グループの未来を担う"日向坂46四期生"前日譚シリーズ「日向坂になる前に期待されるキセキの世代」

取材・文/アオキユウ(short cut) 写真/Seed & Flower LLC

左から日向坂46、四期生の宮地すみれ、石塚瑶季、小西夏菜実、平岡海月左から日向坂46、四期生の宮地すみれ、石塚瑶季、小西夏菜実、平岡海月
今年3月に後輩・五期生が加入し、先輩メンバーとしてグループの中心を担い始めた日向坂46四期生4人のエピソードを書き下ろし。宮地すみれ、石塚瑶季(たまき)、小西夏菜実(ななみ)、平岡海月(みつき)、日向坂46に出会った彼女たちの、心の機微のストーリー。

*  *  *

■宮地すみれが信じ続ける自らの直感

ピアノや水泳、巫女(みこ)舞に和太鼓。教育熱心な両親に育てられた宮地すみれの幼少期は、忙しいものだった。

「もちろん自分でやりたいと言い出したものもあるんですけど、父も母も、私の将来をすごく考えてくれていたなと思います。

でも、学校から帰ったら毎日すぐに習い事だったので、ほとんどお外で遊べなくて。自転車に乗れるようになったのは割と大きくなってからでした(笑)。運動が苦手なのは少し悩んでいましたね」

校庭の土の上に落ちるのが怖くて、体育の鉄棒は大の苦手。それを克服するために、器械体操の短期塾にも通った。

「おかげでマットを敷いた上でなら前回りができるようになったんですけど、結局体育は土の上でやるので。あんまり意味がなかったです(笑)」

多忙で怖がりな幼少期を、笑いながら振り返る彼女に訪れた初めての転機は、中学入学後の部活動紹介。強豪であるバトントワリング部の、先輩の華やかなパフォーマンスを目の当たりにしたとき、自身の心が動いた。

「瞬間的に『入部しよう』って思いました。運動は得意じゃないけど、できるできないは後にして、この直感を大事にしたい、って」

華やかさに惹かれて入部したが、その裏には筋トレに柔軟、基礎練習に2時間も費やす泥くさい毎日があった。ただ、それまでなんでも「ひとり」で経験してきた宮地にとっては、その地道なトレーニングを、部員「50人」と行なっていることが大きかった。

「仲間がいるってすごく新鮮で。厳しい部でしたけど、おかげで友達は増えたし、自分自身の怖がりも少し減って、積極的な性格になれて。今振り返っても、あのときに自分の直感を信じて良かったなと思います」

そんな生活を丸4年続けた高校2年の春。気がつけば宮地は、部員たちから次期部長に推薦されるほどの信頼を得ていた。

しかし、彼女はそれを断った。この頃には、すでに「日向坂46」というグループに憧れていたからだ。

「自分が『アイドルになりたい』と初めて思ったのは、高校に上がるときの学内イベントで、バトン部で乃木坂46さんの『Sing Out!』を踊ったとき。そこから坂道グループにすごく興味が湧いたんです。

ちょうどその頃、日向坂46は初めての東京ドームを目指して盛り上がっていた時期で。ドキュメンタリー映画『3年目のデビュー』で見た一致団結の強さに惹かれて、次にオーディションがあるなら絶対に受けたいと思っていました」

バトン部の部長に推薦されたのは、ちょうど四期生オーディションの募集期間だった。「もし合格したら、無責任な形で放棄することになってしまう」。そう思った彼女は固辞したが、周囲の猛プッシュもあり副部長を務めることになった。

宮地すみれ宮地すみれ
こうして彼女は、四期生として日向坂46に加入する。

四期生に過去を振り返ってもらうと、皆口をそろえて「初期の頃」の苦労を語ってくれる。宮地にとっての「壁」は、「バトンの世界」と「アイドルの世界」の違いだった。

「アイドルって独特ですよね。ダンスはそろっていないといけないけど、ひとりひとりに個性もないといけない。

部活ではそろえることばかりを考えていたので、個性についてものすごく悩みました。ブログ1本書くのにも、写真1枚上げるのにも、『これがどう思われるのか』ばかりを気にしていました」

