ザ・いやみ不動産、「ヘストライアングル」
『週刊プレイボーイ』で連載中の「ライクの森」。人気モデルの市川紗椰(さや)が、自身の特殊なマニアライフを綴るコラムだ。今回は、アメリカで見つけた不思議なスポット「ヘストライアングル」について語る。

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この春、2年ぶりにアメリカに帰国しました。こんなにアメリカから離れたことがなかったし、いつまた行けるかわからないので、ひたすら散歩して、景色を目に焼きつけました。そこで発見した不思議なスポットを紹介します。

ニューヨークの7番街とクリストファー・ストリートが交差する所に、一軒のたばこ屋があります。赤いレンガと深緑の鉄の外壁のお店で、隣はピザ屋さん。至って普通の景色だし、私はシガーも吸わないから今まで気づかなったけど、店の前の歩道にタイル製の不思議な標識がありました。

形は一辺65㎝くらいの逆三角形。日本の「止まれ」の標識をひと回り大きくしたくらいで、長年多くの通行人に踏まれたせいか、いくつかヒビが入っている。そしてそこには、細かいタイルモザイクで「PROPERTY OF THE HESS ESTATE WHICH HAS NEVER BEEN DEDICATED FOR PUBLIC PURPOSES」の文字が。直訳すると、「ここはヘス家の所有地。公共の用に供したことはない」。お、おぅ。事情は知らないけど、製作者はだいぶ怒っているのがわかったので、調べてみました。

1910年、ニューヨークの7、8番街と31、32ストリートに囲まれた街区に、ペンシルベニア駅、通称ペン・ステーションが誕生しました。グランドセントラル駅に続くこの大規模ターミナル駅の誕生に伴い、7番街の下を走る地下鉄1系統と7番街そのものの延伸が決定しました。方格設計されていることで有名なマンハッタンですが、14ストリートより南は升目ではなく不規則な道路配置。7番街を真っすぐ南に延ばすと、250戸以上の建物を取り壊す必要があったそうです。

このとき市の差し押さえを拒んだ大勢のビルのオーナーの中に、例のヘス家の当主、デビッド・ヘスもいました。ヘス氏は所有する5階建てのアパートが延伸計画によって丸ごとなくなることを知り、抗議や裁判で繰り返し、市と闘います。しかし、市は強かった。1916年、7番街は延伸し、ヘス氏の土地は消えました。......と思いきや。

完成後の市の調査により、計算間違いがあったことがわかり、ヘス氏の土地がほんの少し残っていることが判明。小さな小さな土地だけど、そこが正式に歩道の一部になるように市はヘス氏の遺族に寄付を要請します。しかし、父親の無念を知るヘス家は、断固拒否。今度は裁判で勝利し、1922年、「ざまあ見ろ」精神満載に土地いっぱいに今回のメッセージ入りのモザイクを作りました。これぞ恨みのトライアングル。簡単に上塗りできちゃうペイントではなく、隠したり、取り除くのが難しいタイルを道に埋め込むという執念深さも嫌いじゃないです。オール大文字の叫んでる感じもいい。歩行者の邪魔になるような看板にしなかったのは好感が持てます。

現在はオーナーは代わりましたが、通称「ヘストライアングル」は、ニューヨーク市で一番小さな私有地ともいわれています。市民的不服従なのか、単なるいやみなのかよくわからないけど、オーナーが代わった今でも残されていることが、なぜかうれしいです。

●市川紗椰
1987年2月14日生まれ。愛知県名古屋市出身、米デトロイト育ち。父はアメリカ人、母は日本人。モデルとして活動するほか、テレビやラジオにも出演。著書『鉄道について話した。』が好評発売中。ずっと立ち退きと闘っていた、近所のたこ焼き屋さんの跡地の道路にある500円玉くらいのシミは、たこ焼きの怨念がつくり出したものだと信じている。公式Instagram【@sayaichikawa.official】

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