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『吉田拓郎から始めるロックスター列伝』著者の田家秀樹氏(左)とスージー鈴木氏
今年80歳を迎えた吉田拓郎といえば、フォークソングのイメージが強いが、田家秀樹氏とスージー鈴木氏の共著『吉田拓郎から始めるロックスター列伝』(インターナショナル新書)は、そんな「通説」からアーティストを解放する。
拓郎、沢田研二、矢沢永吉、井上陽水、中島みゆき、松任谷由実、桑田佳祐、浜田省吾、佐野元春、松田聖子、中森明菜、忌野清志郎、氷室京介――歴史をつくった13人のアーティストの功績、知られざるエピソードを語りつくす対談本だ。本書より一部抜粋してお届けする。(全3回の3回目)
田家 スージーさんから見て、拓郎さんが音楽的に優れている点はどこですか?
鈴木 音楽理論的にはコードの使い方が非常にマニアックと言いましょうか。専門的というのとはある種、逆なんですけど、「結婚しようよ」や「イメージの詩」はいわゆるヨナ抜き音階という、四(ファ)と七(シ)が入らない五音音階です。鼻歌みたいなメロディで、素朴な、日常の感覚を表現しやすい。
作曲家の筒美京平が吉田拓郎を脅威に感じたという、僕が大好きな話があります。自分たちが一生懸命にジャズやクラシックを勉強してきたところに、土足で踏み荒らすように吉田拓郎が現れたという。洋楽的で複雑なものを良しとする価値観とは別の志向で、吉田拓郎の誰しもが歌えるメロディは衝撃的だったと思うんですね。
さらに言うと、「結婚しようよ」「旅の宿」、そして、3枚目のアルバム『元気です。』(72年)は音楽として本当によくできています。まず、「結婚しようよ」は加藤和彦プロデュースで、アレンジが楽しい。今の若い音楽好きが聴いても新鮮に響くんじゃないでしょうか。同時期のフォークにはない、アイデアの豊富さがある。例えば「結婚しようよ」で、ドラマーの林立夫が椅子を叩いているとか。音楽を楽しく作っている感じが他のフォークソングとは違うと思います。
田家 リズム感が違う。
鈴木 リズムと、演奏ですね。松任谷正隆を抜擢したり。『よしだたくろう LIVE '73』は録音も良くて、こんなに素晴らしい演奏をしているんだっていう驚きがありました。音楽主義とでも言いましょうか、半世紀経った現在でも聴くに値する音楽というのが、私にとっての吉田拓郎の印象です。『伽草子』の1曲目「からっ風のブルース」の冒頭の跳ねるようなベース、これがまたかっこいい。
田家 「吉田拓郎=フォーク」という括りがいかに一面的な見方であるかというのを物語る1曲ですね。
鈴木 「高円寺」(『元気です。』収録)なんか、コード形態が〝ソウルの帝王〟ジェームス・ブラウンですから。ファンクっぽく「E7→A7」を繰り返し、16ビートのリズムを刻んでいる。ああ、この人はジェームス・ブラウンがやりたかったんだって感じられます。僕はジェームス・ブラウンのほうを先に知っていて、後から初期の吉田拓郎を聴いたので、この人はリズム&ブルースの人なんだなって自然に理解できました。
田家 よく聴いていたんでしょうね。サム&デイブやウィルソン・ピケットも拓郎さんのレパートリーでしたからね。
鈴木 レイ・チャールズのカバーもやっていますしね。だから私が想像したのは、女の子にキャーキャー言われて「フォークのプリンス」なんて称されたけど、本人は「なんでわかってくれないんだよ、『からっ風のブルース』のイントロを......」などと思っていたんじゃないかって。
田家 そういうジレンマも抱えていたと思うけど、GSみたいにキャーキャー言われるのは気持ちよかったと思いますよ。広島時代から人気者だったし、スター志向はあったでしょうから。
鈴木 その両立は、なかなか日本のミュージシャンには難しいですよね。自分はジェームス・ブラウンなんだ、リズム&ブルースの本格派なんだと志向したら、女の子からキャーキャー言われることを避けて求道的なほうに行く。あるいは逆に、アイドル路線に振り切る。吉田拓郎はこの両方を備えている稀有な音楽家なんですね。
田家 兼ね備えていたにもかかわらず、「結婚しようよ」以降、世間のイメージは「フォークのプリンス」一辺倒になってしまった。
鈴木 「フォーク」も「プリンス」も嫌だったんじゃないですか。
田家 そしてメディアから「毛の長い生意気なやつ」と叩かれ続けた。これは有名な話ですが、1972年に拓郎さんが最初の結婚式を軽井沢の教会でやったとき、マネジメント会社ユイ音楽工房の社長で、のちにフォーライフ・レコードの3代目社長になる後藤由多加さん(拓郎、かぐや姫、長渕剛、BOØWYらを手がける)がバットを持っていってるんですよ。
鈴木 結婚式にバット?
