あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』。
前回、歌唄いの浜田ケンジさんからご紹介いただいた第55回のゲストは彫金職人・デザイナーの青山正隆さん。
浜田さんとはユニット「The死んだBIRD」を結成しヴォーカルを担当。また、俳優の大森南朋と共同ブランド「SALABA」を立ち上げるなどマルチな顔を持つアーティストだが、ミステリアスともいえるその人物像とは?
代表を務める恵比寿のジュエリーブランド「BIGBLACKMARIA」のショップでお話を伺うと、今に至る自身の生い立ちから、大森さんらとのディープな交友関係まで酒呑みトークのように話題は広がりーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)
―やっぱり交友関係でも、同じような匂いの人間が集まるんでしょうかね。
青山 でもみんな、周りはなかなかいかついからね。そんな怖いこと言うなよとかって思いながら…。元々、芸能の人なんてこういっちゃあれだけど、まぁクソ人間がやる仕事じゃないですか(笑)。
―真っ当であっちゃいけないみたいな? アウトロー的な。
青山 それがこんな大変な時代になるなんてね。売れたら儲(もう)かるからいいけど(笑)。
―何やったって自分の芸の肥やしにして、生き様含めて無頼だったり破天荒だったりが許されてた時代と違って、生きづらいですよね、いちいちモラル的なものが…。仲のいい駿河太郎さんや大森南朋さんなどは父親から有名だし、それで当初は売れない下積みがあって、逆に真っ当なのかなとも。
青山 でも大森さんなんか反骨精神というか…怒りをね、モチベーションにするのがすごく上手いし。いろんなことを自分のエネルギーに変えるのがすごいなと思って。
最初たまたま、雑誌の撮影か何かでここ使わせてくれっていうので来て。そしたら「このまま飲みにいきません?」ってなって。よくわからず行ったら、親父さんが麿赤兒(まろ・あかじ)だっていうから…。
さっき言った僕の地元の大須って街の劇場で暗黒舞踏の公演やってて、それが麿さんの大駱駝艦だったりして。同じ町内のお寺で着替えしてて、遊びに行くとオネエちゃんがカルピスくれたり、それで麿さんの後援会作りましたよ(笑)。だからファンだったんです。
―その縁もすごいなぁ。面白いですね、またそういう繋がり方が。
青山 それで大森さんとわーって仲良くなって…。そしたらあの人、アクセサリーとかも好きだから、こういうのもいいねみたいな。だから、最初はただの飲み友達でね。
―でも撮影でたまたま来たら、いきなり一緒に飲みに行くって(笑)。
青山 ホモなのかな?って警戒しつつ(笑)。後から、俺観てた映画とかにいっぱい出てた人なんだってわかったけど、最初わかんなくて…電話番号とか聞かれて「ホモじゃないよね?」って聞いたら、違うっていうから(笑)。
―あははは。いきなりその会話なんですか(笑)。
青山 いや、まぁ別にホモの友達もいっぱいいるし、だったらそれなりの心づもりがこっちもね。俺はそうなろうと思っても無理な人間だったんで(笑)。
―(笑)それで連絡先まで交換して、よっぽどというか運命的ですね。
青山 なんか知らないけど…そこからもうずーっと遊んでるから。
「悪いやつだと思われてるのかな(苦笑)」
―それこそ最初のベンジー(浅井健一)さんがきっかけで、そこから広がっていったのかと思いきや、それぞれなんですね。
青山 全然別で…仲いいヤツがいても、また別なんですよ。青木崇高って役者なんですけど、あいつもすごい若い頃から知ってて。偶然、飲んでる時に紹介されて仲よくなったんだけど、どんどん売れていって。浅井さんとかは元々だけど、俺以外、周りみんな売れて、ひとりぼっちみたいに…最後の売れ残り(笑)。
―いやいや(笑)。それだけの交友関係があるだけで…知られざるところもまたミステリアスですごいなと。
青山 その知られざるっていうのが一番キモで、知られないっていうのは、全然ダメなんですよ(笑)。
―それこそ浜田さんが言ってましたが、売れたいけど、そのために自分を偽れないとか。売れたら売れたで、自分の何かが変わっちゃうのかなとかね。
青山 いや…でもそんなねぇ。もう選択肢があるような歳でも状況でもないので。元々、全然売れる気あるし売れたいんですけど、なんか上手くいかないだけなんですよ。なんでもやるつもりだけど、なんかダメなんだよね(笑)。最後にこう、あばれはっちゃくみたいな。
―それもだいぶ懐かしいですね(笑)。やっぱり、どこかやんちゃでドッカーンみたいな?
