コールドスプリングハーバー名物とも言えるロブスター コールドスプリングハーバー名物とも言えるロブスター

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第53話

過密スケジュールのストイックな研究集会で培われた、「世界でたたかう」というマインド。そしてついに、筆者のロン毛の秘密が明かされる!

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■ロブスターとバンケット

さて、エイズウイルス研究の最先端の研究者が集まるコールドスプリングハーバー研究所での研究集会は、金曜の夜にハイライトを迎える。「バンケット」と呼ばれる晩餐会が開かれるのである。そこでは、ロブスターを1匹まるまるボイルしたものがふるまわれる。

デフォルトでは、溶かしバターが添えられてサーブされる。もちろんあちらの方々はそれで喜んで食べているのだが、塩味を求めがちな日本人の口にはあまり合わなかったりする(ちなみに私は、バターがあまり好きではない)。

何度か参加しているといろいろなコツがわかってくるもので、ある年にある日本人の先輩が教えてくれたのが、「ソイソース(醤油)を頼んだら出てくる」というものである。これを知ってから、私は必ず醤油を追加でオーダーするようにしていた。

参加する年によっては(あるいは、担当のホールスタッフによっては)「そんなものはない」とあしらわれたりするのだが、その経験値はこちらが一枚上手である。「そんなはずはない、去年はあったのだから絶対あるはずである」と粘り強く交渉すると、最後にはちゃんと出てくるのである。

食事が終わると、今度はDJが出てくる。ポスター会場のポスターが撤去され、そこがダンスフロアに様変わりする。あちらの方々は、偉い人でも高齢でもダンスが好きな人が多く、アルコールも入って楽しくなった「レピュテーション(52話)」を集める人たちが、ノリノリで踊り狂うのである。そんなどんちゃん騒ぎが、日付が変わる深夜まで続く。

(左)ある年のダンスパーティーの様子。老若男女が踊り狂う。実はこの写真、52話のポスターセッションの写真と同じ部屋、ほぼ同じ構図の写真だったりする(右)バーで手に入れた瓶の「BECK'S」というビールを片手に練り歩くのが好きだった (左)ある年のダンスパーティーの様子。老若男女が踊り狂う。実はこの写真、52話のポスターセッションの写真と同じ部屋、ほぼ同じ構図の写真だったりする(右)バーで手に入れた瓶の「BECK'S」というビールを片手に練り歩くのが好きだった

■研究の醍醐味

52話では、こんなストイックな研究集会にたくさんの研究者がこぞって集まる理由をいくつか説明した。ラグジュアリーなホテルもない、食事も決しておいしくない、スケジュールは過密。そんな集会になぜ集まるのか?

そのいちばんの理由は、バンケットを終えた翌日、土曜日に集約されていると思う。月曜からぶっ通しで続いた集会もこれが最終日。宴も終わり、あとは最後のセッションが終わればおしまい、である。学会場で6日間毎日顔を突き合わせていた面々には、不思議な連帯感と達成感が生まれていて、会が閉じるのがとても切ない、センチメンタルな空気に包まれる。

そう、最後には、「すごく充実した1週間だった、来年もまた来よう」という気持ちで会が終わるのである。私はこの感覚が忘れられず、やみつきになり、2008年に初めて参加して以降、毎年参加するようになった。

初めての参加は2008年。H1N1インフルエンザ(新型インフルエンザ)パンデミックによって、京都大学から海外渡航制限が通達された2009年こそ不参加だったが、2010年には再び参加し、2019年までの10年間、毎年欠かさず参加した。その甲斐あって、私はこの研究集会に参加する面々とは広く顔見知りになることができた。つまり私にとって、このコールドスプリングハーバーの研究集会は、同窓会さながらな集会の位置づけになっていった。

新型コロナパンデミックによって、2020年と21年はオンライン開催を余儀なくされたという。22年から現地開催が復活したと聞くが、エイズウイルスの研究から遠ざかってしまった現在、また、研究コンソーシアムG2P-Japanの活動で忙しいことも相まって、2019年の参加を最後に、まだ足を運べていない。またあの空気感を味わうために、そしてまたみんなでビールを飲み交わすために、次回こそは参加したいと思っている。

■コールドスプリングハーバーで得られたこと

それといくつか、この研究集会に毎年参加することによって得られたことがある。

まずはなにより、欧米の研究レベルとの差を痛いほど体感できたことにある。口頭発表は毎年だいたい100題はあったと思うが、日本から口頭発表に選ばれるのはたった数題であった。それぐらい、世界、つまり、欧米のトップレベルと日本の研究レベルに差があった、ということである。