田家 芸能マスコミが来たら追い返してやる、と。
鈴木 何が起きてるんだ、めでたい結婚式なのに(笑)。
田家 メディアが結婚式をどう取り上げるか、どうせろくな扱われ方をしないだろうって思っているわけです。
鈴木 髪の毛伸ばしたフォークのプリンスが軽井沢で結婚式挙げて、と。
田家 音楽の話は全然取り上げられない。だから、メディアの取材は受けない。テレビに出ないミュージシャンの先駆けになったのは拓郎さんですよ。インタビューを受ければ、酒飲んで喧嘩したとか、女の子をナンパしたとか、私生活の話しか聞かれない。確かに私生活はいろいろあった人ですけど、なんでこんな取材ばっかりなのってウンザリしていたでしょうね。
さらに、生の歌謡番組のリハーサルで「イメージの詩」を歌ったとき、「なんでそんな長い曲を歌うんだ、半分にしろ。テレビをなんだと思ってんだ」って言われて、スタッフに平手打ちされたという話もある。
鈴木 ええっ!
田家 そういうこともあって、テレビは音楽をちゃんと伝える場ではない、という思いを強くしていった。
鈴木 その時代の吉田拓郎は大変だったかもしれないけど、桑田佳祐がラジオで「高校生ぐらいのときに、フジカラーのCMソングを吉田拓郎が歌っているのを聴いて、音楽で金を稼ぐっていうのはすげえいいなと思ったんです」という意味のことを言っているんです。
田家 いい話ですね。
鈴木 矢沢永吉はソロになった後、郷土の先輩としてリスペクトしている吉田拓郎に頼るんですよね。ラジオ番組に出たりして。音楽は思想、闘争と結びついていたけれども、それと「売れる」ということは相反するものじゃなくて、両立できるんだ、いい音楽をやれば売れてもいいんだよっていうことを、吉田拓郎は音楽を通じて桑田佳祐と矢沢永吉に教えた。本書のタイトルにも通じる「すべては吉田拓郎から始まった」ことの根幹だと思うんですよね。
田家 桑田さんが『KAMAKURA』(85年)の中で「吉田拓郎の唄」という曲を歌っているじゃないですか。
鈴木 初めて聴いたとき、吉田拓郎のことを辛辣に歌っているから大丈夫かなと思ったら、あれは応援歌なんですね。吉田拓郎という人がいなければ、自分はいなかったっていう。
田家 一種のカミングアウトですからね。拓郎さんへの愛情ですよ。
鈴木 ただ、私のような音楽フリークでも半世紀経ってようやく、吉田拓郎のジェームス・ブラウン性を理解したんですから、当時はもっと伝わらなかったでしょうね。
鈴木 72、73年頃の吉田拓郎は日本の音楽シーンをどういうふうに捉えていたと思いますか?
田家 上の世代とは違う新しい旗を誰が立てるかとか、本当に歌うべき音楽は何なのかとか、日本の音楽ビジネスはこれでいいのかとか、ミュージシャンの権利はどこにあるのかとか、さまざまなことを考えていたと思います。それが自分たちのレコード会社、フォーライフ・レコードの設立に向かっていくわけです。
鈴木 使命感ですよね。
田家 『よしだたくろう LIVE '73』は、その改革の前兆だとも言えます。「フォークのプリンス」でありながら、ホーンセクションを入れたファンキーなライブアルバムになっている。ほとんど新曲で作ったライブアルバムという意味でも画期的でした。
鈴木 ストリングスも入って、豪華な編成で、演奏が上手い。そして73年とは思えない録音の良さ。会場は今はなき、開業してすぐの中野サンプラザでした。
田家 ミュージシャンが本当にやりたい音楽をやれるような存在として、ひとつの立場を手にするようになっていったのが、このあたりからでしょうね。拓郎さんは70、71年がエレックで、71年から74年までがCBSソニー。その後がフォーライフ。ここで明らかに変わりました。
鈴木 フォーライフは1975年に小室等、吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげるにより設立されましたが、当時、ミュージシャンがレコード会社を作るなんていうことは前代未聞で、さまざまなハレーションを生んだんですよね。大手レコード会社の圧力でレコードの流通ルートが得られなかったとか。これはいじめでしょう。
田家 あの人の歴史は上の世代、それから業界やメディアから叩かれ続けた歴史でもありますが、その最大のダメージ、トラウマになっているのがフォーライフですよ。
鈴木 吉田拓郎の中でどんな忸怩(じくじ)たる思いがあったんですか?
