90年代、かとうれいこと人気を二分した巨乳グラドルの代名詞的存在・細川ふみえ。極小ビキニがバッチリと決まる94cmの柔らかバストが圧巻! 撮影/藪下修 『週刊プレイボーイ』1992年29号より 90年代、かとうれいこと人気を二分した巨乳グラドルの代名詞的存在・細川ふみえ。極小ビキニがバッチリと決まる94cmの柔らかバストが圧巻! 撮影/藪下修 『週刊プレイボーイ』1992年29号より

多くの巨乳グラドルを発掘。1990年から始まった“巨乳ブーム”の仕掛け人、野田義治サンズ会長にこれまで輩出してきた巨乳グラドルと巨乳の魅力を語ってもらった!

―巨乳を戦略的に売り出したきっかけはあるんですか。

野田 いや、何もないよ(笑)。たまたまスカウトしたコが巨乳だったり、あるいは紹介してもらったコが巨乳だったという、それだけなんです。

―へぇ~。

野田 ただ、確実に言えることは、胸がデカイだけじゃ売れないってこと。それ以外にも顔がかわいかったり、頭の回転が速かったり、何かもうひとつ武器がないとダメなんです。逆に言えば、それさえあればこの業界で長くやっていける。

―なるほど。

野田 ただ、当時、ウチにいたコの多くは巨乳がコンプレックスでね。どのコも水着はイヤがりました。特に、胸をより大きく見せるために小さめの水着をつけさせたから余計にやりたくないって。

―そんな方々の話を少しお聞きしたいです。まずは、かとうれいこさん。

野田 スカウトした時は胸が大きいなんて知らなかったんですよ。ただ、“和顔”だったのがよかった。日本人に絶対に嫌われない顔ってあるんです。まさに彼女はその和顔で、尚かつ胸も大きかったからグラビアに向いてたんだよね。

―続いては細川ふみえさん。

野田 ふみえは「ミスマガジン」でデビューしたんだけど、その時の関係者から紹介されてウチに来たんです。色気のある体つきと、あの泣きそうな顔がよかったんでしょうね。なんとかしてあげたくなるような気持ちになるでしょ(笑)。

あの伝説のグラドルを日本に求めて

―確かに(笑)。お次は雛形あきこさん。

野田 雛形は元々、子役として劇団にいたコで僕が気になってスカウトしたんです。一番の魅力は、ぼーっとしてるところ(笑)。それでいて、女優としてのスイッチが入ると別人のようになるのがすごい。あと、雛形も和顔なので嫌われにくいのもいいところですね。

―MEGUMIさん。

野田 最初は「歌がやりたい」ってウチに来たので、歌とグラビアを同時にさせました。感心したのは、すごく研究熱心なところ。グラビアをやるにしても、ポージングとか表情の作り方とか、自分で考えて現場に臨むんです。それと、とても頭の回転が速かった。ああいうコはなかなかいないですね。

―山田まりやさん。

野田 デビュー当時からよくしゃべるコだったんだけど、大人に交じっても物おじしないでトークできるところがよかった。それでいて、グラビアではめちゃくちゃかわいい表情をするのも魅力でした。

―では、野田会長が一番理想とするグラドルって誰なんですか。

野田 アグネス・ラムです。美人だけど親しみやすい顔立ち、グラマラスで無駄な肉がない完璧なスタイル。初めて見た時から、ものすごいインパクトがありました。ああいうコが日本のどこかにもいるはずなんだけど、それを見つけるのはとても難しい。だからこそ、この仕事は面白いっていうのもあるんですけどね。

―最後に、巨乳の魅力ってズバリどこにありますか。

野田 ひと言でいえば「母性本能」です。これは人間にとって生まれた瞬間から感じるもの。子供は母親からしか生まれないし、その母親の象徴は絶対におっぱいなんです。そこに気がつかなかったら今の僕はいなかったかもしれませんね(笑)。

野田義治(Noda Yoshiharu) 1946年生まれ、富山県出身。芸能プロ「イエローキャブ」を設立し、1990年から巻き起こった巨乳ブームのきっかけをつくる。売り出した巨乳グラドル第1号は堀江しのぶ。現在は「サンズエンタテインメント」会長として、タレントの発掘と育成に全力を注いでいる