【衝撃独白】北朝鮮に逮捕された男が明かす"絶望の生還劇"「北朝鮮での恐怖は心の奥底に沈めたまま、あの世へ行くつもりでした」

写真提供/寺坂氏

寺坂氏の北朝鮮進出の契機となった羅津のカジノ。友人の依頼で見学に行ったが、「設備があまりにも不十分で、彼には見送りを勧めた」という寺坂氏の北朝鮮進出の契機となった羅津のカジノ。友人の依頼で見学に行ったが、「設備があまりにも不十分で、彼には見送りを勧めた」という

2008年、北朝鮮の経済特区・羅先。現地で水産加工会社を営んでいた日本人実業家が、突如として拘束された。突きつけられた容疑は「国家反逆罪に匹敵」するという為替法・関税法違反。スパイの監視、仕組まれた事業強奪、人民裁判の恐怖――。そして水面下で動いた激しい交渉と国境解放劇。日本国内で一切報道されなかった邦人逮捕事件の全貌を、あれから18年がたった今、当事者が初めて明かす。

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【報道されなかった邦人拘束事件】

「北朝鮮でのことは全部、心の底に沈めたまま、あの世に行きたいと思っていました。それでも、吐き出せば、少しは楽になるかなと思ってね」

静かにそう語る男性の言葉には、18年がたった今も消えない重みが宿っていた。

2008年、北朝鮮の羅津(ラジン)と先鋒(ソンボン)という地域からなる経済特区・羅先(ラソン)で現地当局に拘束された寺坂氏(仮名・現在82歳。以後、登場人物はいずれも仮名)。水産加工業を手がけていたある日、突然連行され、死をも覚悟の極限状態の末、命からがら解放された。

寺坂氏が事業を手がけた北朝鮮・羅先は中朝国境に位置する経済特区として、当時は外資導入が進められていた寺坂氏が事業を手がけた北朝鮮・羅先は中朝国境に位置する経済特区として、当時は外資導入が進められていた

国内では一切報道されなかったこの事件。拘束時の記憶をたどると、今も恐怖と怒りで手が震えるという。それでも昨冬から、胸の奥に押し込めてきた体験をSNSで少しずつ言葉にし始めた。

寺坂氏が「生き延びたのではなく、生かされた」と振り返る体験とは、いったいどのようなものだったのか。

寺坂氏は1944年に福島県で生まれ、終戦直後に北海道へ移住。幼少期に激しい差別を目撃した原体験から、「国や人種といったレッテルではなく、目の前の〝人間〟を見るようになった」という。

画家を志していたが、父親の不慮の事故により30代前半で家業の木材会社を継承。絵描きへの夢を封印した。

転機は90年代半ば、50歳を迎える頃。国内資源の枯渇を受け、中国・延吉(えんきつ)へ進出するが、工場内での激しい民族間対立や幹部による横領など、度重なるトラブルで工場は閉鎖に追い込まれてしまう。

「それでも現地の雇用を守る」と2000年代初頭に新会社「天愛貿易」を設立した。北朝鮮でビジネスを始めるきっかけは、学生時代の友人・平久保氏からの依頼だった。

「中国で新事業を立ち上げるとき、日本で健康食品会社を営む平久保に相談していた。彼から『羅津のカジノ事業を視察してきてくれ』と頼まれていたんだ」

「天愛貿易」の北朝鮮事務所。近くでは政府幹部を慰労する美女グループ「喜び組」の地方オーディションが開かれることもあった「天愛貿易」の北朝鮮事務所。近くでは政府幹部を慰労する美女グループ「喜び組」の地方オーディションが開かれることもあった

結局、カジノ計画は頓挫したが、現地で海沿いの海面に黒々と昆布やワカメが広がっているのを目にする。

「これを中国に持ち込んで加工・販売すれば商売になると思ったんだよ。向こうが漁業権と働き手を出して、こちらが中国から設備を持ち込む。

そうして中国と北朝鮮の合弁会社をつくった。今思えば無謀だね。周囲から止められたけど、現場を見てると『いける』って錯覚しちゃうんだ」

寺坂氏の母が工場を出すときに書いてくれた書。西郷隆盛の「天を敬い人を愛す」という言葉から取った。「天愛貿易」の名はここからきている寺坂氏の母が工場を出すときに書いてくれた書。西郷隆盛の「天を敬い人を愛す」という言葉から取った。「天愛貿易」の名はここからきている