田家 僕が聞いてきたのは、そもそもフォーライフ設立にはふたつの流れがあって、ひとつは小室等さんのところに「小室さんが新しいレコード会社を作るんだったら、お金を出しますよ」という人が現れたこと。
もうひとつは、拓郎さんとユイ音楽工房(現・ユイミュージック)社長の後藤由多加さんが、アメリカにボブ・ディランを見に行ったこと。東京競馬場で野外イベントをやりたい、バックはディランのバックを務めていたザ・バンドで、という計画を後藤さんが進めていて、ディランのコンサートを見に渡米した。
そのときに、アーティストが強い権限を持ったり、アーティスト自身がレーベルを持ったりという、アメリカの音楽業界の最新事情を見聞きして、日本とはこんなに違うのか、日本でもそういう新しいレコード会社を作ろう、という発想が拓郎さんと後藤さんの中で出てきた。それが、小室さんの話と一緒になったんですよ。小室さんが、「スポンサーはいるから、やろうよ」と。
ふたりでやっていても面白くないから、井上陽水と泉谷しげるも入れよう、ということで、あの4人になった。しかし、小室さんのところに来たスポンサーがいなくなっちゃう。でも、その時点で、拓郎さんたちがレコード会社を立ち上げるという話が外部に漏れてしまっていましたから、始めざるを得なくなった。
鈴木 出資者ありきの話だったんだ。
田家 そうして始めたものの、レコード協会、レコード店組合から総スカンを食らった。何が一番革命的だったかというと、普通、アーティストやタレントは契約〝される〟側ですよね。契約〝する〟側の人間がレコード会社にいて、アーティストは売れなくなったら契約を打ち切られるわけです。ところがフォーライフでは、本来契約される側だったアーティスト自身が、契約する側に回るわけです。既得権を持っている人たちからすれば、お前たちにそんなことをする権利はないぞ、と。
鈴木 プロ野球でたとえると渡邉恒雄ですね。2004年の球界再編騒動のときの「たかが選手が」という発言を想起します(笑)。
田家 というのが業界の総意ですよ。だから、レコード協会はフォーライフのレコードを扱わない。レコード店組合にも「これは扱うな」というお達しを出すわけです。
鈴木 なんて狭量な......。腹立つなぁ。
田家 そこで、ポニー(カセットテープ販売会社)とキャニオンレコード両社の社長である石田達郎さん(のちにニッポン放送社長、フジテレビ社長)が、「でも、この若者たちには将来があるし、彼らがやろうとしていることに対して応援すべきじゃないか」と救いの手を差し伸べる。レコードはキャニオンレコードが、カセットテープはポニーが扱うということで、ようやく流通ルートが確保できた。そういう始まり方なので、当初は誰も応援なんかしてないわけですよ。
鈴木 ひどい話だなぁ。
田家 それで売れなくなれば、「ざまあ見ろ」「やっぱりダメじゃねえか、あいつら」っていうふうにみんな喜ぶし。で、これは彼らの誤算で思い上がりだったんでしょうけど、4人のクリスマスアルバムというのを作って、初回イニシャル(出荷枚数)は30万枚だったんです。それを聞いたとき、そんなに売れないよって僕も思ったんだけど。4人合わせればレコード売り上げが年間100万枚を超えているわけだから、それぐらいいくだろうという目算だった。いざ出したら、思うような結果にならなかった。「それ見たことか」の大合唱です。あんな連中にレコード会社なんてできるわけないって。
それで、最初の社長だった小室さんが身を引いて拓郎さんが2代目社長になったんですが、その矢先に陽水さんが大麻所持容疑で捕まって、大バッシングですよ。泉谷さんは「俺たちミュージシャンは社長なんかやっちゃいけない」って抜けちゃうし。
鈴木 今でもそう言ってますよね、あの人。
田家 そんな中で拓郎さんは社長を引き受けざるを得なくなった。スーツを着てネクタイ締めて、業界への挨拶回りから、夜の接待までやったんですよ。
鈴木 「フォークのプリンス」と呼ばれた男が......大変だ。
田家 常富喜雄さんという、猫(NEKO)のギタリストで、フォーライフのディレクターで拓郎さんといつも行動していた人がいるんですけど、「拓郎はこれをいつまでやるんだろうと思った」という話をしていました。結局、社長業は4年間やるのですが、その間に原田真二が売れて業績は回復するんですけど、社員をクビにしなきゃいけなかったりもして。
鈴木 そうですよ。社長はそれも仕事ですから。
田家 そのトラウマがすごいんでしょうね。やらなきゃよかったっていまだに言ってますから。人の人生を狂わせた責任は俺にあるんだっていうふうに思っている。そこはやっぱり責任感が強い人だから。
●田家秀樹(たけ・ひでき)
音楽評論家、ノンフィクション作家、ラジオ番組パーソナリティー。1946年、千葉県生まれ。中央大学法学部卒業。著書に『小説吉田拓郎 いつも見ていた広島 ダウンタウンズ物語』『オン・ザ・ロード・アゲイン 浜田省吾ツアーの241日』『読むJ-POP 1945-1999』など多数。
●スージー鈴木(スージー・すずき)
音楽評論家、ラジオDJ、作家。1966年、大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。著書に『桑田佳祐論』『EPICソニーとその時代』『大人のブルーハーツ』『日本ポップス史 1966-2023』『ライバルたちのJポップ史~70年代フォークから令和ヒットの裏側で』など多数。
■『吉田拓郎から始めるロックスター列伝』
インターナショナル新書
語り継ぐべき歴史がある! 日本のロック、ポップスを創成期から取材している田家秀樹と、昭和歌謡から最新ヒット曲まで独自の視点での考察が人気のスージー鈴木。年齢もバックグラウンドも異なるふたりの音楽評論家が、13人のレジェンドたちを「通説」から解き放ち、その実像、功績、知られざるエピソードまで語りつくす、語り下ろし対談本。