【連載:伊藤千飛】受け継がれた誓い/世界へ <②覚悟の理由>

取材・文・撮影/会津泰成

写真=北川直樹写真=北川直樹
2026年9月5日、東京・後楽園ホールで開催されたボクシングのWBOアジアパシフィックバンタム級タイトルマッチにて、同級王者の伊藤千飛(真正)は3回TKO勝利し初防衛に成功した。井上拓真、増田陸といった現役世界王者はじめ、休養王者の堤聖也や那須川天心など実力者がひしめく日本のバンタム級戦線に名乗りを上げた21歳の若者が胸に秘めた思い。そこには、トレーナー人生の集大成をかけて戦う名伯楽と、リング禍でグローブを置いた亡き先輩の存在があった。

*  *  *

山下が本来、トレーナー人生の最後を懸けようとしていたボクサーは別にいた。

穴口一輝(あなぐち・かずき)――である。

2023年、井上尚弥の世界バンタム級4団体王座統一を記念して、「バンタム級モンスタートーナメント」が開かれた。優勝賞金は1000万円。のちに世界王者となる堤聖也、増田陸を含む7人が、ランキングや将来性、実績など総合的に判断して選ばれた。穴口もそのなかのひとりに選ばれたのだ。ただし、開幕前の日本ランキングは12位で、プロ戦績も4戦4勝2KO。穴口本人も「知名度も低いしランキングも下」と認識していた、いわばダークホース的な存在だった。

大会開幕前、山下は穴口にLINEで、

目標は世界やで!! 穴口と世界獲りに行くで。

とメッセージを送った。

穴口からはこんな返事が届いた。

会長が僕にそこまで思って頂けてるのが本当に嬉しいです。

どんなことがあっても最後までついていきます。

必ず会長と世界まで行きます。

真正ジムで最後に会長を世界に連れて行くのは僕やと思って頑張ります。

穴口の言葉を受けて、山下は

世界獲りに行くのも、穴口が最後やと思う。

と返信した。自分もまた、トレーナーとして集大成の覚悟を持って向き合っていることを伝えたのだ。

夢は叶わなかった。

初戦、準決勝を勝ち抜いた穴口は12月26日、東京・有明アリーナでの決勝戦に駒を進めた。

相手は堤聖也――。序盤は主導権を握り、3回には堤が左まぶたをカット。5回終了時の公開採点では穴口がリードしていた。だが、4回に最初のダウン。そして、7回、9回、最終10回と、計4度のダウンを奪われた。そのたびに立ち上がり、判定負けしたものの最後まで戦い抜いた。

穴口は試合結果を聞いた直後に足がけいれんし始めて自力では立てなくなり、控室で意識を失った。救急車で搬送されて手術を受けたものの、意識は戻らないまま、翌2024年2月2日、午後5時38分に永眠した。


「『もう二度と選手の指導はしない』と思いました。ボクシングの世界に残ることもためらいました。でも、穴口のお母さんから『一輝のためにも、これからも選手を育てて欲しい』と言われた時、心から救われた気持ちになれました。その晩、布団の中で目を閉じて穴口に相談しました。 『穴口、どうなんや』と。 『俺、千飛を見ようと思うけど、どうや』と問いかけました。穴口からは『僕の分も、千飛に教えてやってください』と言われた気がしたんです。穴口が無事にボクシングを続けられていたら、千飛にミットを構えることは、なかったと思います」

穴口は、いまも変わらぬ愛弟子。山下は、自分専用のパンチングミットには「穴口一輝」と名前を刻んでいる。だが、千飛にミットを構えるのは、穴口の代わりを求めているからではない。同じように本気で世界を目指し、その可能性を秘めたボクサーだったからこそ、山下はふたたび、自らの手で世界チャンピオンを育てようと決めた。

なぜ千飛にミットを構えるのか――。

千飛に明かしたのは約1年前。プロ4戦目ながら初めてメインイベントをまかされ、10回戦に臨む直前だった。山下は、千飛の隣で訥々(とつとつ)と胸中を明かした。

「千飛の若さとスピードに付いていけるかどうかもわからへん。けど、穴口の分も、もう一度挑戦しようと腹をくくりました。そんな話を千飛にして背負わせたら重たくなる。なので本人には言うてませんでした。この話はいま初めて明かしました。千飛のことは必ず、世界チャンピオンまで育てます。覚悟を決めた以上、何があっても最後まで一緒に戦います。世界チャンピオンにできなかったら、それはわたしの腕が悪かった、ということです。ただやはり、体力的にも直接指導できるボクサーは、千飛が最後になると思います」