――どうすればこの差を埋められるのか? 毎年この会に体当たりで参加し、その差を痛感するたびに、それを自問自答していた。あるいは、歳の近い友人たちと、それについて熱い議論をしたりしていた。

実はこの連載コラムの5話で使われている、私がポスターを眺めている写真と、芝生の上に4人並んでいる写真は、どちらもこの研究集会で撮られたものである。特に、G2P-Japanのコアメンバーでもある熊本大学のIとは、博士研究員の頃からこの研究集会に一緒に参加していて、酔っ払ってはよくそんな議論していた。また、当時はさほど親しくはなかったので直接議論したことはなかったが、G2P-Japanのコアメンバーである宮崎大学のSも、この研究集会によく顔を出していた。

つまり、私、熊本大学のI、宮崎大学のSは、この研究集会に足繁く通うことで、そこで芽生えた「欧米と日本の研究レベルの壁」という歯痒い気持ちを、新型コロナの研究を始める前から抱いていたということになる。コールドスプリングハーバーの研究集会を通してこのマインドを知らぬ間に共有していたからこそ、6話で紹介したように、G2P-Japanとして一致団結し、「世界とたたかう」というマインドを暗黙のうちに共有することができたと言っても過言ではない。

そしてもうひとつ、この研究集会で得られたのは、かけがえのない海外の友人たちである。この連載コラムにも登場したことがあるラヴィ(Ravindra Gupta。イギリス・ケンブリッジ大学教授。15話17話に登場)やダニエル(Daniel Sauter。ドイツ・テュービンゲン大学教授。19話20話に登場)などがそうだ。海外留学経験がない私にとって、コールドスプリングハーバーで毎年開催されていたこの研究集会こそが、海外の研究者たちとつながる貴重な機会のひとつにもなっていたのである。

■コールドスプリングハーバーで学んだこと

最後に、この研究集会で気づいたこと、学んだことがある。

まず、欧米からの参加者の見た目は、きわめて自由である。髪や肌の色はもちろん、着ている服装もファッションもそれぞれにバラバラで、まさに「ダイバーシティ」である。くったくたなTシャツを着てるやつもいれば、バッチリスーツでキメてるやつもいるし、ヒッピーのように腰まで髪が伸びているやつもいれば、髪の毛とヒゲが逆になったようなやつもいる。

それに対し、日本人を含めた東洋人男性のほぼ全員が、黒髪で短髪なのである。そしてその半数以上がメガネをかけている。

そのような中にいると、東洋人男性の個体識別はきわめて困難なものになる。私ですら区別がつかないケースも何度かあったのだから、あちらの方々からしたら、おそらくほとんど識別できていないのではないだろうか。

――そのような環境の中で、どうすれば認知してもらえるだろうか?

毎年熱心に参加していても、あちらの方々の印象に残らなければ覚えてもらえない。良い研究をして良い発表をしても、私という「個体」を識別してもらえなければ、その後の交流にはつながらない。しかし、英語で流暢に自己アピールできるほどの語学力はない。

察しのいい読者はもうお気づきであろう。――そう、この問題を解消するために、大学院生だった私は、髪を伸ばすことにしたのである。上述のように、ロン毛の東洋人男性はほとんどいなかった。黒髪ロン毛にすれば、個体識別がきわめて容易になる。そうすることで私は、あちらの方々からも広く認知されるようになり、毎年この集会に参加するたびに、「ケイ、ひさしぶり!」と声をかけてもらえるようになったのである。

もちろん正攻法は、「きちんと英会話を覚えて、きちんと英語で自己アピール」なのだろうが、残念ながら英語はそんなにすぐにはうまくならない。性格の問題もある。

そうであれば、「プランB」である。「海外に留学をすれば外国人の友達ができる」ということを言う人がたまにいるが、外国人の友達を作るだけなら別に留学しなくてもできる。上述の通り、私の例がそうだ。

そして、「研究者として成功したいなら、海外に留学するべきである」というのも同じである。留学すれば研究者としてかならず成功できるというわけではないし、別に海外に留学しなくても、研究者として成功できるんじゃないか、と私は思っている。私のロン毛がそうであるように、大切なのは「プランB」の発想である。

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佐藤 佳

佐藤 佳さとう・けい

東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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