(左から)乃木坂46の奥田いろは、五百城茉央、岡本姫奈 (左から)乃木坂46の奥田いろは、五百城茉央、岡本姫奈

『週刊プレイボーイ16&17合併号』(4月1日発売)は「グラビア全部乃木坂46!」第2弾!

昨年12月の第1弾に続いて、今回も五期生3人のエピソードを書き下ろした『乃木坂46物語 Another Story』。乃木坂46に出会う前、どんな決心が彼女たちの世界を変えたのか。

■バレエに捧げた12年~岡本姫奈の場合~

岡本姫奈(ひな)には、父親からずっと言われてきた言葉がある。

"一度逃げたら、ずっと逃げるようになる"

「優しいお父さんなんですけど、逃げること、サボることを許してくれなかったんです。6歳から18歳までバレエをやっていて、どんなに行きたくなくても、体調が悪くない限り休ませてくれなかった。"続けること"を小さい頃から教わっていたので、当時はつらいこともあったけど今は感謝しています」

そんな彼女が人生の大半をささげてきたバレエ。七夕の短冊には、小学校の6年間「バレエの先生になりたい」と書き続けた。

「子供の頃は、よくケガをする子でした。でも、バレエが楽しくて、どんなに痛くてもレッスンに行ってました。『姫奈、手が青いから病院行っておいで!』って言われて調べたら骨折してたり。それでも休みたくなかった。友達と遊ぶ時間もいりませんでした」

そんな大好きなバレエも、中学に入ると「つらい」と思うことが増えてきたという。

「中学生になってから、現実的に『将来の仕事にしたい』と考え出しました。そのためには大会で賞を獲らなきゃいけなくて、毎日毎日、限界まで練習していました。

大会で入賞できるようになっても納得がいかなかった。『絶対に1位を獲らなきゃ』って。中学の3年間は、それだけを考えて生きていました。好きで始めたバレエが全然好きじゃなくなったりもしましたね......」

岡本姫奈 岡本姫奈

バレエ好きの少女は、苦しみながらも闘いを続けた。そして高校生になり、さらに現実を知る。

バレエの世界で上を目指すには、身長が大きな意味を持っていた。どこのバレエ団でも規定は160㎝以上。岡本は身長(158㎝)が足りず、先に進むことができなかったのだ。そこで彼女は大きな目標を掲げる。

「コンクールで国際大会に出て、海外の先生の目に留まるしか手はないと思いました。そこで順位に入ってスカラシップ(奨学金制度)を勝ち取ろうって」

高校1年。そんな思いを胸に、高校で初めての国際大会出場。その結果、アメリカへの短期留学の話をもらった。さらに、高校3年の最後の大会でも結果を残し、ロシアの国立バレエ学校への留学の権利を手にする。

「ようやくつかんだ切符でした。なのに......股関節を痛めてしまったんです。本来ならロシアの学校は9月スタートだったんですけど、『レベルを落とさない』という約束で高校卒業まで待ってもらえることになったんです。

でも、ケガをしてレッスンもできないし、今まで自分の人生の一部だったものが一気になくなってしまった気がしました。クラスのみんなは大学が決まっていて、居場所もなくて足のケガは治らないし、留学もなくなっちゃうんだろうなって......不安で仕方なかったです」

岡本姫奈 岡本姫奈

そんなとき、乃木坂46の五期生オーディションの開催を知り、エントリーする。

「私、堀未央奈さん(卒業生)が大好きだったんです。当時の気持ちは、『受かりたい』とかじゃなくて、『未央奈ちゃんと同じ経験をしてみたい』。

受かるはずないって思ってたから、『合格したらどうする?』なんて考えてもいなかった。『ロシアに行けたとしたら、何もできなくなっちゃうし、日本にいる間にやれることを経験しよう』って」

そんな気持ちで受けたオーディション。結果はなんと合格。

「......ロシアに行くか、乃木坂46を選ぶか悩みました。でも結局、『乃木坂46にいてもバレエは続けることができる。ロシアに行ったら乃木坂46にはなれない』って思って。

足が治っていなかったことも大きいです。痛いのをわかっていながらロシアに行くことが怖かったこともあります。いろんな気持ちがありましたけど、自分で決断しました」

12年間、バレエひと筋だった。それを全力で応援し、支えてくれた両親に「アイドルになる」と伝えるのは何よりもつらかった。

「両親は本当に期待してくれて、一生懸命習わせてくれたことを知っていたから心苦しかった。でも、『乃木坂46を選びたい』って言ったら、『姫奈、ここまでよくバレエ頑張ったね。そのバレエが今、オーディションの結果につながったんだと思うよ』って言ってくれたんです......」