パフォーマンスもその悩みの例外ではなかった。彼女はこの頃、スタッフに「怖がってばかりの自分が嫌だ」「でも、この活動をしているからにはもっと前に行きたい」と吐露していた。

そんなさなか、加入から約1年後。彼女たちにとって初めてのツアーで、四期生が日替わりでセンターに立つコーナーがあった。初めてのセンターに不安を抱える彼女は、ある日のレッスン中、スタッフから呼び出された。

「何を怒られるんだろうってドキドキしながら行ったら、優しく、すごくうれしい言葉をたくさんいただいたんです。『宮地はすごいパフォーマンスができる人なんだ』『今持っている葛藤すら、表現できる人だと信じている』って。

パフォーマンスを褒めていただいたことより、悩みや自分の価値観を認めてもらえた気がして。すごくホッとしました」

怖がっている自分も受け止めてくれる人がいる。そんな安心感の中、彼女は「けやき坂46」時代の代表曲『期待していない自分』を堂々と踊り切った。

「"今となっては"ですけど、とにかく『答えにたどり着かない悩み』に時間を使いすぎていたなと思うんです。今は反省があっても、すぐに自分の考えで完結させられるようになりました。もっと自分の考えや直感を信用していいんだ、って」

余談だが、彼女にはもうひとつ、スタッフから言われて「信じたい」としている言葉がある。

「宮地が宮地のままいれば、世界が宮地に追いついてくる」

世界はそこに足を踏み入れているのかもしれない。

■石塚瑶季を動かした同級生の言葉

四期生随一のパワフルなパフォーマンスと、元気あふれる笑顔が持ち味の、石塚瑶季。彼女に幼少期について尋ねると、笑いながら「何も変わっていないです」と答えた。

「お兄ちゃんの野球の練習を見に行って、監督さんに『私もやる!』って泣きながら駄々をこねたそうです(笑)。幼稚園の頃から『やりたいこと』に真っすぐ突っ走る、明るい猪突(ちょとつ)猛進な人間でした」

小学生の頃は男子に交じって真っ黒に日焼けしながら練習に明け暮れる、野球女子。加入直後にYouTubeで公開された彼女のドキュメンタリーでも、「飼い猫の名前は『イチロー』と『(大谷)翔平』」と語っていたのが話題となった。

彼女の「アイドル」との出会いをたどると、そんな愛する「野球」がきっかけだった。

「小学校に上がる頃、家族で東京ドームに野球観戦に行ったんです。プロ野球って、試合の合間にマスコットガールがポンポンを持って出てきて、チアダンスを見せてくれるじゃないですか。そこでも私はすぐに憧れちゃって、『私も踊りたい!』って、駄々をこねて(笑)。

両親は本当に、小さい頃からずっと私のわがままを尊重してくれましたね」

両親がチアダンスのスクールを探していたところ、読売ジャイアンツの公式ダンススクールが小学生から通えることを知った。こうして石塚は、野球からチアへとのめり込んでいった。

ダンススクール、そして中学と高校の部活動でチアダンスを続けていくうちに、テレビで歌い踊るアイドルが気になり出した。

本格的に「アイドルになりたい」と願うようになったのは、高校時代に進路を考えたときだった。

「大学進学を考えて予備校に通っていたんですけど、その先で自分が何になりたいのか、全然決められなかったんです。そんなときに、部活のコから言われた言葉を思い出したんです」

石塚瑶季石塚瑶季
明るく、元気な石塚瑶季。部活の仲間からよく言われていたのは、「瑶季はアイドルに向いている」という言葉だった。

「誰も本気じゃなかったとは思うんですけど、『いつも笑っていて、ウチらのアイドル』ってよく言ってくれてました。

......でも、真剣にやりたいことを考えたときに、その言葉を思い出して。それで、ちょうど募集期間だった四期生オーディションに応募したんです」

歌番組で初めて見たとき、一期生のキラキラしたパフォーマンスに惹かれた。続けて冠番組を見てみると、二期生、三期生がバラエティ力全開で大笑いした。そんな日向坂46の四期生オーディションを、石塚は両親に黙って受けた。通過通知が郵送で届き、やっと応募を知った両親は、小さい頃と同じように娘の意見を尊重してくれた。

