、人が新型コロナに感染した場合には、「インターフェロン応答」はあまり起こらないにもかかわらず、「炎症応答」ばかりが進んでしまう。その「バランスの悪さ」が、COVID-19の病態につながっている、というわけである。
さらに、ニューヨークのグループによる実験では、SARSウイルスやインフルエンザウイルスに感染した細胞ではインターフェロンがある程度作られるのに対し、新型コロナウイルスに感染した細胞では、なんと、インターフェロンがあまり作られないことを示していた。
そうなると、そもそもにして、当初私が想定していた「仮説」そのものが誤っていたことになる。つまり、新型コロナウイルスは、インターフェロンの産生を、SARSウイルスよりもより強く抑えることができるのである。ニューヨークからの報告によって、これがあるべき「正しい」仮説ということになる。
ニューヨークのグループの結果をふまえた「正しい」仮説と「大前提」
つまり、それを私たちのプロジェクトの「仮説」に落とし込むと、それは、「新型コロナウイルスのORF3bは、SARSウイルスのORF3bよりもインターフェロン産生を強く抑えられるのではないか?」となる...!
ニューヨークのグループの結果をふまえた「結果」と「大前提」
そして、この「仮説」であれば、それとマッチする「結果」はすでに出ていることになる(第36話)。
ひとつの「矛盾」、あるいは「ねじれ」が解消されたことで、オセロ盤の角に石を置いて対角線上の石がパタパタと裏返っていくように、ひとつのストーリーが紡がれていく。興奮に粟立った私は、ひとつ深呼吸をして、改めて状況を整理した。よし、私の解釈に論理的な誤りはない。
そして、タバコをひと口吸った後、それをすぐに灰皿に投げ入れ、ラボへ走り、学生たちを集めた。一連の事情を説明し、必要なデータの整理と収集を指示した。当初想定したものとはまるで逆の「結果」でも、これなら、「仮説」「結果」「大前提」のすべての筋が通り、このプロジェクトを完遂できる...!
面白い偶然は重なるもので、その研究成果を報告したコレスポンディングオーサー(責任著者)は、数年前の日本ウイルス学会で会ったことのある研究者だった。さらに、その論文の筆頭著者(研究を主導した人)は、アメリカ・ニューヨークで毎年開催される、エイズウイルスの研究集会で何度も会ったことのある、知り合いのメキシコ人の研究員だったのである。興奮冷めやらぬ私は、彼らにすぐにお礼のメールを送り、簡単に状況を説明した。
彼らはすぐに祝福の返信メールを送ってくれた。そして、彼らの論文はその後まもなく、トップジャーナルである『セル』に掲載された。
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