"一度逃げたら、ずっと逃げるようになる"

ずっと厳しかった父が、バレエをやり切った娘に、そう言って送り出してくれた。

12年間、闘い続けた少女は今、新しいステージで誰よりもキラキラと輝きながら踊っている。

■つらかった3年間で得たもの~五百城茉央の場合~

『乃木坂工事中』(テレビ東京系)でたびたび驚きの運動能力を披露する五百城(いおき)茉央。彼女は、自分の幼少時代を"わんぱく少女"だったと振り返る。

「天真爛漫なタイプで、お母さんと手をつないで歩いてても、パーッて走り出しちゃう感じの子だったらしいです。田んぼに行って虫を捕まえて、泥の中で汚れまくっていましたね(笑)。

習い事もたくさんやってました。リトミック(体を動かしながら音楽を楽しむ音楽教育)とか、書道に水泳に茶道。その合間を見つけて遊んで。毎日、本当に休みがないくらい忙しかったです」

そんな彼女は、中学に入って剣道部に所属する。

「友達に誘われて入ったんですけど、すごく厳しくて。友達はすぐやめちゃいました(笑)。学区外から、『幼稚園から剣道やってます!』っていう人たちが来るくらい強い学校だったんです。

そんなことは知らずに入ってしまったから、最初は本当に大変でした。先生も先輩もすごく厳しいし、塾にも行ってたから夜遅くに帰宅して、朝練で6時には学校へ行くっていう生活で。

『こんなに忙しくて、夏休みも10日くらいしかない!』って思ったら限界で。お母さんに真剣に相談したんです。でも『いったん決めたことは頑張って続けたほうがいい』って。きっと何かを続けられる人間になってほしかったと思うんですけど、内心『本当にキツいの! わかるでしょ!』って思ってました」

五百城茉央 五百城茉央

しかし、3年間やり切ることを選んだ。

「つらかったけど踏みとどまりました。3年間を振り返ったら、やって良かったなって思います。今、アイドルをやっていて、いろんな部分で体力面も精神面もタフにならなきゃいけない場面があるんですよ。

そういうときに『途中で剣道を諦めていたら、今ここで踏ん張れてないのかな』って思うんです。『キツいけど、あのときの合宿のほうがキツかったやん』って思って奮い立たせてます(笑)」

そんな3年間を過ごし、高校へ進学。塾をやめ、中学時代の反動からか部活には入らなかった。

「あんなに忙しかった中学時代に比べて、時間ができたら『もう何もすることがない』って感じになってしまって。高1のときの夏休みは頭が痛くなるくらいベッドの上から動かなくなりました」

五百城茉央(写真提供/乃木坂LLC) 五百城茉央(写真提供/乃木坂LLC)

まさに心にぽっかり穴があいてしまったかのように、何もする気が起きなかった。そんなとき、兄が「受けてみたら?」と、オーディションの存在を教えてくれた。

「正直、そういうことをやれる人間じゃないんです。なんでも恥ずかしいって思っちゃうから。『えー、やらんわぁ』って言ってました。でも『絶対に受からない』って思いすぎて、サッと送ってみたら......次々と進んでいってびっくりしました」

こうして、五百城茉央はオーディションに合格した。

「乃木坂46に入って、毎日とても充実しています! 高1の灰色って感じの夏休みを思えば、今の忙しさもうれしくて。お仕事はなんでもやってみたいから、お休みは、ちょっとで大丈夫です」

逃げ出したかったときに踏みとどまった少女は、誰よりも強靱で前向きな心を手に入れていた。

■乃木坂46の曲に導かれて~奥田いろはの場合~

奥田いろは。彼女は物心つく頃には子役として活動していた。始めたのは3歳。

「それくらいのときに、自分でやりたい、って言い出したらしいんです。当時の私って、すごく人見知りで。幼稚園に行っても母親から離れない、みたいな子だったらしくて。『でも、お仕事に行くとすごくハキハキして。まったく人見知りせずに仕事をしてたのよ』って母が言ってました」

彼女が乃木坂46を認識したのは、小学校中学年の頃。ひとりで乗っていた電車の中で、イヤホンから『今、話したい誰かがいる』(作詞/秋元康 作曲/Akira Sunset、APAZZI)が聞こえてきた。