加入から3年がたった今。彼女に「自分の中で大切な日向坂46の楽曲」を聞くと、4thシングル『ソンナコトナイヨ』と答えた。

「『新参者』(坂道3グループの最も若い期が出演するライブ)でセンターを任せてもらった曲です。

当時、乃木坂46五期生さんや櫻坂46三期生さんと比べられることが多かったんですけど、日向坂46四期生は、まだ"四期生"のくくりで活動することが多かったんです。

そんな焦りでどん底の時期。『新参者』でのこの曲で、自分でも信じられないくらい『ここにすべてをかける』という意気込みでパフォーマンスと向き合えたんです。今でもこの曲を聴くと、当時の自分の熱い気持ちがよみがえってきます」

〈ソンナコトナイヨ 僕はそう思わない〉

自信を持てていなかった初期の四期生の中で、石塚瑶季は、そんな歌詞にパワーをもらっていた。

昨年、今年と、四期生の冠番組『日向坂ミュージックパレード』(日本テレビ系。以下、『ひなパレ』)シリーズで、石塚はよく「四期生にこのメンバーが集まったのは"奇跡"」と口にしてきた。風当たりが強い時期を共に過ごしてきたからこそ、彼女はこう語り続けるのかもしれない。

■小西夏菜実の心に火がともる瞬間

「自分からは誰にもしゃべりかけられないし、子供も大人も『優しい』と思わないと仲良くできなくて。でもその分、自分が心を開いた人にはけっこうベッタリする子でした」

兵庫県で生まれ育った、小西夏菜実。幼少期の彼女は典型的な「人見知り」だった。

小学校低学年の頃まで、彼女の休み時間の過ごし方といえば、教室の自分の机で絵を描くこと。

「マンガ誌『ちゃお』が好きだったので、自由帳にひたすら少女マンガ系のイラストばかり描いてました。

でも高学年になって、めっちゃ明るい、自分と正反対みたいな子と仲良くなったんです。きっかけは全然思い出せないんですけど、とにかく自分の明るい部分をつくってくれたのは、当時のその子の影響だと思います」

明るくなった小西が、最初に興味を持ったのはメイクやファッション。友人と一緒に日焼けを嫌がり、ファッション誌でコーディネートを学び、神戸市から大阪市の繁華街までよくコスメを買いに行った。

「特にファッション誌が好きだったので、中学の頃は『モデルになりたい』と思ってました。妹にオーディションの写真を撮ってもらって、印刷するところまではいつもできるんです。でも、何度応募しようとしても、送るところまではたどり着けない。とにかく勇気が出なかったんです」

小学生の頃、絵画教室に通ったことがあった。絵が好きだったから通い始めたのだが、友達がやめると聞いて自分も一緒にやめてしまったという。

「こう振り返ると、一生懸命になれない子供だったなと思います。今でも思うんですけど、何かひとつでも得意なことを持っておきたかったなって」

高校入学の春、コロナ禍へ突入。自宅にいることが増え、大好きなファッションやメイクを生かすことができる日常も遠ざかった。当時の将来の夢は美容部員だったが、進路指導で先生にそう告げるたびに、ある疑問を頭に浮かべていた。

「ある程度できることがメイクくらいしかないから、そう言っていたんですけど、『自分が本当にやりたいか』と聞かれるとわからなくて。学生時代は『私、全部中途半端だな』って気持ちでいっぱいでしたね」

そんな高校時代の後半。四期生オーディションの開催を知った小西は、それまでの自分を見つめ直すことがあった。

「ずっと思春期、反抗期みたいな人生といいますか。いつも無気力な感じで、頑張ったと胸を張れることがひとつもなくて。『このままじゃダメだ』と思い直したとき、このオーディションでアイドル......日向坂46を目指せれば、新しい自分になれるかもしれないと思いました。中学の頃とは違って、今度は即、応募できました」

