新型コロナパンデミックで一気に広がった「プレプリント(査読前論文)」の公表。しかし、研究内容が盗用されるリスクも... 新型コロナパンデミックで一気に広がった「プレプリント(査読前論文)」の公表。しかし、研究内容が盗用されるリスクも...

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第31話

新型コロナウイルス研究で一気に広がった「プレプリント(査読前論文」には、素早く研究内容を公表できるというメリットはあるが、審査を経ずに公表できることからその中身は「玉石混交」でもあり、最悪パクられるリスクも...。そうしたデメリットに、研究者たちはどう向き合ったのか?

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■時短のための「プレプリント」

「プレプリント(査読前論文)」と「SNS」、それぞれどのようにして新型コロナ研究に貢献したのか? まず、「プレプリント」は、論文が世に出るまでの時間を圧倒的に短縮した。論文掲載までの時間やプロセスのことは前編中編で解説したが、プレプリントというシステムは、それを一気にすっ飛ばして、研究内容をほぼリアルタイムに公表することを可能にしたのである。

このプレプリントというシステムは、実は新型コロナ以前から存在していた。私も活用した経験があるが、正直システムとしては一長一短である。メリットはまず、上記の通り、「研究成果をすぐに世の中に公表できる」ということに尽きる。

しかしこれは、実はデメリットと裏返しである。なぜかというと、「アカデミア(大学業界)」における研究成果というものは、「論文」として世の中に公表されることで初めて評価対象となる。そして、「『第一人者』あるいは『第1号』がだけ評価される」という大原則があるのだ。

つまり、学会での発表やプレプリントの形で、仮にその研究成果を「第1号」として公表したとしても、その内容を別のグループに出し抜かれ、あるいはパクられ(これを業界用語で「スクープ」と言う)、先に「論文」という形式で公表されてしまったら、その研究成果は別のグループのものになってしまうのである。

要は、せっかくの研究成果を、先走ってプレプリントとして公表すると、それをパクられてしまうリスクがある、ということである。

しかしそれでも、新型コロナパンデミックの中、特に初期(2020~21年)には、このシステムがかなり重宝された。それはやはり、感染症有事という特殊な状況があったからに尽きる。新しい知見はある、それを早く公表したい、しかし論文の査読には時間がかかる。

世界中のウイルス学者たちが、同じようにそのようなフラストレーションを募らせた。そして、「今は『パンデミック』という世界的な危機であり、パクリとかそんな些細なことを気にする状況ではない。そんなことよりも、とにかく科学に基づいた情報を一刻も早く公表し、それをみんなで共有することで、パンデミックの集結に向けてみんなで力を合わせるべきだ」という思いを暗黙のうちに共有し、大きなうねりができた。誰が言い出したわけでもないが、少なくとも筆者はそのように感じていた。

■拡散のための「SNS」

私は自分のラボのXのアカウントを持っていて、そこで情報を得たり発信したりしているが、パンデミック初期のSNSには特に大きなうねりがあった。貴重な研究データがばんばんプレプリントに掲載され、それがSNSで拡散されるようになったのだ。

つまりSNSが、査読を経ていない研究内容を共有し、拡散し、議論するための場となったのである。そのときのことは今でも肌感覚で覚えているが、「世界中で共同研究を進めている」「世界が一丸となってパンデミックに対峙している」という空気感がたしかにあった。

それはまさに集合知であり、人類(あるいはウイルス学者たち)が叡智(えいち)を結集させて、事態を収束させようとする気概に満ちていたと思う。「パンデミック」という社会を分断する事態が、世界中のウイルス学者たちを結束させ、一丸となるきっかけとなったことは皮肉なものである。

このような空気感、一体感を肌感覚としてひしひしと感じていたこともあり、その集合知のひとつの歯車になりたい、いちウイルス学者としてなんとかして役に立ちたい、という思いがふつふつと芽生え、それが後の「G2P-Japan」の発足につながるうねりへとつながっていったのだと思っている。

