
パリッコ
ぱりっこ
パリッコの記事一覧
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。
著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。2022年には、長崎県にある波佐見焼の窯元「中善」のブランド「zen to」から、オリジナルの磁器製酒器「#mixcup」も発売した。
公式X【@paricco】
ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。
それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。
そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。
* * *
生まれて初めて映画『もののけ姫』を見た。
国民的な名作アニメ映画ゆえ、そう聞くと驚かれる方もいるかもしれない。が、正真正銘、僕は昨日、生まれて初めてもののけ姫を見た。
理由は特になく、なんとなく縁がなかっただけ。何度も放映されていると聞くTV放送も、なんだかずっとタイミングが合わなくて見たことがなかった。今回の発端は地元の酒場。そこで顔見知りの常連さんたちが熱いジブリトークを展開していて、しばらくそれに聞き入っていた。ちなみに僕の好きな作品1位は『魔女の宅急便』で、『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『紅の豚』『千と千尋の神隠し』あたりも何度も見ている。劇場で見たのは、『ハウルの動く城』『崖の上のポニョ』『君たちはどう生きるか』。あと、意外と好きなのが『平成狸合戦ぽんぽこ』。熱烈なジブリファンというほどでもない、日本国民としてはごく一般的なレベルではないだろうか。ただなぜか、もののけ姫だけに縁がなかった。
件の酒場でそんな話をしたら、ちょうど今度、家からそう遠くない「ユナイテッド・シネマとしまえん」で、4Kリマスター版のリバイバル上映があるらしい。それはいいタイミング。別に無理やり避けていたわけではない。機会があれば見たいと思ってもいて、その機会が今やってきただけだ。
というわけで、見てきた。昨日。今更僕が感想を語ったところで、という話ではあるが、とにかくおもしろかった。特に印象深かったのは、タタリ神という存在になってしまった野生動物の表現、もののけ姫ことサンの俊敏な動き、「たたら場」という架空の都市のリアリティ、シシガミ様のなんともいえない表情、などだろうか。
おもしろかったです
さて、ここからが本題。映画は133分の長編で、終わったのが午後1時半過ぎ。ランチにはちょうどいい時間だ。
最寄りの豊島園駅周辺には、数は多くないものの飲食店がちらほらとあり、特に改札を出てすぐ右前方にある「香港飯店」という店はよく目立つ。映画館に向かう道すがら、なんとなく表のメニューを見てみたら、酒類のラインナップに大好きなホッピーがあった。この連載でも何度か言っていると思うけど、僕はホッピーがある中華料理店が無条件で好きだ。よし、もののけ姫のあとはここでホッピーをやって帰ろう。心はすでにそう決めてあった。
「香港飯店」
地下へ降りて扉を開けると、そこにはなんとも心落ち着く町中華的空間が広がっていた。広々とした店内にたっぷりとテーブル席があるが、先客は外国人の4人組のみ。すぐ近くにある「ハリー・ポッター」をテーマにした施設「スタジオツアー東京」帰りのようだ。
おだやかな空気が流れる店内
店名は本場風だが、ご夫婦経営だろうか、品ぞろえはいわゆるオーソドックスな町中華的。ひとつだけ異質なのは「黒炎竜の棲家」なるラーメンでメニュー名の横に「魔法メニュー 魔法麺」などと書いてある。ハリー・ポッターを意識した? 女将さんにどんなものかを聞いてみたところ、ひとつのどんぶりに黒ごまベース、ラー油ベースの坦々麺が盛ってあり、少しずつ混ぜながら食べるのがおすすめらしい。
「黒炎竜の棲家」
ネタ的にはおもしろそうが、実はもうひとつだけどうしても気になったメニューがある。それが「きくらげとトマトと豚肉の玉子炒めラーメン」(税込850円)。
特別メニュー
きくらげと豚肉と玉子といえば「木須肉(ムースーロー)」。酒のつまみにもぴったりの、僕の大好物だ。また、トマトと玉子の炒めものは、木須肉ほどメジャーではないが「西紅柿炒蛋(シーホンシーチャオダン)」という名前で、うまい店で食べると感動する一品。イメージ的には、それらを合わせて、さらにラーメンにのせたようなものだろうか? 写真がないから、どうしてもこの目で見てみたい。今日はこっちにしよう。
ホッピーセット
さっそく合わせて頼んだ「ホッピーセット」(550円)が到着し、ハードめなナカの量に顔がほころぶ。この時点で良い店と判断してまったく間違いはないだろう。
さらに嬉しいのは「少し置いておきますね」「おつまみにどうぞ」と、追加用の氷入りグラスや高菜の小皿まで届いたこと。ひとつひとつの心遣いが心に染みる。
理想的ホッピーセット
少しの高菜が嬉しい
ではいざ、と濃いめのホッピーをぐいっとやったところで、驚くほどスピーディーにラーメンも到着した。
「きくらげとトマトと豚肉の玉子炒めラーメン」
やってきたラーメンは、想像していたよりもずっとカラフル。きくらげ、トマト、豚肉、玉子はもちろん、キャベツ、にんじん、玉ねぎ、ニラもふんだんに入っている。目を引くのはやはり、トマト由来の赤いスープ。さっそくひと口飲んでみる。
色鮮やかな一杯
するとこれまた想像とはちょっと違う。ベースは醤油ラーメンではなく、もっとあっさりとした塩味で、いわゆるタンメンのイメージだろうか。そこにトマトの酸味、旨味がほどよく加わるが、決して刺激的すぎたりはしない。あくまでも穏やかで、滋味に飛んだ味わいだ。これはいい。
野菜類も、中華鍋でじゃーっと炒めたというよりは、ほどよく柔らかく火が通っていて、もしかしたらゆでたか蒸したか、あらかじめ下処理がしてあるのかもしれない。だからこその提供スピードの早さか。
さらにトマト。かなり柔らかくてペースト状に近く、缶詰や瓶詰めのホールトマトを使っていると思われる。スープにじんわりとその味わいが広がっていく感じが良くて、これ、家ラーメンアレンジの参考にもなるな。
たっぷりの麺
麺はオードソックスな中太ちぢれ中華麺。量も頼もしく、ズバズバとすする快感がたまらない。
スープ、麺、具材、どれを味わってもほっとするような、柔らかい美味しさ。かなり好きだ。
女将さんは、僕が1杯目のホッピーを飲み干し、トンとジョッキをテーブルに置くと、ひと呼吸置いてから「ナカですか?」と聞いてくださったり、食後の絶妙なタイミングでお茶を出してくださったりと、とにかく目配り気配りがすごい。おかげで本当に良い時間を過ごすことができた。また来て、次は黒炎竜の棲家を食べてみようかな。
と、この原稿を書くにあたり、黒炎竜の棲家のことを検索してみたら、とてもおもしろい情報も判明した。なんでもあれ、「ハリー・ポッターを観たことがないというご主人がイメージで作り上げた魔法メニュー」なのだそう。大好き。そういうノリ。やっぱり必ず食べにいこうっと。




