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取材・文/田澤健一郎 撮影/五十嵐和博
スポーツ
そもそもは配布する目的で『いつまでも絶好調!!』を作った中畑清
かつて『絶好調デス 中畑くん』で掲載されていた4コマ。「江川はいじっていいの。もっとやってもよかった(笑)」と笑う中畑
「これ以上はないだろう!」と中畑も太鼓判を押す「駒大OB・夢のベスト9」。また最近の駒澤大学に関しては、「近年は2部落ちしたりと弱すぎた。最近、改革が成功してきて、だいぶいいチームになりつつある。あと2年あれば優勝争いするような、安定した強さを取り戻す」と評価する
自動車が普及し始めた頃の中畑の幼少期。お姉さんはその記念撮影写真をまだ持っていた
中畑自ら企画した学園祭の神輿。たとえ盲腸の手術明けでも「それを休むわけにはいかないだろ(笑)」と強行して参加したそう
厳しいスパルタ指導は許される時代ではなかった監督時代。しかし、怠慢プレイに対しては「オレたちがどういう世界にいるのか、勝てなくても勝負を諦める姿は見せちゃいけない。その信念だけは強く言った」と語る中畑清。そうした指導の後は「言いっぱなしは好きじゃない」ため、フォローにも気を配った
自宅のリビングには、現役時代から敬愛する長嶋茂雄との2ショット写真が飾られている。その長嶋の後を引き継ぎ、務めたアテネオリンピックの監督には、「すごいプレッシャーだった、死んだおふくろからは『あんたは精神的に弱い子なんだから、絶対やめなさい』って言われたよ。あの1年間が本来のオレだったかもしれない」とその重圧を振り返った
そもそもは配布する目的で『いつまでも絶好調!!』を作った中畑清駒澤大学在学時には「駒澤三羽ガラス」のひとりとして話題を呼び、プロ野球の選手時代は14年にわたって巨人一筋で活躍。現役を退いた後は2004...
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