「ワクチン接種で獲得した中和抗体は、新しく出現した変異株に効くのか?」。それを検証するためにはワクチン接種者の血清が必要になる
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第46話
ワクチン接種で獲得した中和抗体が効きづらい変異株がいる――!? 2021年の半ば、アルファ株、ベータ株、ガンマ株といった変異株が続々と出現することで、こんなトピックに注目が集まっていた。G2P-Japanは、研究に必要なワクチン接種者の血清をどうやって入手したのか?
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■SNSが果たしたもうひとつの役割
SNSが新型コロナ研究に貢献した役割については、この連載コラムの29話で紹介した通りである。実はそれ以外にも、研究コンソーシアム「G2P-Japan」の活動を語る上で欠かせないふたつの大きなイベントが、SNSをきっかけに起きていた。SNSがなければ、G2P-Japanの研究活動はここまで発展しなかったと断言できる。今回はそんな、SNSにまつわるふたつのエピソードを紹介する。
■エピソード1:S先生の桜の写真
2021年初頭にG2P-Japanを立ち上げて、その春に最初の論文を発表した(6話)。当時は、世界中でメッセンジャーRNAワクチンの接種が進み、日本でもようやくその接種が始まった頃だった。
当時、世界で流行していた変異株は、アルファ株、ベータ株、ガンマ株など。研究者の間では、特にベータ株に関する研究を中心として、「ワクチン接種で獲得した中和抗体が効きづらい変異株がいる!?」というトピックがトレンドになり始めていた。
つまりこのトピックの浮上は、将来、別の新しい変異株が出現した時に、「ワクチン接種で獲得した中和抗体は、新しく出現した変異株にちゃんと効くのか?」ということを評価することに迫られる、ということを意味していた。そしてこの予言めいた発想は、その年(2021年)の夏に出現したミュー株(45話)、そして、年末に突如出現し、瞬く間に世界を席巻したオミクロン株(18話)によって現実のものとなる。
――さて、どうするか? 2021年半ば頃のG2P-Japanは、実験チームがようやく円滑に連携できるようになり、誰がなにをするか、という分担・棲み分けが進み、いろいろな実験システムが構築されはじめた頃であった。
しかし、「ある変異株に対して、ワクチン接種で獲得した中和抗体は効くのか?」ということを検証するためには、優れた実験技術や連携体制だけではなく、「ワクチンを接種した人の血清」が必要不可欠である。しかし当時のG2P-Japanには、臨床に従事する医師のメンバーはいなかったし、臨床のお医者さんとのコネクションもなかった。人の検体(臨床検体)を入手するためにはいくつかの手続きや承認が必要で、「ください」「はいどうぞ」というわけにはいかない。
そしてなによりも、それを提供してくれるお医者さんとのつながりがなければ、そもそもそんなお願いすらもできない。当時の私にはそれをお願いできるアテもなく、どうすればいいか、途方に暮れる毎日だった。
ワクチン接種者の血清を提供してくれるお医者さん――。毎日そのことばかりを考えていたある日、通勤途中に眺めていたフェイスブックで、ある写真を見つけた。
2021年4月1日。S先生は、「ちょっと寄り道しました!」というメッセージとともに、この写真をフェイスブックにアップしていた
京都には桜の名所がたくさんあるが、この川端通りと冷泉通りのT字路にある大きな桜は本当に見事で、私が京都でいちばん好きな場所のひとつだった。私は京都に住んでいるとき、川端通りを自転車で北上して通学・通勤していた。その道すがら、「冷泉通り」と「川端通り」の道路標識と一緒に、決まったアングルで満開の桜を撮っては、それをフェイスブックに載せるのが私の春の恒例行事となっていた。
そして、2021年4月1日。私が毎年載せているものとまったく同じアングルの写真をフェイスブックで見つけた。京都大学のS先生が、フェイスブックに載せていたのだ。S先生も私もエイズウイルスの研究をしていて、10年来の知り合いだった(ちなみにこのS先生は、25話にちょろっと登場したS先生と同一人物である)。
京都に「疎開」していた2020年(36話)を除いて、東京に引っ越してからは、この桜を目にすることもなくなった。それを見つけた私は懐かしい気持ちになり、S先生にメールを送った。そしてそのときに、S先生が、京都大学病院で働くお医者さんであることを思い出したのだった。
■「桜の写真」がつないだ点と点
藁(わら)をもすがる思いで、S先生に、新型コロナワクチンを接種した人の血清の収集と提供をお願いしてみた。すると、驚くほどスムーズに、とんとん拍子で話が進んだ。本来ならば時間と手間のかかる面倒な検体授受の承認手続きも、幸運なことに、それまでに進めていたS先生とのエイズウイルスについての共同研究の延長線上で、すでに完了していた。
このようにしてG2P-Japanは、ワクチン接種者の血清を入手することに成功した。S先生にはその後、G2P-Japanに参画していただくことになり、現在に至るまで、貴重な臨床検体の提供を含めたコンソーシアム活動に協力してもらえるようになった。
――それにしても、なぜとんとん拍子に話が進んだのか? 後日知った話であるが、実はこれには裏話があった。
そもそもS先生はなぜ、私が恒例にしていたものとまったく同じ構図の桜の写真をフェイスブックに掲載したのか? 後日、京都・祇園で一緒に食事をしているときに、S先生はその顛末を教えてくれた。
S先生は実は、私に気づいてもらうために、桜の写真をフェイスブックに掲載していたのだという。
ある経緯があって、S先生も、新型コロナワクチンを接種した人たちの血清を集めていた。しかし、それを使った実験に費やすためのマンパワーが不足していた。せっかく集めた貴重な検体を、どうすれば活用できるだろうか? そんな折、京都で一緒だった佐藤が、G2P-Japanとかいう研究グループを立ち上げて、新型コロナについての論文を出し始めていることを知る。もしかしたら、佐藤なら――。
フェイスブックに掲載されたその桜の写真には、S先生のそんな想いが込められていたのだという。
※後編はこちらから
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