日朝平壌宣言が発表され、拉致問題が動いたのは02年。その数年後に当たる当時、日朝関係は緊張を抱えており、日本人が北朝鮮に入国し事業に携わることは容易ではなかったが、幾度もの交渉の末に許可が下りたという。

寺坂氏の政治観自体、北朝鮮当局に迎合するものではなかった。中学時代に耳にした「八紘一宇(はっこういちう)」や「大東亜」という言葉に影響を受け、自らの事業でも「東亜」という名称にこだわった。会社名は北朝鮮側と議論になり、最終的に「東亜水産」に落ち着く。

一方、寺坂氏は朝鮮人そのものには親近感を持っていた。

「朝鮮の人とは小さい頃から仲良くしていたからね。俺も親の都合で移住した先でいじめられていたから、心が通じ合ったというか」

会社には側近となる日本語に堪能な従業員がふたりいた。ひとりは朝鮮族(朝鮮系中国人)の李氏、もうひとりは脱北者の息子の金氏だ。

中国で事業を始めた頃からの仲間だった李氏。共に拘束され拷問を受ける。「女癖は悪いが憎めない男だった」という中国で事業を始めた頃からの仲間だった李氏。共に拘束され拷問を受ける。「女癖は悪いが憎めない男だった」という

李氏と共に寺坂氏を支えた金氏。クリスチャンであり脱北者支援もしていたが、拘束時は脱北補助の容疑もかけられる李氏と共に寺坂氏を支えた金氏。クリスチャンであり脱北者支援もしていたが、拘束時は脱北補助の容疑もかけられる

工場には30人ほどの朝鮮人の従業員がおり、最初に驚いたのは、その身なりだった。

「彼らのボロボロのズボンを見たときに『これはなんとかしてやらないと』って思った」

寺坂氏は現地の行事や習慣にも関心を向け、従業員との距離を縮めようとした。

「出勤しても黙って働き出す従業員を見てまず始めたのが挨拶だ。『おはよう』『お疲れさま』を少しずつ教えたら、次第に従業員から僕に『オハ、オハ』と声をかけてくれるようになった。うれしかったね」

だが、会社には当局側から送り込まれた監視役もいた。

「金君が『経理の女性はスパイです』と警告してきたことがある。俺が政治の話をためらわないから『よけいな話はしないで』といさめられた」

北朝鮮の事務所内での写真。複数人いた経理担当の女性の中には、公安当局から送り込まれたと思われる寺坂氏らの「監視役」もいた北朝鮮の事務所内での写真。複数人いた経理担当の女性の中には、公安当局から送り込まれたと思われる寺坂氏らの「監視役」もいた

しかし、こうした姿勢が、当局の警戒を招いたという。

「向こうとしては面白くないよな。それと拘束された時期からして『うまく泳がされていた』とも思える。設備導入が終わって、現地社員が仕事を覚えて、生産が安定し始めた頃だったんだ。

あの日本人を外して、そのまま事業を奪っても回ると判断したのだろう。実は最近、現地の映像を見たら、うちの会社の設備がそのまま使われていた(笑)」

北朝鮮の風景。遠くに検問所が見える。拘束された当日、いつもは笑顔で「お土産は?」などと言葉を交わす女性職員たちの表情は硬かった北朝鮮の風景。遠くに検問所が見える。拘束された当日、いつもは笑顔で「お土産は?」などと言葉を交わす女性職員たちの表情は硬かった

【「国家反逆罪にも匹敵する重大行為」】

そして、運命の朝が来た。

「従業員の給料として払う人民元と円を持って中国側から戻ると、普段なら声をかけてくる検問所の職員が、その日はただ目をじっと見ている。能面みたいだった。『なんか違うな』と思ったね」

