グラビアライター・とり
グラビアライター・とりの記事一覧
1997年生まれ、兵庫県出身。 妄想を得意とするグラビアライター。 趣味/散歩、レコード収集。
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あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していくインタビュー連載が、週プレ創刊60周年を記念して復活。第七弾となる今回は、深田恭子さん(写真集『AO』『AKUA』『This Is Me』)をはじめ、様々なモデルの写真集を手がけ、週プレ創刊50周年時には二階堂ふみさんのバニーガールグラビアを撮影したND CHOW(アンディ・チャオ)さんが登場。
シンガポールで生まれ育ち、兵役も経験したアンディさんが日本でグラビアを撮るようになった経緯とは。前編では、その生い立ちから話を聞いた。
* * *
――アンディさんの事務所にお邪魔していますが、ウルトラマンにデビルマン、鉄腕アトムと、至るところに日本のキャラクターのフィギュアがありますね。シンガポールのご出身ですが、やはり子供の頃から日本のカルチャーがお好きだったとか?

アンディ いや、そうでもないよ。フィギュアが置いてあるのは、知り合いに作家がいるのと、とにかく希少な昭和のフィギュアや古い版画、アート本などを集めるのが好きなだけ。自宅にはもっと色々あるから(笑)。でも子供の頃は、シンガポールでも日本の音楽が流行っていたから、自然と聴いてはいたね。西城秀樹とか、チェッカーズとか。あと『おしん』も観てた。日本に来るまで、日本の女性といえば"おしん"のイメージだったよ。いい意味で、全然そんなことはなかったけど(笑)。
――初めて日本に来たのは?
アンディ 16歳、高校2年生の頃だね。シンガポールに遊びに来ていた日本人と友達になり、彼から色々話を聞くうちに、一度行ってみたいと思うようになったんです。東京は、カルチャーもテクノロジーもアジアの最先端。行けば絶対に楽しいはず。アルバイトでお金を貯めて、友達数人と一緒に1ヶ月旅行した。当時は円高だったから、資金を貯めるのも大変だったよ。
――高校生で1ヶ月も海外旅行ですか! すごいですね。
アンディ 空飛ぶ車が見られると思っていたから、着いた途端にガッカリしたけどね(笑)。というのは冗談。やっぱりカルチャーは面白かった。特に雑誌。『メンズノンノ』『チェックメイト』といったファッション誌がすごくカッコよかった。日本語が読めなくても、ヴィジュアルを見るだけでワクワクしたよ。帰国後も、日本の友達から毎週のように日本の雑誌を送ってもらっては、シンガポールで読んでたね。
――高校生という多感な時期に、日本の雑誌文化にたくさん触れられていたんですね。
アンディ あと、当時の日本はエロ雑誌もいっぱいあったでしょ。テレビを付ければ『ギルガメッシュないと』とか、エロいテレビ番組も色々観られて......天国だと思ったよ(笑)。シンガポールはエロに厳しくて、当時はエロビデオもなかったから。ここだけの話、こっそり持って帰って、学校で回覧もした。その後も、とにかくお金を貯めては、1週間だけでも行きたい! と、日本に遊びに行った。いつの間にか、日本がすごく身近な国になっていたね。
――雑誌をはじめ、日本の文化からさまざまな影響を受けられたかと思います。当時、高校生ということで、進路を考え始める時期かと思いますが、将来の夢みたいなものはあったのでしょうか。
アンディ 特になかったね。当時はとにかく兵役に行きたくなくて(註:シンガポールでは18歳以上の男性に2年間の兵役義務がある)、先送りにすることばかり考えていたよ。ただ、それとは別で17歳頃から趣味で写真は撮っていたね。というのも、実は父も写真を生業としていて、実家にカメラや写真がたくさんあったんだよ。当時のカメラは今以上に高級品。デカい瓶の中に仕舞われていて、決して子供が触っていいものではなかったから、父に写真を教わったこともなければ、特に影響を受けたわけでもないけど、写真を撮るのは楽しそうだと思ったんだろうね。今思えば、雑誌の影響もあるかもしれない。近所の機材屋さんに安く売ってもらったカメラを持ち歩いては、友達を撮ったりしていたよ。
――その時点で、写真を仕事にしよう、みたいな意識は?
アンディ 全然なかったけど、高校卒業後、進学先が決まらず1浪していた時期に、カメラマンのアルバイトをしたことはあるよ。リーバイスの店員として募集がかかっていたんだけど、定員に達したのか「写真やってるんだったら、カメラマンのアルバイトがあるけど、やる?」と言われて。紹介されたのが、テーマパークの一角で、『PLAYBOY』や『Playmate』『Newsweek』などの雑誌の表紙モデルになり切れるアミューズメントのカメラマンだった。制服はリーバイスだったし、社割でリーバイスも安く買えたし、何より面白そうだったので、働くことにしたんだよね。
――確かに面白そうです。仕事内容としては、ちゃんと"カメラマン"ですしね。
アンディ 周りがドンドン辞めていったこともあり、わりとすぐに現場責任者くらいのポジションになって、仲の良い友達を集めてバイトを回していたから、すごく楽しかったよ。あるとき、僕は勤務時間外だったんだけど、とある女性2人組が普通に写真を撮ったあとに「ヌードを撮ってほしい」と言ってきて。現場にいた友達から「どうしたらいい?」と電話がかかってきたので、僕は「シャッター下ろしてやっちゃえばいいじゃん」って言ったの。そしたら本当にやっちゃって、僕は本部からめちゃくちゃ怒られたんだけど、その2人組のうちのひとりが、フィリピン人向けの雑誌で編集者をやっている人だったんだよね(註:シンガポールにはフィリピン人が多く在住している)。
――な、なんだか色々とすごい話ですね......。
アンディ 後日、僕が出勤している日にその編集者の方が再訪してくれて。写真は撮らなかったけど、話が盛り上がって「今度、うちの雑誌で写真を撮らない?」と言ってくれたんだよね。実際にもらったお仕事が、ボン・ジョヴィのライブを撮る仕事で。
――いきなりそんな大物を!?
