いまとなっては遠い昔のことのように感じる、「あの頃」の風景のひとつ。東京に戻る新幹線「のぞみ」の車内。1両貸切
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第38話
当初の「仮説」とは逆の結果だが、プロジェクトを論文としてまとめる道筋をつけることができた筆者。そこで得られた研究結果は、2020年末に出現した「アルファ株」に始まる変異株の解明、そして、G2P-Japanの立ち上げにつながっていく。
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■地球の裏側からの情報
このような経緯によって、実験結果を論理的に説明し、このプロジェクトを論文としてまとめるための算段は立った。これでひとまず安堵はしたものの、サイエンスの文脈から欲をいえば、できることならもうひと捻りほしい。
たとえば、「ORF3b遺伝子に変異が入って、インターフェロンを抑える能力がさらに高まる」というような例があれば、私たちの科学的発見の重要性がより高まる。
論文としてこのプロジェクトまとめるメドが立った後、私は、イギリス・グラスゴー大学の友人であるロバート・ギフォード(Robert Gifford)が開発した、「COV-GLUE」というウェブシステムを毎日活用するようになっていた。
これは、「GISAID」という公共データベースに世界中から毎日報告・登録される新型コロナウイルスのゲノム情報の中に、興味のある遺伝子変異があるかどうかを自動で調べることができるシステムである。
「GISAID」には、2020年4月の時点ですでに数万のウイルスゲノム情報が登録されていた。ちなみにその数は日々増加の一途を辿り、これを書いている2024年現在、その配列数はなんと1600万を超える。興味のある変異があったとしても、それをマニュアル(目視)で探すのは不可能な数である。
――忘れもしない、私の38歳の誕生日。ある変異を持ったウイルスゲノムが、「GISAID」に登録された。それは地球の裏側、南米のエクアドルからの報告で、新型コロナのORF3bの「終止コドン」に、「復帰変異」が入っているウイルスが見つかったのである。
この連載コラムの第35話でも解説しているように、「終止コドン」とは、そこでタンパク質を作ることを終わりにするための「しるし」である。それに対して「復帰変異」とは、「終止コドン」が「終止コドン」ではなくなる変異、つまり、終わりにするための「しるし」がなくなる変異である。これによって、そこで終了するはずのタンパク質合成が延長し、より長いタンパク質が作られるようになる。
つまり、このエクアドルで見つかったウイルスは、「復帰変異」によって、新型コロナウイルスのORF3bタンパク質が少し長くなる、という変化がもたらされていたのである。
■「Genotype(遺伝型)」が「Phenotype(表現型)」に影響を与える瞬間
実はわれわれは、想定できるあらゆる事態を想定して、いろいろな実験を並行して進めていた。その中で、「もし新型コロナのORF3bが『復帰変異』したら、どのような『表現型(=性質)』を示すのか?」という予備データは、実はすでに得ていた。
新型コロナのORF3bが「復帰変異」すると、インターフェロンの産生を抑える力がより高まるのである。「仮説」のロジックにしたがえば、もしかしたら、この「ORF3bが『復帰変異』したウイルス」に感染した人は、より重篤な症状を示したのではないか――?
エクアドルで見つかったORF3bについての新しい仮説
これを確認するべく私は、「GISAID」に登録されている情報に改めて目を向けた。そこには、このウイルスゲノムの配列のみならず、それを登録した人の情報も登録されている。そのウイルスの情報は、エクアドルのサンフランシスコ・デ・キト大学というところに在籍する、パウル・カルデナス(Paul Cardenas)という医師が登録していた。
もちろん面識はない。しかし、メールで事の顛末をかいつまんで説明し、このウイルスに感染した患者の情報を訊いてみた。すると、彼はすぐに回答をくれた。
――その回答は、まさに私の「仮説」と合致するものだった。感染したのは、39歳と40歳の兄弟。基礎疾患はなかったが、ふたりともきわめて重症のCOVID-19を発症し、うちひとりは死亡――。
すべての実験データとパウルからの情報をすべてまとめ、5月11日、論文をプレプリント(査読前論文)として公開。京都疎開を決めてからおよそ40日後、実際に京都に来てからおよそひと月後のことであった。論文はSNSで拡散され、おおむね好意的な反応を受けた。そしてこの論文は、最終的に8月20日、『セル・レポーツ』という学術誌にアクセプト(採択)された。
■「第2波」「第3波」という終わらない波、そして「変異株」の出現
5月上旬、ひと仕事を終えた私たちは京都疎開を引き上げ、東京に戻る。乗車する京都駅、「のぞみ」の車内、そして下車した新横浜駅。ほとんど人がいない。
上段左:京都駅、上段右:新幹線の車内、下段:新横浜駅
5月の半ば、流行状況も下火になりつつある中、東京・白金台にある、東京大学医科学研究所の私のラボも再始動する。まだ感染リスクがゼロになったわけではなかったので、在宅ワークを続けるか、ラボに出てくるかは、ラボメンバー各自の判断とする。久しぶりの東京での生活と、電車通勤。
次の新型コロナのプロジェクトとして、新型コロナウイルスの別のタンパク質である「ORF6」の機能にも着目し、それを調べ、その成果も『セル・レポーツ』に報告した。
ORF3bの論文も、それに続くORF6の論文も、どちらにも共通している項目がふたつある。
ひとつは、どちらも「インターフェロン」を抑えるというウイルスタンパク質の機能に着目したという点。そしてもうひとつが、「もしそのウイルス遺伝子に『変異』が入ったらどうなるか?」という可能性に言及した点である。
これは、新型コロナウイルスの変異、つまり、「ウイルスの『Genotype(遺伝型)』が、ウイルスの『Phenotype(表現型)』にどのような影響を与えるのか?」ということに着目した研究と言い換えることができ、私はそのような研究を、新型コロナパンデミックの最初期から着手していた、ということになる。
あとはもう言わずもがな、であろう。その後、2020年末、イギリスで、17もの変異を一気に獲得したウイルスが見つかる。そのウイルスはものすごい勢いで流行を拡大した。そのウイルスには後に、「アルファ株」という名前がついた。「変異株」の出現である。
そして私は、このORF3bとORF6のふたつの研究成果を足がかりに、2020年の末、AMED(日本医療研究開発機構)が公募した新型コロナに関する大型予算に申請し、採択される。研究課題の目的は、これからも出現が続くであろう、新型コロナ変異株(Genotype)の特性(Phenotype)を迅速に解明すること。
この課題が採択された後、私は、その研究を進めるために仲間を集め、その研究グループに、「The Genotype to Phenotype Japan (G2P-Japan)」という名前をつけた(第6話)。
――そう、この京都疎開は、言うなれば私の新型コロナ研究のエピソード・ゼロであり、「G2P-Japan」の発足につながる私の新型コロナ研究は、すべてここから始まったのである。
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