「それが最初の出会いでした。『ブランコ』とか『シーソー』っていう歌詞が出てくるんですけど、子供だったから、そういうところに惹かれたのを覚えてます(笑)。

あと、『林檎を剥く時 母親の指先が 滑って切ってしまいそうで 嫌いと嘘ついた』って歌詞が心に残ってて。すごく好きになって、ずっと聴いてました」

奥田いろは 奥田いろは

今となってはライブでギターの弾き語りを披露することもある奥田。ギターに興味を持ったのは、中学に上がった頃だった。

「うちの親は、私が決めたことをなんでも許してくれて。子役を始めるときもやめるときも、ギターを始めたいと言い出したときも自由にさせてくれました。常に私の意思を一番に考えてくれた家族にはすごく感謝してます」

そう語る彼女が次に気になったのは、北野日奈子(卒業生)。

「高校1年のある日。テレビで見た北野さんを、『すごくかわいい!』って好きになっちゃったんです。その日はひと晩中ネットで乃木坂46について調べていました。

で、次の日。朝起きてSNSを見ていたら、五期生オーデションの広告が流れてきて。夢かと思いました。私、オーディション募集の前日に夢中になって調べてたんだって......。

『これは運命だ。受けなきゃ!』って思いました」

奥田いろは(写真提供/乃木坂LLC) 奥田いろは(写真提供/乃木坂LLC)

恥ずかしくて、友達にも内緒で受けたオーディション。1次審査通過の通知が届いたときは、「4次審査くらいまで進んでから喜びなさい」とたしなめる父の横で、合格したかのように感涙した。

その後、彼女は見事、乃木坂46のメンバーに選ばれる。

特技はギター。そして今年、魅力的な歌声で、ミュージカル舞台『ロミオとジュリエット』でジュリエット役に抜擢された。彼女の人生には音楽が流れている。

「女優さんって、演技のお仕事が主じゃないですか。でもアイドルは歌って踊って、演技もしてモデルをして。ミュージカルに挑戦もできる。そのすべてを高いレベルでこなさなきゃいけない。

『ロミオとジュリエット』は先輩の生田絵梨花さん(卒業生)が演られていた役。生田さんのすごさを実感しながらも、導いてくれているって思うんです。

アイドルに興味のない方がミュージカルを見て、『あのコいいじゃん。乃木坂46のコなんだ』って興味を持ってもらえるきっかけになってくれたらいいなって思います」

乃木坂46の曲に導かれた少女は、そんな決意を持って舞台に上がる。あの日、乃木坂46を好きになった自分と同じような、少女へのきっかけとなるために。

●岡本姫奈(おかもと・ひな) 
2003年12月17日生まれ 愛知県出身 
身長158㎝ 血液型=A型 
特技=バレエ 長所=練習が好きなところ 
〇2022年2月、応募総数8万7000人超のオーディションを突破し、乃木坂46に五期生として加入。乃木坂46 35thシングル『チャンスは平等』が4月10日(水)に発売予定。『乃木坂46 5期生写真集「あの頃、乃木坂にいた」』(マガジンハウス)が発売中。
乃木坂46公式X【@nogizaka46】 
乃木坂46公式Instagram【@nogizaka46_tv】 

■五百城茉央(Mao IOKI)

2005年7月29日生まれ 兵庫県出身
身長166㎝ 血液型=O型
特技=剣道、書道
長所=夢中になったものにとことんハマる
〇2022年2月、応募総数8万7000人超のオーディションを突破し、乃木坂46に五期生として加入。選抜入りした乃木坂46 35thシングル『チャンスは平等』が4月10日(水)発売予定。『乃木坂46 5期生写真集「あの頃、乃木坂にいた」』(マガジンハウス)が発売中。
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■奥田いろは(Iroha OKUDA)

2005年8月20日生まれ 千葉県出身
身長157㎝ 血液型=A型
好きな食べ物=アロエヨーグルト
長所=人のいいところをたくさん見つけられる
〇2022年2月、応募総数8万7000人超のオーディションを突破し、乃木坂46に五期生として加入。乃木坂46 35thシングル『チャンスは平等』が4月10日(水)発売予定。『乃木坂46 5期生写真集「あの頃、乃木坂にいた」』(マガジンハウス)が発売中。
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☆岡本姫奈のグラジャパ!プロフィール
☆五百城茉央のグラジャパ!プロフィール
☆奥田いろはのグラジャパ!プロフィール

★『週刊プレイボーイ16&17合併号』(4月1日発売)は「グラビア全部乃木坂46!」第2弾! 特別付録・冨里奈央ポスター&五期生5人特製シール付き!(*シールは紙版のみ)