アンディ 他にも、ライブや取材会見に連れて行ってもらっては、ブライアン・アダムスやケニー・Gなんかを撮らせてもらい、実際に写真も掲載された。ギャラは払ってもらえなかったんだけど......楽しかったからいいやって感じで。
――本格的にカメラマンになる前から、カメラマン的なお仕事は色々されていたんですね。
アンディ その後、エンジニアの専門学校に進学して、すぐ兵役に行くことになった。一応補足しておくと、エンジニアの専門学校に行ったのは成績不振でそこにしか行けなかったからで、特に学びたい何かがあったわけではないよ(笑)。兵役期間中は本当にしんどかったけど、帰ったら何がしたいかをずーっと考えていた。そこで唯一やりたいと思ったのが、旅だったんだよね。
――旅、ですか。
アンディ 高校時代、日本によく遊びに行ったと話したけど、タイやマレーシアにも行ったことがあって、やっぱり楽しかったんだよね。周りにいたバックパッカーの友達に憧れたこともあり、兵役を終えたあと、自分もバックパッカーとして旅に出た。最初の1ヶ月は友達2人とチベットに、その後は2ヶ月ほど別々のルートで旅をしていたんだけど、再び集まると約束した日になっても2人は戻ってこなくて。後々聞くと、旅が楽しくてそのまま続行していたらしいんだけど、当時はケータイもない時代だから、それを知る術がなかったんだよ。ちょっと心配したよね。と言いつつ、その場で知り合った旅行者の人たちに勧められるがまま、僕も新たに旅をスタートさせたんだけどね。ネパール、インド、パキスタンを経て、ヨーロッパ、アフリカと渡り、資金が尽きたタイミングでシンガポールに戻り、3ヶ月間、工場でバイトをして、今度はシンガポールからバズで行ける東南アジアを回った。
ND CHOW『ROOTS』(マガジンハウス)表紙
――2013年刊行の作品集『ROOTS』(マガジンハウス)に収録されているのが、まさにその旅の写真というわけですね。1998年から2000年、写真家を目指して東京に移り住む前に世界中を旅して撮影した写真を、15年ぶりにセレクトし、新たにプリントし構成された作品集と紹介されていますが、普段ポートレートを撮られることが多いアンディさんだけに、旅のスナップは新鮮ですし、写真からは瑞々しい眼差しを感じました。
アンディ ありがとう。当時は兵役に行きたくなかったこともそうだけど、とにかく社会のしがらみから逃れたくて仕方がなかったんだと思う。性格的に会社員として仕事をするのは向いてないと思っていたから、学歴のために勉強を頑張ろうという気にもならなかったしね。そんな中、旅は自由で楽しかった。旅の道中で写真を褒められたり、撮ってほしいと言われたりして、写真を撮ることの楽しさもより感じるようになった。旅から帰った僕は髪も伸び切って、野生さながらのメンタリティ。立派に就職した同級生たちと全然話が合わなくて、もうカメラしかないと思った。それが具体的にカメラマンになろうと思ったタイミングだったね。
――プロフィールを拝見すると、2000年にカメラマンになるため日本に移住されたと書かれてあります。なぜ日本だったのでしょう?
アンディ やっぱり学生時代から何度も訪れていた日本には、特別な親しみがあったんだよ。日本人の知り合いも何人かいたし、アメリカに行くより現実的だと思ったんだよね。日本に来てからは、焼き鳥屋でアルバイトをしたり、2年ほどアシスタントについたりして、少しずつカメラマンへの道を広げていったよ。何もなし得ないままシンガポールに戻るなんて、ダサくて絶対にイヤだと思ったし、ちょうどその頃、母親が亡くなって帰る家も無くなったから......。絶対に日本でカメラマンとして成功するつもりで、とにかく前のめりに動いていたね。

●ND CHOW(アンディ・チャオ)
1975年生まれ、シンガポール出身。ラサール芸術大学 MFA(美術学修士)。
趣味=レトロなものを集めること、料理
1998年から2000年の約2年半、アジアからヨーロッパ、オーストラリアの世界旅を経て、カメラマンになるため日本に移住。2003年、カメラマンとして独立。2004年には、ウィーン国立歌劇場音楽監督を務めた世界的な指揮者・小澤征爾の18日間ツアーに密着したフォトルポルタージュ『小澤征爾サイトウ・キネン・オーケストラ欧州を行く』(小学館)で自身として初の写真集を出版。現在は、国内外の雑誌表紙のほか、資生堂、コカコーラ、アディダスなどのグラフィック広告、また、映像カメラマンとしてJR、資生堂アネッサ、ミスタードーナツ等のCMなども手がけ、2014年週刊プレイボーイで発表した安齋ららのグラビアをきっかけにグラビアでの活躍の場も広げる。