「馳さんが破門してくれたから、今の自分がいる」。人を恨まない菊田早苗の人生観

取材・文/布施鋼治 撮影/長尾 迪

2015年、闘病中の垣原賢人を支援するプロレスの大会で、バラモン兄弟と対戦する菊田早苗2015年、闘病中の垣原賢人を支援するプロレスの大会で、バラモン兄弟と対戦する菊田早苗

【連載・1993年の格闘技ビッグバン!】第61回

立ち技格闘技の雄、K-1。世界のMMA(総合格闘技)をリードするUFC。UWF系から本格的なMMAに発展したパンクラス。これらはすべて1993年にスタートした。後の爆発的なブームへとつながるこの時代、格闘技界では何が起きていたのか――。

前回につづき、「寝技世界一決定戦」アブダビ・コンバットで優勝し、パンクラスやPRIDEなどで活躍したレジェンド、菊田早苗をフィーチャーする。

【自分を破門した馳浩と偶然の再会】

2015年3月19日、菊田早苗は夢の中にいた。東京・後楽園ホールで行なわれた安生洋二の引退記念興行。向かい側のコーナーには安生、高山善廣、山本喧一の「ゴールデンカップス」がそろっている。反対側のコーナーに陣取った菊田は船木誠勝、鈴木みのるとトリオを組んでいた。

そう、UWFインターナショナルと新日本プロレスで計3回もプロレスラー失格の烙印を押されながら、のちに格闘技の世界で「寝技世界一」の称号を得た菊田は、遅ればせながらプロレスラーとしてデビューを果たしたのだ。

「安生さん、ヤマケンさん、高山さん、船木さん、鈴木さん。20歳のときの自分が憧れていたメンバーですよ。僕はUWFを脱走した人間なのに、20年後このメンバーに混じって後楽園の6人タッグでメインを張っているなんて信じられなかった」

この日の主役の安生は菊田のことをスーパータイガージムに通っていた頃から知っており、その後一度もリングで絡むことのなかった菊田との対戦を「忘れもの」と定義した。

試合は時間無制限3本勝負で行なわれたので、出場メンバーの中では唯一のグリーンボーイである菊田の出番も多々あった。例えば1本目。鈴木からタッチを受けると、安生に対して掌底を連打しながら突っ込む。安生がヤマケンとタッチすると、因縁の再戦が実現した。

菊田にとってヤマケンは、Uインターに再入門しようとしたとき、未公開の道場マッチでぶつかり、左腕を脱臼させられたという因縁の相手だった。その後、ふたりは2011年10月15日、GRABAKA自主興行のメインで組まれた公式戦で再び激突し、菊田がマウントパンチでTKO勝ちを飾りリベンジを果たしている。このときは3度目の対戦だった。

それにしても、もしヤマケンに腕を脱臼させられずUインターへの入門が許されていたらどうなっていたのか。菊田は「道場マッチが運命の別れ道だったと思う」と振り返る。

「3回目のチャレンジだったから、受かっていたら何が何でも残っていたと思う。でも、そんなにやる気がなく、魅せ方もうまくない適当なプロレスラーになっていたんじゃないですかね。そして30歳くらいで引退していたでしょう」

それゆえに、プロレスラーへの道をキッパリと断念させてくれたヤマケンには深く感謝している。

「だって、あのときやられたから格闘技に行かなければいけなくなった。本当に一件落着。成功も失敗も全部つながっている。いや、むしろ失敗したことのほうが、のちの成功につながっていますよね」

左腕を脱臼させられ失意のどん底に突き落とされた当時の自分に語りかけることができるなら、菊田は言ってあげたいことがある。

「大丈夫。6年後、君は寝技の世界チャンピオンとして世に出てきますよって。まあ当時の自分にそんなことを言ったって、『絶対嘘だ』と反論されると思いますけど」

ヤマケンとの間に遺恨らしきものは一切残っていない。YouTubeで共演し一杯やりながら楽しく語り合っているほどだ。ヤマケンとだけではない。菊田を新日本プロレスの道場から追い出した張本人である馳浩とも再会している。

ある日、渋谷のレストランで食事をしていたら、別のテーブルにいる馳を発見した。

挨拶しようかな? どうしよう......少々ためらいもあったが、意を決して菊田は席を立ち馳のところまで歩を進めた。

「ご無沙汰しております。練習生のときにお世話になりました菊田です」

馳は菊田のことを覚えており、「オオッ」と驚いた顔を見せ、少々ためらいながら言葉を続けた。

「悪かったな」

ということは、道場でのシゴキは単なるいじめだったのか? 菊田は複雑な心境にもなったが、もしかしたらその後の活躍を認めてくれたからこそ出た言葉だったのかもしれない。菊田は、「馳さんの『悪かったな』発言にはいろいろな意味が含まれている」と解釈する。

