東京ドーム物語、もうひとりの主演ボクサー "ザ・ムービー"佐々木尽 ①

取材・文・撮影/会津泰成

2026年5月2日、東京ドームで開催されたボクシング興行の第4試合、OPBF東洋太平洋ウエルター級タイトルマッチは、挑戦者の佐々木尽が王者・田中空に2対1で判定勝利し、王座に返り咲いた。最後までおたがい譲らない戦いは、メインとはまた違う熱を帯び、日本ボクシング史に残る1日、「THE DAY」を5万5000人の記憶に刻んだ。

無敗の難敵王者に勝利し、世界初挑戦で喫した敗北に区切りをつけ、ふたたび世界を目指す若きボクサー。その歩みを支えるベテラントレーナー。これはそんなふたりの、『決別』と『序章』の物語である。

*  *  *


朝方から降り続いていた雨は止んだ。 

母の運転する車は、八王子から横浜方面へと向かい高速道路を走る。 

車内に流れるFMラジオの交通情報。月末の週明け月曜日のせいか、車の流れはやや重い。

2026年3月30日――。 

1か月間のラスベガス合宿を終えて10日前に帰国した尽は、FMラジオを聞きながら窓の外をぼんやり眺めていた。 時差ボケも完全に解消されて、日本での練習も再開していた。横浜ベイシェラトン&タワーズで正午から始まる記者会見の到着は、「もしかしたらギリギリになるかも」と思った。 

頭に浮かぶラスベガスでの、練習の日々。1か月後の5月2日、尽は東京ドームのリングに立つ。9か月前、初めて挑んだ世界戦で意識を失い、担架で運ばれてリングを降りたあの敗北に、本当の意味で区切りを付けるために。そして、未来へと向かうために重ねた日々だった。 

薄い灰色の雲に覆われた、横浜へと続く空。だが尽の記憶に浮かんでいたのは、片道2ドルで路線バスに揺られて眺めた、青く眩しい大空だった。 

【記憶――Blue Skies Over Vegas 】

「練習は11時からなので、10時には家を出ました。ジムまでは、チーフとふたりで公共の路線バスで通いました。チーフからは『尽にとっては、こういう経験も貴重だから』と言われて。『ラスベガスといえば砂漠』というイメージがありますよね。でも、道の両側は砂漠地帯というより、平屋の住宅がずっと続いていました。車内はヒスパニック系や黒人が多くて、白人の姿は、めったに見かけませんでしたね。自転車を持ち込んでくる人もいるし、大きな犬と一緒に乗る人もいました。でも、まわりは誰も気にしないんですよ。『ああ、これがここで暮らす人たちの日常なんだなあ』と思いました」 

バスの乗車時間は20分少々で、バス停からはさらに20分ほど歩いた。同行したチーフトレーナーの廣隆からは「良いアップになるな」と言われ、ふたりでたわいもない会話をしながら向かった。 

「でも、チーフは自分と同じペースで歩くのは、少しキツそうでしたね。ラスベガスは、とにかく空が広くてびっくりしました。太陽も近くに感じて、2月でも日中は暑い。東京都心や、八王子ともまったく違う景色でした。そういう経験も含めて、すべてが充実した毎日でした」 

練習拠点にしたジムは、滞在先のWest Sahara Avenueからおよそ8マイル離れたFight Capital Gymだった。現IBFフェザー級王者で世界二階級王者、アンジェロ・レオの拠点でもある同ジムは、1996年に設立された。ボクシング、柔術、ムエタイ、MMAが同じ空間に息づく、実戦的なトレーニング環境が整っており、ボクシング部門には、元WBO世界ジュニアウェルター級王者で、名匠エディ・ファッチに師事したトレーナー、デイビッド・サンプルも在籍している。
 
きらびやかなカジノ街とは違う。深夜の暗闇にパトカーのサイレンが聞こえる、生活の渇きが残る、もうひとつのラスベガス――。 尽はそんな場所で1か月間、5月2日の東京ドームに向けて身を投じた。 

「ジムに入るときは、すれ違う人たちと、誰でも当たり前のようにグータッチするんです。選手もトレーナーも関係なく、まずはグータッチ。なんか『アメリカに来たな』って感じがしました。現地でサポートしてくれたトレーナーは、ジョナサンです。アンジェロ・レオのチームのトレーナーで、亀田(和毅)選手と試合をしたときに、日本にも来ました。チーフの指導をベースにして、ジョナサンがそれをサポートしてくれました。 

空選手への対策では、横にポジションを変える動きを意識しました。サイドに動きながらアッパーを打つ。自分はどうしても、前へ、前へと出るタイプなので、そこに横の動きというか、引き出しを増やすこと。空選手は常に距離を詰めてきますよね。そのときに、横の動きでどうさばくか、どうやって攻撃につなげるか、カウンターを合わせるか。空選手の映像を見ながら、ひとつひとつ確認しました」 

練習は午前11時から午後1時ごろまで。帰りももちろん路線バスを利用した。運行は20分に1本ほどで、すぐにバスが来なければ近くのコンビニに寄り、カロリーゼロのコーラで喉を潤すのがささやかな楽しみだった。 