千飛にとっても、穴口は特別な存在だった。

初めて出会ったのは16歳、高1の6月。高校ボクシングの名門、興国高校ボクシング部に入部したものの部活の練習だけでは飽き足らず、さらなる成長の機会を求めて、真正ジムの門を叩いた時だった。

「出会った最初の頃は挨拶くらいで、まったくしゃべる機会はありませんでした。真正ジムに通い始めて半年近く、一度もまともに会話をした記憶はないというか。穴口さんがアマで活躍していた頃のことも聞いて知っていたし、『やっぱオーラのある人やから、気軽には話しかけられへんな』という感じでした」

穴口は当時 21歳。芦屋大学(兵庫)を 3年で中退し、真正ジム所属選手としてB級プロテストを受験し合格し、デビュー戦を控えていた頃だった。高校時代は選抜と国体で優勝。大学進学後も1年生ながら関西学生リーグ全勝で、バンタム級階級賞を獲得した。

「初めてガッツリとしゃべったんは、真正ジムに入門して半年以上たって、初めてスパーリングをしてもらった時でした。どんなパンチを打っても絶対ガードされました。ほんまに、何か壁というか、僕はずっと下がらされて、下がらされて、というボクシングをされてしまいました。『やっぱプロってすごいな』と思いました。スパーリングのあと、思い切って『穴口さん、僕に何かアドバイス下さい!』ってお願いしました。いざしゃべって見ると、アドバイスはめちゃめちゃ的確で、めちゃめちゃ優しい人でした」

穴口と初めてスパーリングをした際、千飛は「攻撃も防御も、相手の動きに対する反応が凄く良い」とほめてもらえた。以降は憧れの先輩であると同時に、悩みを気軽に相談できる存在にもなった。

「千飛の強みは、鋭く踏み込んで相手の懐まで潜り込めることや。これから先、プロになってどんな教えを受けたとしても、自分の良さは消したらあかんで」

高校1年生だった千飛に、穴口はそうアドバイスした。

「自分の良さは消したらあかんで」という言葉は、それからも何度か言われたそうだ。それは山下がよく口にする、「千飛の良さを潰さず、プロ仕様のスタイルにして行く」という教えとも重なった。

千飛は、穴口と通算4度、スパーリングで拳を交えた。

初めてアドバイスをもらったスパーリングはもちろん忘れられないが、2023年4月15日の3回目、5月11日の4回目は、別の意味で印象に残った。穴口にとってそれは、モンスタートーナメント初戦に向けた、大事な準備期間だった。

「モンスタートーナメントの初戦が近づいてきた頃は、前よりもさらに研ぎ澄まされてる感じがしました。僕がどれだけ攻めても全然下がらへんし、ガードを固めたまま前に出てきて、すぐ打ち返してくるんです。それまではフットワークを使って、どっちかというと『打って、離れる』みたいなアウトボクシングの印象が強かったんです。けど、被弾することを怖がらずに、前へ前へ出て戦うボクシングに変えようとしてるんかな、って思いました。僕も、穴口さんにほめてもらった、鋭く踏み込んで相手の懐まで入る自分の良さを出そうとしたんですけど、通用しませんでした。ボクシングに凄みというか、厚みが増してる感じがしました」

拳は急所に届かない。

得意の強打も封印された。

高校生だった千飛にとって、それは「プロ」の壁の高さを思い知らされた瞬間だった。

同時に、いつか自分も同じ舞台で戦う事を、強く意識した。


山下は、いまも折に触れて穴口の墓参りをし、手を合わせている。

命日に関係なく、試合の報告をしたい時、何か迷いが生じて相談したい時、あるいはボクシングとは関係のないことまで、誰を誘うわけでもなく、ひとりで訪れては対話を続けている。

「穴口、どうや」

「おまえやったら、どうする」

墓前では誰にも言えない悩みまで、素直に打ち明けることができた。普段は会長やトレーナーとして、真正ジムの選手たちにとっては強く、頼れる存在でいなければならない。弱さも迷いも隠さず、ありのままの自分で本音をぶちまけられる相手は、穴口だけだった。

60代も半ばに差し掛かった肉体を酷使し、選手の追い込み時は痛み止めの注射を両肩に打ちながらも現役トレーナーにこだわる理由は、変わらず心の中に穴口がいるから。そして、LINEメッセージで交わしたあの日の約束も、まだ果たせていないからだった。