青山 まぁそういうのも…。俺もそうだし、ここはその同級生とわけわかんねえおっさんふたりでやってるから。それこそホモなんじゃねえかと思われてるでしょうけど(笑)。
―しかしこれだけ交友関係含め、アクセサリーやファッションのマニアな顧客もいらっしゃるわけで。インフルエンサーとして、あっという間にメジャーに広がりそうな気もしますけど。
青山 それが不思議と全然なんですよ。つきあいある人たちはすごいんだけど、そこから先までいかないからきっかけがないまま…あんまり表にはならないですね。なんか、悪いやつだと思われてるのかな(苦笑)。
―でもそれこそちょっとしたきっかけひとつですよね。浜田さんの歌も知らなかったんですけど、今回聴かせていただいてハマりましたから。
青山 あいつはそうですよね。今こんだけいろいろなのがあるから、あとはなんだろうな…やっぱりアイコン的なものというか。人間としての度量の限界もあるだろうけど(笑)。俺なんか、なんでもかんでもやりたくなっちゃうから、やりすぎてダメなんじゃないか?とかね。
―それこそ去年も大森さんとのコラボでファッションブランドを立ち上げたり、いろいろメディアにも出て反響もあったのでは…。
青山 一応、ありがたいことにいろいろあるんですけど。まぁ状況は悪くはないけど、活かしきれないというか。なんなんだろうな。
「チ×コも大っきくもなく小っさくもなく…」
―逆に自主規制されてたり、表に出たくないとか。今回も取材拒否とかある方なのかなと勝手に思ったりもしましたけど。
青山 なんか、勝手にそういう噂が先行したりはあって…こだわりがあって卸先も選ぶとか。もうどこでもなんでもいいですよって言ってるんですけどね(笑)。
―実際、職人肌で引きこもりがちだったり…心許してる飲み友達にだけ姿を見せる難しい方なのかなとかね。
青山 いやいや、どんだけでも出てきたいですし、全然そんなことないですよ(笑)。本当にそういうのをなんでだろうって思いつつ、この歳になっちゃって。いい加減、なんかあればなと。
―『プロフェッショナル』か『情熱大陸』くらいは、もういつでも来いやくらいな?
青山 いいっすね(笑)、うん。
―でも逆にみんな周りも俺たちだけのものにしたいとかね。もっと知ってほしいというのと裏腹に「自分たちだけわかっとけばいい」みたいな。
青山 いや、そういうのでもなく…なんか、売れないヤツが隣にいるとホッとするみたいな感じなのかなって。とにかく見事にただの酔っ払いだし、なんかこう、チ×コも大っきくもなく小っさくもなく…で、右ズレだとかね。脱いでもあんまり…。
―いやいや、どんな話なんですか(笑)。ていうか、脱ぐんですね?