帰宅後は、滞在先の近所にあるタコス屋で、野菜メインのヘルシーなタコスランチが定番だった。昼食後の3時間ほどは自由時間に当てる。洗濯をし、あとは昼寝をしたりYouTubeをみて気分転換した。夕方は散歩をしたりと軽く体を動かし、そして1日の総仕上げ、夜のロードワークを迎える。 

朝8時の起床から午前零時の就寝まで、毎日同じことの繰り返し。その反復の中で身体と感覚を整えた。 

ラスベガス合宿の目的は、田中空対策だけではなかった。 

世界再挑戦を見据えて、みずからのボクシングを世界基準へとアップデートすること。それがラスベガス合宿の、最大の目的だった。簡単には埋まらない中量級の世界の壁を、数年かけて突き破るための土台作り。そのために世界基準の中量級ボクサーたちと、数多く拳を交えて実践感覚を磨く。同行したチーフトレーナー、廣隆からは、何度もそう言われていた。 

ラスベガスには、世界ランカー以外にもレベルの高い、日本のジムではなかなか出会えないタイプが揃っていた。アメリカ、メキシコ、キューバ出身のボクサーたち。それぞれに体格、リズム、圧力、パンチの質も違う。尽は、連日のようにそうした猛者相手にスパーリングをこなした。 

廣隆は、八王子中屋ジムにいるときと同じように、ラスベガスでも静かに尽を見守り続けた。 

廣隆は2015年に会長職を長男・一生(いっせい)に譲り、プロモーター業を任せた。いまはトレーナー業一本に絞っている。70歳を過ぎた現在、現役ボクサーを相手にミットを構えるのは厳しくなった。普段は三男・廣介がミットを構え、廣隆はその横で身振り手振りを交えながら、言葉で伝える。尽の海外合宿にも必ず同行し、現地で指導してきた。

「ジョナサンとは2024年に、レオと亀田和毅選手が日本で試合をした際に知り合い親しくなりました。現地では献身的にわたしたちをサポートしてくれて、心から感謝しています。尽にはサイドへの回り方や、細かなテクニックをアドバイスしてくれました。ただ、わたしは全部そのまま受け入れて変えようとは思いませんでした。尽には尽のスタイルがありますからね。目先の技術にばかり目が行って基本がぶれてしまえば、それは尽ではなくなってしまいます」 

と廣隆。尽が八王子中屋ジムに入門してきたのは中学1年だった。当時は小学生の頃から続ける柔道に力を入れており、東京都大会で2位という成績も残している。ボクシングの練習はその合間を見て、週2、3回程度だった。 

柔道では小学生の頃から活躍していた尽だが、「ボクサーとしては特別、目に留まるような才能は感じられなかった」と廣隆は話す。ただ尽自身は、徐々にボクシングの魅力に取り憑かれ、いつしか柔道よりも熱を入れるようになった。アマチュアでは1勝3敗という成績。そこから17歳でプロデビューし、廣隆と二人三脚でここまで上り詰めた。 

「もちろん、新しい技術を否定しているわけではありません。ただ尽は、決して器用なボクサーではありません。技術の習得にも時間がかかる。だからこそ基本となる技術、大きな幹を大切に育ててきました。いまようやく枝を整える時期までたどり着いたと思っています」 

ジョナサンのアドバイスも必要と思えば積極的に受け入れた。ただしそれは、"佐々木尽"というボクサーを、別の形に作り替えるためではなかった。 


「中屋、トレーナーとは耐えるもんだ。耐えることが、トレーナーの仕事だ」 

30歳でトレーナーを始めたばかりの頃、尊敬し、慕っていた先輩トレーナー、横田忠から言われた言葉。廣隆はその教えを胸に、これまで何人ものボクサーを王者へと導いた。

トレーナーとして40年間過ごし、70歳を過ぎたいまも、成長を急がせず、待ち、見守る。いまだ届いていない"世界"のベルトをともに目指す24歳の尽に対しても、そのスタンスは変わらない。
 
「"育てる"ということは、そういうことだと思うんですね。最後は本人次第です。窮地に陥ったときの力も、本人の身体の中にあるものです。1から10まで、すべてこちらが答えを伝えれば良いわけではありません。それを理解しているトレーナーほど、普段は選手に対して何も言わないものではないでしょうか」 

廣隆が見守り続けてきた、尽の小さな変化――。 

ラスベガスで重ねたスパーリングの最中、その変化は確実に顔を覗かせていた。しかも、そのときのスパーリング相手は、ただの強敵ではなかった。 

彼は「Rolly(ロリー)」という愛称で呼ばれていた。 

太々しい態度と、対戦相手を大胆不敵にあおるトラッシュトークでアンチを量産する一方、熱狂的なファンを抱えるカリスマ。 

2025年5月、Instagramで1200万人以上のフォロワーを抱えるボクシング界の異端児、あのライアン・ガルシアからダウンを奪う大番狂わせを演じ、判定勝利でWBA世界ウェルター級レギュラー王座に就いた、ローランド・ロメロだった。 


●佐々木尽(ささき・じん) 
2001年7月28日生まれ、 東京都出身のプロボクサー。八王子中屋ボクシングジム所属。5月2日に行われたOPBF 東洋太平洋ウェルター級タイトルマッチでは王者・田中空を判定で破り王座に返り咲いた。オーソドックス (身長174cm・リーチ176cm)、通算戦績は24戦21勝(18KO)2敗1分。

  • 会津泰成

    会津泰成

    あいず・やすなり

    1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。

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