千飛はまもなく、日本ボクシングの聖地、東京・後楽園ホールで初防衛戦を迎える。

世界クラスのボクサーがひしめき合う日本のバンタム級戦線に割り込み、生き残ってゆくためには、アジアパシフィック王者として圧倒的な実力を見せつける必要があった。すでに次戦は、日本王座最強挑戦者決定戦に出場することも内定していた。そういう意味でも、ここでつまずくわけにはいかない。

初防衛戦を前に、山下の頭のなかには、2年8か月前の光景が浮かんでいた。12月26日、穴口とともに立った、東京・有明アリーナでのモンスタートーナメント決勝戦――。

あの日の緊張感がふたたび胸の奥に渦巻いた。

「穴口のことは、千飛にも思っていて欲しい。『こんな先輩がおった』と。スパーリングも一緒にやってるしね。ただやっぱり、穴口への思いは背負わせたくない。それは可哀想やし、千飛は千飛やから。いまのまま変わらず、千飛らしくボクシングに邁進してほしいです。穴口のことは、自分だけが背負い続ければ良いですから」


ミット打ちのあとはサンドバッグを叩き、仕上げはエアロバイク。汗を最後の一滴まで絞り出した千飛は体重計に乗って数字を確認し、いつもより少し早めに練習を終えた。

「千飛、これ」

山下は着替えを終えて帰ろうとした千飛を呼び止め、新聞の折込チラシの裏に綴った手紙を渡した。

長谷川穂積、久保隼、そして穴口一輝――。

タイトルマッチなど大一番を前にした教え子に渡してきた手紙。千飛が受け取るのは初めてだった。

「山下会長の折込チラシの手紙、自分も昔ようもらったなあ」

となりでやりとりを見ていた久保が、懐かしそうにつぶやいた。

山下に、なぜ折込チラシの裏に書くのかを聞いてみた。

「真っ白だし、捨てるのはもったいないですからね」

と答えた。資料用にカメラで撮影しようとすると、

「恥ずかしいので、それは勘弁してください」

と言い、目尻を下げ、少しはにかみながら笑った。

「ありがとうございます!」

千飛は大きな声でお礼を言い、深くお辞儀をしてジムをあとにした。

●伊藤千飛(いとう・せんと) 
2005年6月25日生まれ、21歳。兵庫県伊丹市出身。元プロキックボクサーの父親の影響で4歳からキックボクシングを始め、ジュニア日本王者に。同時にボクシングにも取り組む。興国高校進学後、ボクシングに専念し、選抜2冠、アジアユース&ジュニア選手権銅メダル獲得。2024年4月20日に真正ジムからプロデビュー。今年9月、WBOアジアパシフィックバンタム級チャンピオンの初防衛に成功。次戦は、日本王座最強挑戦者決定戦に出場する予定。通算戦績7戦全勝6KO。

●山下正人(やました・まさと) 
1962年4月30日生まれ、63歳。高知県生まれ。真正ボクシングジム会長兼チーフトレーナー。高校卒業後、兵庫県警警察官となり、主に暴力団対策本部の刑事として勤務。35歳の時、体を鍛える目的で入会した千里馬神戸ジムで長谷川穂積と出会い、36歳で警察官を退職しトレーナーとしてともに世界を目指し始める。以来、男女合わせて5人の世界王者の育成に携わる。2005年度、優れた実績を残したトレーナーに贈られる最高の名誉、エディ・タウンゼント賞受賞。

●穴口一輝(あなぐち・かずき) 
2000年5月12日生まれ。大阪府岸和田市出身。芦屋学園高時代は選抜&国体の二冠。芦屋大進学後は東京五輪出場を目指すも予選敗退。ボクシングから離れるも山下にスカウトされて再起。井上尚弥4団体統一記念杯バンタム級モンスタートーナメントに出場し、2023年12月26日の決勝では、のちにWBA世界同級王者になる堤聖也と激闘を繰り広げた。同試合後に右硬膜下血腫で意識を失い、翌年2月2日永眠。生涯戦績7戦6勝(2KO)1敗。享年23歳。

  • 会津泰成

    会津泰成

    あいず・やすなり

    ノンフィクションライター。1970年生まれ。93年、FBS福岡放送にアナウンサー入社。プロ野球、Jリーグなどスポーツ担当。99年に退社しフリーランス。第10回Numberスポーツノンフィクション新人賞受賞。著書に『天使がくれた戦う心(チャイ)』(情報センター出版局)、『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童(こ)「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)ほか。
    Instagram:@yasunari_aizu

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