事務所に着くと側近の金氏が血相を変え駆け寄ってきた。

「公安に、うちを密告する情報が入ったそうです」

思い当たることはあった。

「北朝鮮では違法と知りつつ、従業員の給料を元や円で支払っていたんだ。従業員からの要望もあったし、偽札対策の面もあった。それと、中国から持ち込んだ発電機用燃料の申告に不足があった。ただ、根回しは済ませているつもりだったから、そのときはなんとかなると思った」

寺坂氏はひとまず気持ちを落ち着けるべくコーヒーを手に取った。

そのとき、事務所の敷地に古びた軍用車両が2台入ってきた。公安官と兵士たちが降り、扉から寺坂氏の元へ真っすぐ歩いてきたという。

「今からあなたたちを拘束します」

その言葉を訳す金氏の声は震えていたという。30分ほど走って着いたのは公安施設。着くなり取調室に入れられた。

「窓もない部屋に薄暗い照明がついて、ドアの前には銃を持った兵士。壁際には公安官が並んでいたけど、根回しをした見知った顔はいなかった。通訳は50歳くらいの女性で、なまりが強くて何を言ってるのか全然聞き取れなかったよ」

公安官は寺坂氏のバッグの中身を並べ始めた。着替えに、給料として持ち込んだ人民元と円、それから給与台帳。

女性通訳の言葉は相変わらず聞き取りづらかったが、次の一文だけは、はっきりした日本語で告げられたという。

「あなたは為替法違反および関税法違反の容疑で逮捕されます。国家反逆罪にも匹敵する、極めて重大な行為です」

そのまま留置場へ入れられた。やがて別室から会社の側近だったふたりが取り調べを受けている声が聞こえてきた。

「何やら激しい音がして、金君たちが叩かれたり蹴られたりしているのがわかった」

寺坂氏自身も、銃を持った兵士に囲まれ長時間にわたり供述を迫られた。強い不安感の中、昼と夜の感覚も次第に曖昧になっていった。

ある朝、ぬるいトウモロコシのスープを食べていると、公安官らが現れて言った。

「今から人民裁判の見学だ」

行き先は公民館のような建物。裁判所の前方に15人ほどの被告が並んでいた。壇上には裁判官が座り、近くに銃を持った兵士が立っていた。

そこで朝鮮語で「公開処刑」「銃殺」といった判決が下っていくのを聞いた。

「そのときに初めて、俺は本当に殺されるかもしれないと実感したよ」

死を意識したとき、頭に浮かんだのは祖父の言葉だった。

「死ぬときは後ろではなく、相手に向かって倒れて死ね」

独房で気持ちが沈むたび、その言葉を思い出した。自らを鼓舞すべく、学生時代からたしなむ剣道のかけ声を上げ、時には、銃を向けてくる兵士に向かって声を張った。

「殺すなら殺せ、という心境だった。向こうはびっくりしていたけれどね(笑)」

拘束から数日後、中国人の顧問弁護士が連絡を受け駆けつけた。彼は「人権蹂躙(じゅうりん)だ」と北朝鮮側に強く抗議すると同時に、中国側にも状況を伝え、その後の救出交渉で人脈をつなぐ役割を担ったという。

