川喜田 研かわきた・けん
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。
11月5日の投票日まで残り2週間を切ったアメリカ大統領選挙。連日さまざまな話題が報じられているが、大統領選の行方を左右するといわれる7つの激戦州を巡り、史上まれに見る接戦が続いている。
トランプ支持者とその復活を阻もうとする人たち――。アメリカ社会の深刻な分断を背景にした大統領選の異様な姿と、実際に起こり得るシナリオについて、上智大学教授の前嶋和弘(まえしま・かずひろ)氏に聞いた。
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現代アメリカ政治の研究者として長年、大統領選を見続けてきた私から見ても、今回の大統領選挙の異様さは際立っています。
選挙戦の終盤を迎えたトランプの発言は過激さを増しています。最近では「中国やロシアよりも危険なのは『内なる敵』(Enemy From Within)だ」などと主張し、10月13日に行なわれたFOXニュースのインタビューで、この発言について問われたトランプは「アメリカには非常に悪い人々、病んだ人々がいる。それは急進左翼の異常者たちだ。そうした連中は必要に応じて州兵や軍(連邦軍)を使ってでも抑え込むべきだ」と、事実上の内戦を煽るようなことまで言い出しました。
一方で、前回の大統領選後に起きたトランプ支持派によるアメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件に関しては、「(2021年)1月6日の出来事は『愛に基づく行動』であり、真の愛国者たちが平和的に連邦議会議事堂に入ったのだ。事実、アシュリー・バビット(議事堂に乱入し、警官に射殺されたトランプ支持者の女性)が殺された以外は、誰も殺されていないではないか」と、暴力的に議会に乱入した人たちを擁護。今やアシュリーはトランプ教徒の殉教者のように崇められています。
要するにトランプにとって、自分を支持する人たちが起こす暴力は「愛の行為」として正当化され、逆に自分に敵対するリベラル派や「ウォーク(Woke)」と呼ばれる意識高い系の人たちが抵抗すれば、彼らはアメリカの「内なる敵」なので、軍を使って殺しても構わない......というメチャクチャな理屈なわけです。
ちなみに先日、日本でも公開されて「分断されたアメリカで内戦が勃発」という内容が話題となった映画『シビル・ウォー・アメリカ最後の日』では、武装した赤いサングラスの男が「お前はどんな種類のアメリカ人だ?」と問いかけ、気に入らない相手を迷いなく射殺していく......という衝撃的なシーンがあります。
先ほどのトランプの言説は、この赤いサングラスの男がやっていることと同じです。大統領選の結果次第で、来年1月にアメリカ軍の最高司令官となるかもしれない人物が、公然とこのようなことを口にしているわけで、もはや「現実が映画を超えている」としか言いようがありません。
このようにアメリカ社会を敵と味方に分けて分断を煽り、内戦の可能性まで示唆するようなトランプの言説は、今までであれば党派やイデオロギーの違いを超えて問題視され、間違いなく強い批判を浴びていたはずです。
かつて、ジョージ・W・ブッシュ政権で副大統領を務めた共和党の大物ディック・チェイニーの娘で、共和党内でもタカ派の宗教右派として知られる元下院議員のリズ・チェイニーなど、いわゆる「トランプ化」が進む前の共和党のリーダーたちや、アメリカ軍の幹部を務めた人たちが、今回の選挙で公然とハリス支持を表明しているのも、彼らがトランプの存在を深刻な民主主義に対する脅威と見なしているからです。
それでもなお、アメリカ社会の深刻な分断と拮抗を背景とした今回の大統領選では。トランプの過激な発言も大きな失点とはならず、選挙結果に大きな影響を与えることはないでしょう。それがまた今回の大統領選の「異様さ」でもあるわけです。
実際、大統領選の行方を左右する激戦州の世論調査を見ても、両者の差は依然として誤差の範囲と呼べる程度しかありません。また、すでに多くの州では11月5日の投票日を待たずに期日前投票や郵便投票が始まっているため、残りわずかの期間に何か大きな動きが起きることは考えにくい。
