パリッコぱりっこ
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。
著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。2022年には、長崎県にある波佐見焼の窯元「中善」のブランド「zen to」から、オリジナルの磁器製酒器「#mixcup」も発売した。
公式X【@paricco】
ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。
それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。
そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。
* * *
今年の8月、コロナ前以来数年ぶりの関西飲み遠征旅に行けたことは数話前に書いたが、それから約2ヶ月後の今現在、僕はまた大阪にいる。
といっても今回は家族旅行なので、大衆酒場濃度は薄め。ほぼすべてを小1の娘の希望優先に行動するので、うかうかしていれば濃度ゼロにもなりかねない。せっかく飲み天国の大阪にやって来たのに......。前回は3泊4日で16軒もの酒場を訪れることができたのに......。
もちろん目的は旅によってそれぞれだからそれもまた良しなんだけど、それでも僕は、今回も隙あらば酒を飲んでゆきたいとは思っている。それが酒と食に意地汚い僕という男だし、「子育てをしながらどう酒を飲むか?」をテーマに『缶チューハイとベビーカー』という本を1冊、書き上げた実績だってある。
初日は昼前に大阪に到着し、どこかで昼食を食べて、観光できるところがあれば寄り、あとは宿でのんびりする予定。宿から近い場所に「天保山」というエリアがあり、そこへ行ってみることにした。
天保山は大阪港にほど近い、人工的に土を積み上げて造られた山。そこに隣接して「マーケットプレース」という施設があり、世界最大級の水族館「海遊館」や、観覧車、ショッピングモールや多くのレストランなどがあるにぎやかな場所だ。
娘はたこ焼きが大好物で、フードコートにあった、たこ焼き発祥の店だという「会津屋」という店のそれを買ったら、妻と一緒に大喜びで食べている。
しかしその横で僕は、実は気が気じゃなかった......。というのも、フードコートに隣接する「なにわ食いしんぼ横丁」というレストランエリアに「自由軒」が入っていたからだ。自由軒とは、明治43年創業の老舗カレー店で、大阪を代表するグルメのひとつとして知られる店。最大の特徴は、ソースとライスが、まるで食べる前に思いっきり混ぜたかのように一体化している見た目だ。「難波本店」の他、唯一存在するのがここ、「自由軒 天保山店」らしい。
無知な自分であるけれど、カレー好きの端くれとして名前はずっと知っていたし、いつかは食べてみたいと思っていた。そのチャンスが、目と鼻の先にある。そこで家族に「大急ぎで食べてくるから、ちょっとひとりで行ってきてもいい......?」とお伺いをたて、無事お許しをもらって訪問が叶うこととなった。やった、人生初の自由軒のカレーが食べられる!
自由軒は、マーケットプレースのフードコートに隣接するレストラン街「食いしんぼ横丁」のなかにあった。昭和レトロな街並みを再現したテーマパーク的エリアで、大阪の名物店も多く出店している。純粋な酒場旅行なら立ち寄ることはないのかもしれないけれど、たまにはこんなベタな観光地感もいい。
無事入店し、まずは「生ビール」(税込660円)。家族旅行中に、ひとり密かに飲む生、なんだか妙にうまいな......。
続けてメニューを検討する。王道の「名物カレー」は、950円の通常サイズと、1280円の大サイズの2種類。そこに、「トンカツ」「ハンバーグ」「エビフライ」「クリームコロッケ」「たこ焼き」などのトッピングをすることもできる。
意外だったのは、ソースとライスが別々の、いわゆるふつうのカレーライス、ずばり「ふつうのカレーライス」というメニューもあるところ。その他、「ボルガライス」「トンカツライス」「チーズハンバーグライス」など、洋食的なメニューもけっこうある。
加えて、天保山店限定のメニュー、「ハイカラセット」「なにわ美味いもんセット」「なおちゃんのお祭りセット」の3種も魅力的だ。いろいろなサイドメニューがトッピングされたお得なセットで、たとえばハイカラセットなら、名物カレーにハンバーグ、クリームコロッケ、串カツ、串エビ、サラダがついて1540円。食いしんぼうにはたまらないものがあるだろう。
けれども僕はそこまで大食いではないし、カレー好きとして自由軒に敬意を表する意味でも、初回の今日はシンプルに「名物カレー」を選ぶことに決めた。店員さん、お願いします!
そしてついにご対面した名物カレー。混ぜ混ぜカレーの頂点に生玉子がのった、TVや雑誌などでは何度も見たことがある、あれそのものだ! 嬉しい! ところで、自由軒のカレーには正統派の食べかたがあるらしい。まずはカレーライスをそのまま食べる。続いて、お好みで卓上のソースをかけて食べる。最後に生玉子をつぶしてカレーに混ぜて食べる。初心者の僕は、その作法に従うことにする。
まずは純粋カレーライスをスプーンですくってひと口。あ、これは僕の知っているどのカレーライスとも違う、けっこう特徴的な味わいだ。想像していたよりずっとスパイシーでピリ辛で、昔ながらの和風カレーとはベクトルの違うドライな印象。最初から混ぜてあるから、一般的なカレーのようにメリハリがあるかというと、そうでもない。ただ、それでもまったく物足りなくないのは、味の決め手らしい門外不出の"だし汁"のおかげなのかもしれない。玉ねぎにしゃきしゃきとした食感の主張が残っているのもいいアクセント。
続いて、ソースをかけてみる。するとぐっと深みと甘酸っぱさが加わり、よりわかりやすい美味しさになる。いい。それにより、辛さもきりっと引き立つ感覚がまたいい。
実を言うと僕は、カレーに生玉子をトッピングすることに対しては、かなり"否"寄りの考えを持っている。なぜならば、温度がぬるくなるから。そしてまた、味がぼやけるから。
ところが自由軒のカレーには最初から生玉子がのっている。否定している場合ではない。意を決して混ぜ、食べてみて驚いた。ものすごく合うのだ。黄身のまろやかさがさっぱりとしたカレーによって引き立たされ、また、白身のどろっと感が、最初から混ざっているカレーにさらに混ざってしまうので、まったく気にならない。むしろ食感が良くなる。これは、長いカレー好き人生においても新体験と言えるかもしれない。さすが、長く人々に愛されてきたことはあるな。
自由軒のスタートはそもそも、大阪で最初の西洋料理店だったのだそう。特に人気のメニューだったのがカレーライスで、しかし時は明治。今のようにごはんを保温しておく炊飯器のような設備がない。そこで創業者の吉田四一氏が、「いつでもお客様に美味しいカレーを食べていただきたい」という思いから考え出したのが、提供のたびにカレーソースとごはんを炒め合わせる独自のスタイルだった。その上に生玉子をのせたのも吉田氏のアイデアで、当時玉子は高級品だったから、味と人気の両面で、一躍人気メニューとなっていったのだとか。
そんな歴史を守り続けた伝統のカレー。さすがの貫禄と、庶民が気軽に味わえる洋食の良さの両方を兼ね備えた、他にはないひと皿だった。カレー道はどこまでも深い。
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。
著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。2022年には、長崎県にある波佐見焼の窯元「中善」のブランド「zen to」から、オリジナルの磁器製酒器「#mixcup」も発売した。
公式X【@paricco】