
佐藤優
さとう・まさる
佐藤優の記事一覧
作家、元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞
北海道新聞記者はホテル滞在中にFSB局員に部屋に突入され拘束、モスクワの拘置所に送られた。日本に無事、帰国できるのか......(写真:AFP=時事)
ウクライナ戦争勃発から世界の構図は激変し、真新しい『シン世界地図』が日々、作り変えられている。この連載ではその世界地図を、作家で元外務省主任分析官、同志社大学客員教授の佐藤優氏が、オシント(OSINT Open Source INTelligence:オープンソースインテリジェンス、公開されている情報)を駆使して探索していく!
* * *
――10月13日、北海道新聞ユジノサハリンスク支局の日本人男性記者が、ロシア連邦保安局(FSB)によってスパイ容疑で拘束されました。モスクワのレフォルトヴォ拘置所に収監されました。この記者はこの先、どうなっちゃうんですか?
佐藤 収監されている独房は狭く、電気は24時間点灯されっぱなしです。一番キツいのは人と一切話すことができず、通信もできないことです。当然、看守もほぼ話さないし、無口で食べ物を入れるだけです。ちなみにシャワーは一週間に1回、5分程度です。
長期間、人と話さないと拘禁反応が出てきます。それと同時に、捜査官しか話せる人がいないので、そこで人間関係を作ってしまうんですよ。
――なんと恐ろしい。その関係を築いた上でFSBが調書を作ると。
佐藤 そうです、検事ではなく捜査官が作ります。
――そこに弁護士はいないのですか?
佐藤 いません。それは予審制度と言われていて、戦前の日本もそうでした。
――一気に『蟹工船』の世界へ......。
佐藤 それより、小林多喜二の『独房』(1931年)という作品がこの状況に合致しています。書き出しがこれです。
『誰でもそうだが、田口もあすこから出てくると、まるで人が変ったのかと思う程、饒舌(じょうぜつ)になっていた。八カ月もの間、壁と壁と壁と壁との間に――つまり小ッちゃい独房の一間(ひとま)に、たった一人ッ切りでいたのだから、自分で自分の声をきけるのは、独(ひと)り言(ごと)でもした時の外はないわけだ。何かものをしゃべると云ったところで、それも矢張り独り言でもした時のこと位だろう』
これを読むと、そこの雰囲気がよくわかります。
――すさまじい!! 痛いほどよくわかります。ただ、こんなときに役立つ本があるとか?
佐藤 『スパイのためのハンドブック』(早川文庫)ですね。
――1982年に出版された、イスラエルの情報機関で実際にスパイとして活動したウォルフガング・ロッツが、自身の経験をもとに書いた実戦的なスパイ入門書ですね。
佐藤 そこにはこうあります。『ペンを握る力があるのならば、自白書にサインする』。大切なのはその人が生き残る、生き続ける事を優先することです。
――でも、この人は記者であってスパイじゃないですよね?
佐藤 FSBはスパイと思っています。なので、シナリオはすでに用意してあります。
――「これにサインしろ」と。
佐藤 そうではなく、「これに沿った話を自発的にして下さい」という意味です。
――それは怖い。その時の対応テクとしては、相手に話し続けること?
佐藤 はい。相手がどれくらい知っているか把握することです。黙秘や否定するのではなく、相手と雑談することで情報を引き出せます。
相手が居丈高(いたけだか)にくるときは、あまり情報を持っていません。相手が証拠を突き付けて理詰めでくるときは、よく知っている状態です。それなら嘘は通用しないから、知っている範囲の中で最小限のことを話すんです。
――まずは「生きて帰る条件を整える」ということですか?
佐藤 はい。まずは命を、健康を大切にすることが第一です。
――弁護士が付くのは、裁判が開始してからだと。調書作成のときにいないのにはビビりました。
佐藤 日本も調書作成の時に弁護士の同席はできませんよ。
――地検特捜部はFSBと同じ......。ロシアで「俺はスパイです」と言ったら、もう終わりですか?
佐藤 似たようなものです。スパイでロシアに捕まって、無罪になった例はありません。東京地検特捜部の有罪率でも99.9%ですからね。
――FSBは100%。懲役何年になるんですか?
