市川紗椰の夏の記憶 今は恋しい"Tシャツ"「一枚の勇気」と「一枚の解放感」

ハウステンボスにて、秋ファッション全開のロケ

『週刊プレイボーイ』で連載中の「ライクの森」。人気モデルの市川紗椰(さや)が、自身の特殊なマニアライフを綴るコラムだ。今回は「Tシャツ一枚」について語る。

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朝の風が冷たくなってきましたね。お犬さまの散歩に出かけると、どこからか金木犀(きんもくせい)の香りがしてきて、空の色もなんとなく「もう夏じゃないですよ」って言っているような気がする今日この頃です。

それでもクローゼットを開けると、あの夏のTシャツたちが、畳まれたままこっちを見てきます。「ねえ、あの頃の勇気、まだある?」とでも言いたげに。

思い返せば、あの〝真夏の一枚〟の日。天気予報は「35℃」。日差しも申し分なかった。私はその日、「『Tシャツ一枚で出かける日』がついにやって来た!」と胸が躍った。なのに、玄関の鏡の前で3分止まる。ビジュアル的な違和感はない。でも、「何かを羽織らないで外に出る」っていう、小さな決断が思いのほか難しい。

テロテロのシャツか、ビンテージのパーカ、薄手のカーディガン。この〝羽織り三銃士〟、私にとってお守りみたいなものです。Tシャツの上にそれがあるだけで、二の腕も、脇汗も、服のシワも、全部見なかったことにしてくれる。Tシャツの上の羽織りは「安心」の代名詞。社会的に整ってる感じがする、ちょっとした鎧(よろい)。

それでも、Tシャツ一枚で外に出たときのあの解放感は何物にも代え難い。肩まわりが軽くて、腕が空に近くて、風をそのまま感じられる。まるで「服を着ていないのに合法」と錯覚するかのような、夏の特権。その無防備さこそが、どこか夏そのものみたいで、大好きなのです。あの軽さを思い出すと、心まで透けるような解き放たれた気分になります。

でも、自由にも敵がいました。Tシャツ一枚最大の敵、それはエアコン。外は真夏でも、建物の中は〝北極〟設定。首の後ろをピンポイントで狙ってくる冷風。「その格好で入ってくるなんて、覚悟ある?」と、空調が私に問いかけてくる。今年の夏も幾度となく、居酒屋で無意識に腕をさすりまくってる自分がいました。自由の代償としての鳥肌。〝真夏の戦場〟の記憶ですね。

そう思うと、Tシャツ一枚はただの服装じゃないかもしれない。「お、ちゃんと夏してるな」という証しでもあり、他人の視線とか、温度差とか、いろんなものを引き受けて立つ姿勢の表れです。これぞ覚悟だぜ。

今はもう、デフォルトで羽織りを手に取るか、なんなら最初から長袖を着る季節になりましたね。でもクローゼットでTシャツを見るたび、私はあの日の体温を思い出します。あの「一枚の勇気」と「一枚の解放感」を思い返すと、ちょっとだけ胸が熱くなる気がします。あの軽さ、あの風、あのちょっと怖い自由。あー、夏さいこー。

ちなみに、私はまだ、サンダルを履き続けてます。Tシャツ一枚同様、夏の自由の象徴、サンダル。社会の目を気にせずに、足先が冷え切るまでこれを引っ張っていくつもりです。

●市川紗椰
1987年2月14日生まれ。米デトロイト育ち。父はアメリカ人、母は日本人。モデルとして活動するほか、テレビやラジオにも出演。著書『鉄道について話した。』が好評発売中。寒暖差におびえて、毎朝クローゼットの前で立ち尽くしている。公式Instagram【@sayaichikawa.official】

『市川紗椰のライクの森』は毎週金曜日更新!

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