小西夏菜実小西夏菜実
オーディションが進むにつれ、挑戦している自分自身に鼓舞されながら、冷めた自分に血が通っていくような感覚を覚えた。

「合格して、四期生全員と顔を合わせたとき、新しい人生が始まる感覚でワクワクしました。関東組のメンバーがすごく明るくて、圧倒されるくらいキラキラして見えたのを覚えています」

こうして小西は、アイドルになった。後ろ向きになることも少なくなかったが、とにかく同じ志を持つ仲間と話すことで、自分を奮い立たせてきた。

「アイドルは比べられることも多いし、自分で誰かと比べてしまって自己嫌悪に陥ることも多いんです。でも、同じことを感じているはずの同期だったら、一緒にいれば明るい自分でいられる。

おかげで少しは社交的になったし、『傷つくくらいなら何もしない』っていう加入前の自分はいなくなりました。いろんなことにぶつかって、経験豊富な人間になりたいです」

奥底で彼女を支える四期生愛は、彼女が選んだ楽曲にも表れている。四期生が加入発表になる直前、研修中に踊った、『青春の馬』だ。

「研修の終盤で、何組かのグループに分かれて『青春の馬』を発表する機会があったんです。自分の仲間になるコたちが全力で踊っているところを見て......頼もしかったのか、うれしかったのか、よくわからないんですけど、涙が出てしまって。

今でも、このときのことを思い出して、初心に返るようなことも多いです。やっぱり私は日向坂46に入って、初めて仲間ができたことが、一番の人生の変化だと思います」

同期と共に心に火をともし、過ごしてきた3年間。彼女の「冷めた人生」は、もうここにはない。

■新たなゴールを考える平岡海月

福井県の港町で、漁師の家庭に生まれた、平岡海月。子供の頃の彼女の視界には、いつも海があった。

「道路を1本渡ったら海、という家に住んでいたので、友達と遊ぶにしても、家族で散歩するにしても海。『海と一緒に育った』と言ってもいいような子供でした」

そんな平岡だが、幼少期から漠然と「将来は東京に行く」と考えていた。

「田舎が嫌いだったとかではなく、むしろ今も大好きです。でも、『上京』は自分の中で"将来当然あるもの"でした。理由はわからないんですけど、小さい頃からなぜか『無名のまま人生を終わらせたくない』って思いがあったんです。

自分が死んだときに、誰にも話題にされないって、寂しいなと思っていて。だから何かしらの功績を残したいなと思ってたんですけど、『それには田舎より東京だな』と思い込んでいました」

小学生時代の同級生はたったの9人。「全員が友達」の感覚が当たり前だった彼女は、進学していくうちにギャップを覚えた。

「中学は同学年が80人くらいで、高校は300人くらい。小学校で覚えた自分の交友関係の築き方みたいなのが、まったく通用しない違和感は当時すごかったです。

いわゆる"ニコイチ"みたいなことを考えなきゃいけないなんて、小さい港町で生きていた自分は想像していませんでした。

そんな中学生の頃に、ひとりで過ごす時間の良さも覚えて、読書と、アイドルが好きになりました」

歌番組で見た『裸足(はだし)でSummer』で乃木坂46が好きになり、当時でいえば正しい流れに沿って、欅坂46、けやき坂46を応援するようになっていった。

そんな平岡は、四期生として日向坂46に加入する前に2度、坂道グループのオーディションに挑戦している。

「中学3年の夏、けやき坂46の二期生オーディションを受けました。東京に行きたい思いはあったけど、単純に『好きだから』で勢いのまま応募したんです。

でも、結果は2次審査で落選。合格した方々、つまり今の日向坂46の二期生の先輩方をテレビで見たとき、『そりゃそうだよな。こんなにかわいい人たちの中に自分が入るわけがない』って、悔しかったけど納得しちゃいました。

......ただ、不思議なんですよね。また新しくオーディションが開催されるのを知るたびに、『始まった!』って心が沸き立っちゃって。最初のオーディションで落ちて納得しちゃった自分が、思ったよりも悔しくて、自覚以上にアイドルに憧れていることに、徐々に気づいていきました」

