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BC埼玉武蔵に復帰した今シーズン、田澤の成績は1勝2敗、13ホールド1セーブ。防御率1.96と好成績を残した
米メジャーリーグで活躍し、日本の独立リーグや台湾、メキシコを渡り歩いてきた田澤純一が、現在の心境を語った。
昨秋、古巣の社会人野球・ENEOSを退団し、コロナ期に在籍した独立リーグ・ルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズに再び入団。今年の6月で40歳になった田澤が求めたのは、「現役続行」と、「自らの経験が生かせる場」だった。
野球を始めて30年以上が過ぎた。2009年に渡米し、在籍したボストン・レッドソックスで13年にワールドチャンピオンに輝くなど、10年以上をアメリカで過ごした。
「チャレンジして後悔はなかった、という気持ちです。自分がすごく通用すると思っていたわけではなく、日本とどちらが成長できるかを考えました。たまたま、アメリカの球団が育成プランを示してくれて、それを信じてやってみたんです。
簡単ではないと思っていましたが、結果としてメジャーに上がれた。なかなか経験できることではないので、やはり後悔はしていません」
コロナ禍に突入した20年、アメリカではマイナーリーグが開催されず、田澤は日本に戻っていた。そこでオファーをかけたのが、BC埼玉武蔵だった。
シーズン途中の7月に入団。コロナ禍でリーグ戦も従来どおりには行なわれず、限られた登板だったが、その存在感は大きかった。
その後、台湾やメキシコでプレーし、メジャーリーグに挑戦する前に所属していた古巣のENEOSに戻る。だが、故障や若手主体の起用もあり、登板機会は多くなかった。野球人生の終盤にさしかかっている自分を受け入れてくれたENEOSには感謝しつつ、田澤は自らの環境をこう振り返った。
「古巣ではありますが、ENEOSは自分のアメリカでの経験をあまり必要としなかった。昔ながらの野球をそのままやっている、というのが正直なところです」
昨年10月にENEOSを退団。BC埼玉武蔵で、再び赤と青のユニフォームに袖を通すことになった。
「投げる場所を求めていました」
BC埼玉武蔵が提供したのは、まさにその場所だった。
今年はシーズンを通して23試合に登板し、1勝2敗、13ホールド1セーブ。主に勝ち試合の7回を任され、防御率は1.96。チームは9球団中3位でプレーオフ進出に貢献した。
コーチ兼任ではなく、立場はほかの選手たちと同じ。試合も練習もさまざまな場所で行なう独立リーグで、遠征にも参加した。
独立リーグには、高校を卒業したばかりの選手、大学・社会人を経て入団した選手、他リーグの出身者、NPB経験者など、多様な経歴の選手が集まる。NPB入りを目指す選手も多いが、狭き門をくぐってドラフト指名を受ける選手はわずかだ。
「アドバイスは、(ほかの選手に)聞かれれば答えます。NPB指名は、すべての独立リーグから1%出ればいいくらいですし、そんなに簡単ではない。もっと目の色を変えて、必死こいてやったほうがいいんじゃないか、と思うことはすごくあります」
ベンチでチームメイトを迎える田澤(左)。若い選手たちは、さまざまな経験を経た田澤に学ぶことも多いだろう
厳しい言葉を口にする田澤は今シーズン、〝勝利の方程式〟の一角を任され、変わらぬ投球フォームで投げ続けた。速球を痛打されることもあったが、後半戦では安定感を増した。窮地でも動じることはない。キレのあるスプリットやスライダーで打ち取り、仲間と笑顔でグラブタッチを交わす。
「来年に関してはチームとの話なので、まだなんとも言えません。でも、もうちょっとだけやってもいいかな、という気持ちはあります」
台湾でプレーしていた21年に結婚し、24年には第1子が誕生。今年には第2子も誕生した。
「家族ができて変わった、ということはありませんが、今までと変わらず野球に集中させてもらえているのは感謝しています」
かねて筑波大学で自主トレを行なっていた田澤だが、筑波大学内に最新設備でアスリートを科学的にサポートする「Invictus athlete Performance Center」が設立され、今年からアドバイザーに就任した。
「僕はアメリカに行っていましたけど、『アメリカだけがすべてじゃない』と思っています。日本でもアメリカに負けないプログラムがあってもいいんじゃないかと。昨年にそんなプログラムを提供できる施設ができたので、アドバイザーをやらせていただくことになりました」
個人的に施設に通うほか、今年度はBC埼玉武蔵の投手陣を全員連れていき、計測や動作解析を2回ほど行なったという。それによって、「自分に何ができていて、何が足りないのか」を知ることができ、データを生かして成長することが可能になる。
独立リーグは、施設や練習内容などが球団によって差がある。限られた環境の中でいかにパフォーマンスを上げていくかが勝敗を左右する。
「少しでもBCリーグの価値が高くなっていけばいいなと思うし、NPBに指名される選手を輩出することで、チームに貢献できればいいなと思います」
社会人野球も、米国、台湾、メキシコでの経験も、独立リーグも、田澤の野球人生は「簡単ではない」ことの連続だった。30年以上の豊かな経験が、若手選手たちのすぐ近くにある。経験も言葉も惜しみなく活用する田澤との時間は、この上ない勉強の場だ。
「チームにはNPBに近い選手もいます。でも、ライバルは全国にいて、そこを追い越さないと指名されない。ほかの選手と比べても『BCの○○選手が欲しい』と思われなければ、なかなかNPBには行けないと思います。半端な気持ちじゃできません。
ここの選手たちにはなかなか響かないこともありますが、意識改革ができたらいいですね。動画サイトやSNSなどの情報を見てマネすれば球が速くなるかというと、そんなに簡単じゃない。コツコツ積み重ねていく大事さを伝えていきたいなと思います」
現役だからこそ伝えられることはまだある。「不惑」を迎えて倦まず弛まず、田澤が野球に向ける視線は今も鋭い。