そしてある日、寺坂氏は布袋をかぶせられ移送される。

「ああ、ついに殺されるんだなと思ったね」

車が止まった山中には古い一軒家があり、その入り口に銃を持った兵士が3人と小柄な老女が立っていた。寺坂氏が後に「オモニ(お母さん)」と呼ぶようになる女性である。

兵士からは「まだ自由ではない」と告げられた。老女とはほぼ言葉が通じなかったが、寺坂氏の世話をしてくれた。

「オモニは母のような雰囲気で、俺を気遣ってくれた。身長が低い痩せたおばあさんだったが、非常に親切だった」

生活が始まると、言葉が通じないなりに、少しずつ日々のやりとりが生まれていった。

「あるとき、俺が若い頃に絵を描いていたことを身振りで伝えると紙を用意してくれた。そこで一軒家からわずかに見える日本海を描いた」

絵を見せると老女は喜んだ。続いて彼女の似顔絵を描くと、兵士のひとりが寄ってきた。

「シン君という若者がちょろちょろのぞきに来て、『自分も絵が好きだ』と言うんだよ」

老女の包丁を研いだとき、彫刻もできることを思い出し、木に大日如来を彫った。

「ところが兵士たちは、それを女性の裸像だと思ったらしい。女だと思って欲しがるんだけど、バカ野郎、違うよ、如来なんだよって(笑)」

寺坂氏の絵画作品。銀座で個展を開くこともあった。北朝鮮での老女や兵士との交流には絵画が大きな役割を果たした寺坂氏の絵画作品。銀座で個展を開くこともあった。北朝鮮での老女や兵士との交流には絵画が大きな役割を果たした

思いがけず始まった久しぶりの創作の日々。そこで寺坂氏は、長く忘れかけていた自分の原点を思い出したという。

「絵は確実にあのときの自分を支えていた。何かがストンと落ちたね。すべてを失ってしまったけど、もともとの夢は絵描き。だから絵描きに戻ろう。生きて帰れたら、妻の経営するパン屋を手伝いながら、絵を描いて一からやればいい」

【6500万円での解放】

だが、山中での穏やかな日々は突然終わりを告げた。ある日、突然やって来た兵士たちが寺坂氏を軍用車両に乗せた。頭からすっぽり黒い袋をかぶせられる。

「今度こそ本当に殺される」

車が止まり袋を外される。すでに辺りは暗かった。

「ここは中国との国境だ。中国兵に見つかれば撃たれる。国境まで側溝を這って渡れ」

兵士に命じられ、何もわからぬまま、冷たい側溝を20分以上夢中で這い進んだ。ただ「生きたい」の一心だった。

国境を越えた先で、先に解放されていた金氏が泣きながら抱きついてきた。その瞬間、寺坂氏は初めて自分が生き延びたことを知った。

実はこの前後、寺坂氏のあずかり知らぬ水面下で激しい救出交渉が行なわれていた。中国で事業をしていた際に義兄弟の契りを交わした中国の外交官・洪氏が折衝を重ね、北朝鮮側に提示された1億円の解放金を6500万円へ減額させたという。

そして、寺坂氏に視察を頼んだ責任を重く受け止めた親友の平久保氏が全額ポケットマネーで用意したのだ。

帰国に向けた最終局面では日本政府も関与したとされるが、当時の日朝情勢への影響からか、事件が公表されることはなかった。寺坂氏自身も「迷惑をかけた負い目もあり」口をつぐんできた。

かつて天愛貿易の事務所が入っていた中国・延吉のホテル。中には北朝鮮の公安事務所もあり、中国に逃げた脱北者の摘発などもしていたかつて天愛貿易の事務所が入っていた中国・延吉のホテル。中には北朝鮮の公安事務所もあり、中国に逃げた脱北者の摘発などもしていた

あれから18年。北朝鮮という国に対し、何を思うのか。

「北朝鮮政府には当然、恨みはある。でも、そこで暮らす人たちとは一緒にやっていけると思った。

俺自身が中国での友人たちに助けられたように、政治とは違う民間の道が必要だろう。人間同士で向き合う道をつくらなければ何も変わらない」

忘れたい記憶の中に、忘れ難い人たちのぬくもりがある。寺坂氏がそんな割り切れない思いに、いつか折り合いをつけられる日は来るだろうか。

●仮名・寺坂(82歳) 
1944年生まれ、福島県出身、北海道育ち。文化学院を卒業し、画家を志すも、父親の事故により家業の木材会社を継ぐ。50歳で中国・延吉へ進出し事業を展開後、新会社「天愛貿易」設立。友人からの依頼を機に北朝鮮・羅先へ進出し、水産加工の合弁会社「東亜水産」を設立。2008年、現地当局に為替法・関税法違反の容疑で突然拘束されるが、中国の友人らによる水面下の身代金交渉で生還。公式X【@group_pathos】などでもその体験をつづっている。

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