平岡海月平岡海月
2022年3月。大学生の平岡の目に、日向坂46四期生オーディションの知らせが飛び込む。 

「4月で20歳になるタイミングだったので、『これが最後だろうな』というのが自分の中でも明確でした。でも、ギリギリ10代のうちに受けられるなんて、逆にチャンスなんじゃないかとも感じて。『ここで人生が決まる』、大げさですけど、そんな感覚で応募しました」

結果、平岡は晴れて四期生として、日向坂46に迎えられた。

「中学3年生からずっと追い続けていたものが、5年越しでかないました。初めに応募した日向坂46にたどり着いたのも......運命なのかもと思いました。ちょっと恥ずかしいですね」

憧れの世界に身を投じた平岡も、加入当初はほかの四期生同様に悩んでいた。穏やかな性格ゆえに、当然のように競争がある世界に四苦八苦していた。

「当時の私は、ゴールが『アイドルになること』だったんですよね。でも、悩んだところで、メンバーは仲間でありライバルなので。どこまで打ち明けていいのか......最初は線引きをものすごく考えました」

そんな平岡の転機は、「昨年から今年の頭」。『ひなパレ』や日本武道館での四期生ライブ、舞台『五等分の花嫁』出演など、11人全員でハードな挑戦を続けた日々が大きかった。

「今のこの感覚を共感できるのって同期だけだし、私と同じように競争が苦手なコだっている。でも、みんな同じ気持ちで『競争より前に、いい成果を出そう』と団結してきた気がして。 

昨年からなので、長かったですね。やっと頭がすっきりしてきました」

笑顔でそう語った平岡の頭の中には、ちょうど昨年の春、彼女が初めてユニットに参加した『どこまでが道なんだ?』が流れている。

〈永遠に続いてるのか?〉
〈ゴールがなくたって諦めない〉

オーディション合格までをゴールに、10代を走り続けた彼女は、この曲についてこう語る。

「熱血な金村美玖さん(二期生)、キャプテンの髙橋未来虹(みくに)さん、私の優しい師匠の山口陽世さん(共に三期生)。そんな3人と一緒に歌わせていただけるこの曲は、いつ聴いても自分の心に刺さります。

今、まだまだゴールは見えないけれど、この曲の歌詞のように、ひたすら進み続けていきたいです」

こうして、さまざまな幼少期から10代を経て、"日向坂になった"4人の四期生。

初めての後輩である五期生が加入し、先輩になり半年余りがたつ今。「将来、四期生が一番上の世代になったとき」について聞いてみた。

宮地すみれ。

「どんな後輩が入ってきても、どんな悩みを持っていても、寄り添える先輩でありたいし、パフォーマンスの面では唯一無二の存在でありたいです。そして、四期生が一番の先輩の日向坂46になっても......きっとすごく楽しいグループのままでいられると思うんです。だからそこは、まったく心配してないです!」

石塚瑶季。

「日向坂46をつくってきた一期生さんと一緒に活動できたということが、四期生の誇るべき部分だとも思っていて。私たちが入ってきたときにあった温かい空気や、誰に対しても礼儀を大切にするところ。パフォーマンス以外の部分でも、それを伝えていくのが私たちの役目だと思っています」

小西夏菜実。

「『誰も置いていかない』、そんな仲間意識の強さが日向坂46だと思うんです。そういう人間性の高さというか、いい部分は、私たちの世代になっても受け継いでいかないとですね」

平岡海月。

「私たち四期生も、3年前とは比べられないくらい強くなった自信があります。その上で『アイドルって、どういう活動なのか』をよく考えるんですけど、きっと『私たちが楽しんでいる姿を見て、楽しんでもらう』のが正しい形だと思うんです。

やっと私たちもそう思えるようになったので、それを伝える、応援している方に楽しんでもらえるグループにし続けなきゃいけない。『がむしゃらに楽しんでもらえる日向坂46』になりたいです」

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