青山 はい。最近はあんまりですけどね、さすがにそういう機動力がなくなってきて。
―機動力って(笑)。でも身軽に脱げる人ってやっぱり油断させますよね。
青山 うん。なんか、そんなに恥ずかしくもないんで。あと普段は本当にこういう下ネタしか言ってないってことですかね。
―そんな週プレ向きにネタをもらわなくてもいいですけど(笑)。意外とそっち系のギャップ萌えもあるかも? 職人とか旅人の佇まいとはイメージが一転して…。
青山 でも若い頃はね、なんかするもんだと思って旅もしてたんですけど、どうやら全然好きじゃないなと。…あの、ご飯たべたら眠くなるのと、とにかくウ×コがしたくなるんですよ。どこ行っても、その場所探すだけで終わるというか。ヨーロッパもアジアもアメリカもいろいろ行ったんですけど、とにかく「あそこでウ×コしたかったな」って思い出しかなくて…。
―またまた週プレ読者が好きなネタですが(笑)、なんの話になってるんですか!
青山 いや、だからほんと、ばっかじゃねえかって。なんか旅行行くと、普段よりリスク増えるじゃないですか。
で、お店始めたら知り合いがいっぱい来てくれて、誘われると断れないので…どんどん飲みに呼ばれたら出歩いてたんですけど。今は週1回くらいで、あとはずっとこの路地にいて、たまに安い八百屋さんに野菜買いに行って。完璧、自炊して暮らしています。
「右近は呼んでないと思いますが」って…
―そんな中で仕事でのクリエイティブな部分は、今までの自分の好みとか思考がどんどん吐き出されている感じですか?
青山 なんか、若い頃はすごい精神状態で、意味もなくすごくなんなきゃっていうのがあったりしたけど。今は割ともう、ぼへっと日常の中で出てこなきゃダメだなと思って。だから落語とかラジオとか聴きながら作ってますよ。
―それこそ、飲み仲間とのバカ話でも刺激されて生まれるものもあるでしょうが。実は僕が入社して最初は『少年ジャンプ』にいて。青山さんは漫画家さん関係も交友があるんですよね。
青山 原哲夫さんは、それも偶然、ライターやってるやつに相談されて、最初だけ仕事でちょっとアクセ作って…。そのあと原さんとも飲んで、うだるほど奢(おご)ってもらうって関係なんですけど(笑)。でもお金はくれないんだよね。
―意外なところでは、歌舞伎役者の尾上右近さんまで…。
青山 あ、右近はね、前から共通の知り合いがいて、彼もうちのを気に入って買ってくれたりしたんだけど、たまたま機会があって飲んだら、やっぱすごい可愛くて。初めておっさん心がくすぐられるというか。
―熱狂的なファンが付くフェチ心が理解できました?。
青山 それもやっぱ、脈々と受け継いできたあの血ですよね。若い感じなんだけど、その文化というか、いろんなことに対してちゃんと知ってるし、すげえなって。
―ちょうど『ワンピース歌舞伎』で僕も観に行きましたが。最近の続演『スーパー歌舞伎Ⅱ』では、怪我をした市川猿之助さんの代役で主演のルフィを見事、務め上げてね。
青山 俺も行ったんですけど。それぞれの名前で受付があって、バカだから変に緊張しちゃって「すみません、市川右近くんに呼んでいただいて」って言ったら、今、市川右近ってすごい小っちゃい5歳くらいの子で「右近は呼んでないと思いますが」って担当の人に言われて。「あれ?」とか言って…かかんでいい恥をかいて(笑)。
―ありがちといえばありがちな(笑)。いちいちそういう小ネタもまたみんなの心をくすぐるのでは?
