ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プレイボーイ』の連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」では『a-nation』について語った。
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★今週のひと言「ヒット曲を忌避した思春期。その俺がまさかのイベントに!!」
先日、TRFのSAMさんとDJ KOOさんによる新ユニットB.O.Cのデビュー曲『NARIYAMA NIGHT』にラップで客演させてもらった。
それだけでも驚きなのだが、エイベックスの一大イベントである「a-nation」にも参加させてもらい、そのときにいろいろと感じるものがあったので、この機会にこのコラムで書いていきたい。
現在41歳でエイベックス黄金期に邦ロック少年として思春期を過ごした俺にとって、エイベックス......というか、当時一世を風靡(ふうび)していた小室サウンドは正直忌むべき対象だった。
当時の少年少女にとってヒットチャートというものは現在よりも何倍も力を持っていて、好むと好まざるとにかかわらず、当時のチャートを席巻した音楽は余裕で口ずさめるぐらい刷り込まれている。
何せミリオンヒットが山のように量産されていた時代だ。
当時から流行を訝(いぶか)しんでいた俺は、そのど真ん中にいた売れ筋アーティストたちは基本的にダサいと決めつけていた。
無論、その熱が冷めた後、冷静に再評価していったものも多々あるのだが。
何さまだという感じだが、思春期の趣味なんて所詮(しょせん)そんなもんだろう。
とにかくそんな感じだったので、まさか地方に暮らし、自主制作インディーズのアングラ日本語ラッパーである俺が、そのままの立ち位置で、今を時めくミュージシャンや往年のスーパースターに交ざって、あの「a-nation」の舞台に立つ日が来るなんてつゆほども想像してなかった。もちろん、そこを目指していたわけではないのだが、われながらよくやったと思えた。
そして、人生のいろいろを経験した今、当時毛嫌いしていた音楽を、あの「a-nation」という巨大舞台装置と環境下で浴び、たくさんの新たな発見もあった。
簡単に言うと感動したのだ。
記憶の深いところに堆積(たいせき)した音楽は、20年の濾過(ろか)期間を経て純粋なメッセージとなって染みた。
そしてもうひとつ驚いたのが、ひとつのプロジェクトで動く人数の多さだ。
俺らインディーズは最小単位で動ける。全部自分でやるからだ。
反対にメジャーでは、たった一曲のためにこれだけの人数が動いているのかと驚いたほど。
そうした光景を目の当たりにすると、たとえ事務所からなんの指示を受けなくても自然とヒット曲を、望まれている感じの曲を作らなければという使命感を持つのは、マトモであればあるほど当たり前なのかもしれない。
もしこのプロジェクトが滑ったら、彼らの努力を無駄にしてしまう、そう思うとそのミュージシャンが本当にやりたいことやチャレンジは後回しにしてしまうのではないだろうか。
そこを度外視してわがままに己のクリエーティビティに忠実にやれるヤツは、いい意味で普通じゃないというか、要は自己中心的でなければ難しい。
だけど現在のメジャーミュージシャンは、マトモで行儀良く、が求められる。
それはまるで真逆の属性なのに。
その点ラッパーは、ギリギリまだその限りではない。
俺みたいにテレビに出たりしてるとまた別なのだが......。少なくとも表現のベースとして自主制作にこだわってやってきたのは、間違いではなかったとあらためて感じたのだ。