■結局「レピュテーション」がモノを言う

「プレプリント」と「SNS」がどのように役立ってきたのかには、このようなトリックがあったわけである。しかしこれらには、表裏一体となるリスクもある。例えばプレプリントは、「査読」という審査を経ていない。そのため、体裁さえ整っていていれば、どんなトンデモな結果でも、原則的にはそこに掲載されてしまうのである。

パンデミックの最初期には、「???」なデータを並べた上で、「新型コロナの起源はヘビである!」と結論づけたプレプリントが発表され、一時ツイッター(現X)でかなりバズった(非難されまくった)のを覚えている。

これはかなり極端な例だが、要は「プレプリントは審査をされていないので、その中身はかなり玉石混交である」というのが、プレプリントの最大の欠点であった。

それでは、「プレプリントをSNSで共有する」というシステムは、この欠点をどのようにして補い、洗練されていったのか? これはとても興味深いのだが、結局のところ、SNSユーザーたちが洗練され、知識を蓄え、誰かに強制されることもなく、自然な流れで、きちんとした情報を選別し、それだけを拡散するようになっていったのである。

つまり、パンデミックという有事の玉石混交の中で、SNSユーザーたちが自然に「レビュアー(査読者)」となり、正しい「玉」の情報には「いいね」を押してリツイートする、怪しい「石」の情報は無視する、あるいは非難する、というマスシステムが構築されていったのだ。

それはなぜか? 有事の中でガセネタばかりツイートするアカウント、毎回有益な(つまり、「科学的に正しい」)情報を発信するアカウント、というのは、自然と選択・淘汰されていく、ということである。

有益な正しい情報を発信するアカウントから提供されるプレプリントは、仮に「査読」という審査を経ていなくとも、「彼らから発信される情報は正しいはず」という信頼感や安心感が生まれ、共有されていく。

このような信頼感や評判のことを「レピュテーション(reputation)」と呼ぶが、この新型コロナパンデミックにおける「プレプリントをSNSで共有する」というシステムは、このレピュテーションによって形作られていったものだと言える。

その「レピュテーション」のおかげで、この連載コラムの第17話で紹介したように、有事中の有事の研究成果であったG2P-JapanのオミクロンBA.1のプレプリントは、「bioRxiv」のような公式なプレプリントサーバーすら使うことなく、ラボのGoogleドライブに載せて、それを私のラボのツイッター(現X)のアカウントで発信することで、わずか数週間で300万回以上閲覧されるほどに拡散された(そしてその研究成果は、その後『ネイチャー』に掲載された)。

■これからの「アカデミア」のあり方

今回、前編・中編・後編の3編に分けて紹介した、新型コロナパンデミックが「アカデミア(大学業界)」に与えた影響であるが、これが「パンデミックの中でパンデミックウイルスの研究をする」という事情から生まれた特殊なモノであることは承知している。

これはもちろん極端な例ではあるが、この連載コラムの第6話でも紹介したように、プレプリントを介してSNSなどの一般社会へ情報を発信する、という基礎研究の新しいあり方が示された、という意味では、アカデミアにとっても一般社会にとっても、新しい発見だったのではないかと思う。

「アカデミア」と聞くと、なにか高尚かつ清廉潔白なイメージ、あるいはキテレツ奇想天外な場所だという印象を持つ人もいるかもしれない。しかし、アカデミアとは決してそのような場所ではないし、そうあるべきではないと個人的には思っている。

アカデミアは、世間と隔絶された静謐(せいひつ)な場ではなく、社会へと開かれ、社会とより密につながる場となるべきではないだろうか。私は新型コロナ研究を通してそんなことを学んだと思うし、そのような気づきが、私の筆を『週刊プレイボーイ』に向かわせたのではないかとも思っている。

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佐藤 佳

佐藤 佳さとう・けい

東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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