青山 まぁ付き合いやすいのか、ちょうどいい距離感なのかわかんないけど。右近はこっちがただ可愛いなって。『ワンピース』観に行って、さすがに面白くて、すごかったですよね。
で、楽屋呼んでくれて、ミュージシャンの人とかでもよく行くんだけど、ほんと歌舞伎は芸事の世界だなって。終わった後の余韻とかが一切ないんですよ。昼夜2回公演を淡々とやってくんだな…これはすげえなって。
「また有名人に戻しちゃいますけど(笑)」
―やっぱり、そういうお付き合い含めて、青山さんも遊びと仕事が成立しているのが面白いですよね。
青山 まぁとにかく、音楽と漫画と本は死ぬほど好きなので。本読むとどえらいこと書いてあるので、読みすぎると毒もあるからよろしくないってのもありますけど。影響のある意見に寄ってっちゃうというか。
―そこで頭でっかちになるでもなく、自分の肥やしに全部なってるわけですか。
青山 そうなんですかね…いや、基本すごい偏屈ではあるんですけど、あんまりそういうこと言ってもしょうがねえなっていう。もう白髪のね、いい歳なわけですし。だから歳を取るってのもいいなって思って。それなりにこう雰囲気が出るじゃないですか(笑)。
―いい雰囲気で得だなと(笑)。坂本(龍一)教授風でもあるし、小泉純一郎元総理にもライオンヘアー風で似てますよね。
青山 たまにそれ言われます。まぁだから今、ベストですよ(笑)。ほんと変な話、おまわりさんとかに捕まることもやってないから全然平気だし、それだけでも、なんてラッキーなんだろうって。
―また、なんの話ですか(笑)。でも歳を取ってどんどん生きやすくなって、楽になった部分はありますか。
青山 だから、やっぱ元々、威圧感があるらしくて、そういうオーラが出ちゃってるみたいなこと言われて。まず人と会う時、変に距離感があったんですよ。見かけ倒しの悪人ヅラで無駄にそういうね。で、これしたらいいんじゃないかってことで最近、伊達眼鏡もしてるんですけど。いろんなことがゆるくていいですね(笑)。
―伊達眼鏡だったんですね(笑)。しかし偏屈とかしょぼいとか言いつつ、マルチに自由な生き方をされて。40代でバンドのボーカルにも目覚めたわけですし(笑)。
青山 そうですね。そういうのは…だから、小っちゃい頃は大人ってカッコいいと思ってたんですけど、バブルとかになってカッコ悪く思えた瞬間があったんですよ。それでどうしようかなと、価値観が変だなとずっと思って…いよいよもって世の中やばいなと。
―それをバンドのほうで歌にして? そこは浜田さんの弾き語りとも重なる部分がまたあるわけですね。
青山 ケンジはもっとストレートで純粋ですけどね。実はあいつのアルバムの中の急に偏屈なこと言ってるのとか、俺が何曲か詩を書いてるんですよ。元々、文章を書くのはすごい好きで。ほんといろんなことやってるけど、本というか…言葉の海に溺(おぼ)れたいなっていうのはずっとあるんで。
―では、ゆくゆくは小説とか物書きのほうもありですかね。
青山 たぶん、そういうのはずっとありますね、憧れは。曲のほうは変なことばっかり言ってるんですけど(笑)。
―(笑)いや、とりとめもなく話をさせていただき、結構いい時間に…。ではそろそろ次のお友達をご紹介いただければと。
青山 そしたら、右近でいいですかね。もう本人には連絡して、いいですよって言ってもらってるんで。なんか、俺が勝手に焦って日和(ひよ)っちゃって、また有名人に戻しちゃいますけど(笑)。
―いやいや、それは是非! 歌舞伎関係は三田寛子さん以来で、役者の方は初めてなので興味深いです。では楽しみに繋げさせていただきますので。本日はありがとうございました!
(撮影/塔下智士)
●語っていいとも! 第56回ゲスト・尾上右近「一番近い存在として歌舞伎があって、憧れでしかないです」
■青山正隆(あおやま・まさたか) 1971年5月23日、愛知県生まれ。日大芸術学部に入学し、その後、海外で彫金と出会い、国内で修行を積む。05年にはジュエリーブランド「BIGBLACKMARIA」を立ち上げ、代表兼デザイナーとして活動。現在は浜田ケンジとのユニット「The死んだBIRD」でボーカル、大森南朋との共同ブランド「SALABA」でデザイナーを務めるなど活躍の幅を広げている。