それは言い換えるなら、今回のアメリカ大統領選が歴史的な接戦になる可能性が極めて高いことを意味しています。では「歴史的な接戦」とは、具体的にどのような状況なのでしょうか? その話に入る前に、少しだけアメリカ大統領選の仕組みを簡単におさらいしておきましょう。
アメリカ大統領選の投票権を持つのは、18歳以上のアメリカ国民ですが、全米の得票数で勝敗を決めるのではなく、まずは全米50州と特別区に指定されている首都ワシントンで投票を行って、それぞれの勝者を決定します。その勝者が各州に割り当てられた選挙人を獲得し、全米で計538人の選挙人の内、過半数の270人を獲得した候補者が大統領に選ばれるという、ちょっと複雑な仕組みです。
ちなみに、人口などに応じて各州に割り当てられる選挙人の数は、カリフォルニア州が最大の54人なのに対して、最も少ない州と特別区のワシントンは3人のみと、州によって異なっていて、メイン州とネブラスカ州を除くほとんどの州では、勝った候補者がすべての選挙人を獲得する「勝者総取り方式」を取っているため、選挙人定数の多い州の勝敗が結果を大きく左右することになります。
ただし、全米50州のうち、大半の州では「共和党優位」「民主党優位」という色分けがハッキリと決まっているため、実際に選挙結果を左右するのは、激戦州と呼ばれるアリゾナ(11名※選挙人の定数)、ウィスコンシン(10名)、ジョージア(16名)、ネバダ(6名)、ノースカロライナ(16名)、ペンシルベニア(19名)、ミシガン(15人)の7州だといわれていて、選挙戦の最終盤を迎えた今、この7州が選挙人の過半数にあたる270人の獲得をめぐる主戦場となっているわけです。
では、史上まれに見る接戦では、具体的にどのようなことが起こり得るのか? ここで、すでにお気づきの方もいるかもしれませんが、全米で選ばれる選挙人の総数は「538人」ですから「269人対269人」で、きれいに割り切れて決着がつかない可能性があるのです。予想外の波乱が起きなければの話ですが、激戦州以外の州で両者が確実に獲得するとみられる選挙人の数は、ハリスが225人、トランプが219人です。そこに激戦州を積み重ねていくと、4つほど現実的に「両者同数」が起こり得るパターンがあります。
そのうちのひとつが、7つの激戦州のうち、ハリスがウィスコンシン、ペンシルバニア、ミシガンで勝利し、トランプがアリゾナ、ジョージア、ネバダ、ノースカロライナで勝利し、激戦州を3対4で分け合うと、最終的に269対269の同数になるというシナリオです。
ただ、ここで極めて重要な意味を持つことになるのがネブラスカ州です。選挙人の定員は5人で基本的には共和党優位の州なのですが、ネブラスカ州は「勝者総取り」ではなく、都市部の「オマハ選挙区」だけはハリスが勝つ可能性が残されています。先ほどのパターンではトランプが勝利することを仮定していますが、もしここでハリスが勝利して、ネブラスカ州の選挙人5人のうち、ひとりを確保すると270対268でハリスが大統領選で勝利することになります。
そのため、トランプ陣営は選挙戦が始まってから「ネブラスカ州も勝者総取り方式に変更すべきだ」と訴えました。そうすれば、共和党優位のネブラスカでは確実に「選挙人5人」を確保できるからです。もちろん、選挙戦の途中でルールを変更するという要求は受け入れられませんでしたが、歴史的な接戦が予想される今回の選挙戦で、両陣営がいかに「選挙人ひとり」の奪い合いに必死なのかが、おわかりいただけると思います。
では、それでも11月5日の投票の結果、選挙人の数が269対269の「引き分け」になった場合はどうなるのか? また、仮にトランプが負けた場合、トランプ陣営や、その支持者たちがどのような動きに出る可能性があるのか? 次回は、11月5日の投票日の先に待ち受けるかもしれない「別のシナリオ」についても考えてみたいと思います。(続く)
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。