佐藤 罪状がひとつであれば10~20年ですが、いくつかあれば併合罪になるので、35年程度まで膨らむでしょうね。どうなるかはわかりませんが、厳しい環境に置かれることは確かです。
――この記者は、北方領土・千島列島からウクライナ戦争に派遣された兵士の人数とか、地元住民から得た軍の動員状況に関する情報を取材していたとか。
佐藤 いま戦争しているんですから、普通に取材するでしょう。
――そりゃ、もちろんです。ですがFSBから見るとスパイに?
佐藤 それを継続的にやっていて、日本政府の官僚に言われてその情報を伝えているとなれば、それは取材活動ではないと判断されます。
――スパイ活動となる。すると、FSBの狙いはなんなのですか?
佐藤 FSBはとにかくスパイを釣り上げるのが仕事です。目の前にいる人間をスパイ事件の犯人として完璧に仕上げて、できる限り大きな話にするんですよ。捜査機関とはどの国でもそんなものです。
――唯一の朗報は、26日に日本大使館領事が拘置所でその記者と面会ができたことです。つまり、外交ルートは生きていると? 解決方法はあるのですか?
佐藤 そうですね。解決法もいろいろありますが、まず、国際ハッカー集団「Qilin(キリン)」とは絡めないことです。
――日本警察は5月に、キリンの中心メンバーとされる28歳のロシア人男性を大阪で逮捕して、身柄を先月2日にドイツに引き渡しました。今回の記者の件はその報復との報道があります。
佐藤 それはでたらめです。キリンを絡めると、西側全体とロシアの対立問題になり、西側全体で調整しないといけないから、日本としては何もできなくなってしまいます。
――日露関係だけでやれ、と?
佐藤 そうです。そうすると考えられるのが、今月開催されるアジア太平洋経済協力(APEC)です。そこで日露首脳会談をやって、日露関係全体が改善する雰囲気で出てくれば、露大統領府から「やめとけ、そいつは追放しろ」との政治判断が出される可能性があります。
――恐怖のFSBも露大統領府の命令は聞くのですか?
佐藤 100%聞きます。そもそも今回も「進めろ」と言っているのは、露大統領府でしょうね。「なにかここにありそうだ」という事件の弾は、FSBはいつも持っています。そこで露大統領府が「やれ」と言えば、FSBが「ではその弾、装填します」となるんです。ロシアの場合、政治の指導がなければ動きません。
――2024年に米ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の記者が、ロシアでスパイ容疑で拘束、裁判所から懲役16年を喰らいました。しかしその後、米露間の大規模な身柄交換で釈放されました。これと同じ方法で、記者が日本に戻れませんか?
佐藤 その件は今回、参考になりませんね。WSJ記者の場合、かなり軍事産業に食い込んだ取材をしていましたから。しかし、日本の場合はそうではありません。
トランプとベラルーシとの関係が改善された際に、合わせて日本人が釈放されましたよね?
――はい。スパイ罪で懲役7年の判決を受けた日本語教師ですね。ベラルーシで日本語を教えていた鉄道マニアで、国境付近の写真を撮影していたのを理由にスパイ活動とみなされた。日本政府はスパイ活動を否定し、繰り返し釈放を要求していました。
佐藤 だから、日露の枠の中で「じゃあこの問題は終わりにしよう」という政治判断が必要になります。
――となると、まず、ドイツを巻き込まずに全然違うところで動く。それは、高市首相とプーチン露大統領の間で、「日露関係は良い感じに改善されましたね」という流れをつくって釈放、となるのですか?
佐藤 そうです。アメリカがいま対露制裁を解除していますが、日本もそれと同じ流れに入れば解決に向かうでしょうね。
――日本も対露制裁を解除するのですか?
佐藤 はい。そうしたらロシア側も、記者の件は事件としてあるけど、高度な政治判断で「我が国から追放する」と打ち切りになります。そういう駆け引きですよ。
――ならば、高市幕府の御庭番隠密支配、国家情報局の出番。高市首相の適切な判断に従ってすぐに動く、ということですか?
佐藤 トランプ政権の対露政策に日本が歩調を合わせれば、日本人記者が釈放される可能性が出てくると私は見ています。
次回へ続く。次回の配信は11月13日(金)を予定しています。