「ちょっとやりすぎたという意味もあると思うけど、そのあと僕がアブダビ・コンバットで優勝したり、パンクラスの王座を獲ったこと、あるいはプロレス大賞でも賞を獲ったこと(2001年、技能賞を受賞)も知っていたと思うんですよ。のちに才能を開花させる人間をメチャクチャやって潰そうとしたことに対して詫びを入れてくれたんですかね」

もっとも、謝罪がほしいと思ったことなど一度もない。むしろ感謝すらしている。「あそこで馳さんが新日本プロレスから追い出してくれたから、今の自分がいる」と受け止めているからだ。

「ヤマケンさんとの道場マッチもそうだけど、ここも僕の人生のキーポイントになると思う。そもそも坂口征二さんのコネで入ろうとした僕が甘かったなと思いますね」

総合格闘家として現役晩年の2013年、『GRABAKA LIVE! 3』で成瀬昌由に勝利した菊田総合格闘家として現役晩年の2013年、『GRABAKA LIVE! 3』で成瀬昌由に勝利した菊田

【54歳にして初の結婚】

一度は脱走したUWFインターを再受験するきっかけを作ってくれた宮戸優光にも感謝している。菊田は2回目のテストを受けようと宮戸の自宅を訪ね土下座したのだと、今回の取材で筆者に打ち明けた。

「スーパータイガージムからの知り合いだったのに、脱走してから何も連絡をしていなかったですからね」

思い切りぶん殴られることも覚悟したが、宮戸は「体を起こせ」と言いながら、菊田の気持ちを慮った。

「せっかく俺の家まで来たということは今後のチャンスにつながるかもしれない。ここで諦めたら、お前にはもう何もない。選ぶのは、お前自身だぞ」

宮戸のアドバイスに菊田は感動した。

「それまでの僕は何も苦労していない、いわばスポーツエリートでしたからね。でも、それから人間というものはこんなに苦労を重ねるものなんだということがわかって、そこから這い上がっていった。その跳ね返りがなかったら、今の僕はなかったでしょう。過去の自分を振り返って、やめておけばよかったということはひとつもないですよ」

過去に自分に厳しい仕打ちをした者、あるいは結果的に挫折や失敗に導いた者に対しても、菊田は許容する度量を持ち合わせている。相手どうこうより、自分にも非があったのではないかと客観的に捉えることができるのだ。恨んだりはしない。だから宮戸とは、いまでもとても良好な関係を築き上げているという。

「自分の性格はもともとネガティブだったかもしれないけど、挫折するたびにハートが強くなって、ポジティブに変わっていったんだと思います」

現在、菊田は東京の練馬と中野に構える格闘技系のフィットネスのジム「GRABAKA」のオーナーという肩書を持つ。新宿スポーツセンター時代のように公共のスポーツ施設を借りるスタイルではなく、どちらも常設ジムとして運営している。とくに練馬のほうは盛況で、個人経営の格闘技ジムとしての会員数は都内でも有数と聞く。

「現役を終えてから道場やジムをやっている人は多いけど、全員がうまくいっているわけではないじゃないですか。自分のところは何が良かったんですかね?」

指導はキャリアのあるインストラクターに任せることが多い。菊田が指導に入るのはどちらのジムも週イチ程度。残りの時間はトレーニングや趣味の音楽や旅などに費やす。

「もし、今後ジムの経営が傾いたとしても、かつて修行したタイに渡って屋台のチャーハンでも食べながらひっそりと暮らすのもいい。『最終的には失敗にならない』と思っているから強いのかもしれない。そういう思考でいる限り、いつだって成功ですよ」

そんな穏やかな日々を送る菊田に5月20日、久しぶりに大きな出来事があった。交際中の女性と入籍したのだ。紆余曲折の人生を歩みながら、結婚したのは初めて。菊田は「人生は波乗りだ」と感じている。

「自分の身にどんなことが起こっても、そのたび判断すればいい」

目の前の波は穏やかになってきたが、菊田の波乗りは生涯の伴侶とともに続く。

【菊田早苗編 おわり】

波乱万丈の人生で、54歳にして初めての結婚を報告した菊田(本人提供)波乱万丈の人生で、54歳にして初めての結婚を報告した菊田(本人提供)

●菊田早苗(きくた・さなえ) 
1971年生まれ、東京都練馬区出身。GRABAKA主宰。「ザ・トーナメント・オブ・J」を96年、97年と連覇し、リングス、PRIDE、パンクラスなどで活躍。2001年にアブダビ・コンバット88kg未満級に出場し、日本人初の優勝。総合格闘技戦績31勝9敗3分1無効試合。

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  • 布施鋼治

    布施鋼治

    ふせ・こうじ

    1963年生まれ、北海道札幌市出身。スポーツライター。レスリング、キックボクシング、MMAなど格闘技を中心に『Sports Graphic Number』(文藝春秋)などで執筆。『吉田沙保里 119連勝の方程式』(新潮社)でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。他の著書に『東京12チャンネル運動部の情熱』(集英社)など。

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