
土居正英
どい・まさひで
土居正英の記事一覧
欧州在住10年の経営者。慶應義塾大学卒業後、P&Gスイス本部でグローバル市場を担当し、ファーストリテイリングなどでCMOを歴任。その後、英国で起業し、現在は年商5億円規模の眼鏡事業とコンサルティング事業の2社を経営する。大企業での海外赴任、英国での起業、永住権取得という自身の経験を生かし、現在は海外に挑戦する事業家の育成にも力を入れている。

「ビザを取り、海を渡れ!」と挑戦者を鼓舞。海外20か国でビジネスにチャレンジする300名近い日本人を成功に導き、その後も無期限で支え続けるコンサルタントがいる。土居正英(47)がその人だ。
P&Gスイス本部でグローバル市場を担当し、ファーストリテイリングなどでCMOを歴任後に自ら起業。
年商4億円以上を売り上げる眼鏡店をイングランドで経営する一方、自らのノウハウと人脈を惜しげもなく提供することで海外での起業に挑む日本人たちをサポートするコンサル業務に着手、月収200万のウェブマーケターや年商1億円超えの企業を輩出するなど、成功者を生み出し続けている。
土居の助言を受け、海外で羽ばたいた事業者たちの成功までの道のりを紹介していく連載の2人目では、「日本の良質な商品の価値をヨーロッパでも認識してもらう」という信念で、パリ、ロンドン、フィレンツェ、ベルリンなどで日本産商品の販売を20年も展開してきた青木千映氏を紹介。青木氏のビジネスが停滞した時、土居はどのような"棚卸し"をして青木氏の強みを再定義したのだろうか?
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青木千映と土居正英の邂逅(かいこう)は2025年5月。まだ一年と数カ月の付き合いだ。
青木は学生時代に南フランスへ短期留学し、「夢のように楽しい」日々を送った。その後ヨーロッパを一人で回り、最後に1週間パリに滞在する。当地に魅了され、「この街に住もう」と決めた。帰国後すぐに日本語教師として働けるインターン先を探し、フランス語の勉強にも力を注ぐ。そして1991年に再渡仏した。
彼女は金物メーカーの調理道具、木製の弁当箱、赤ちゃん用の歯ブラシ、木の玩具、日本の靴下、紙製の使い捨て食器、甲州の印伝、青森のヒバ製品、奈良の蚊帳、アロマ製品、ジュエリー、ファッション小物などを買い付け、ヨーロッパの店頭に並べた。日本企業がフランスに進出するサポートも手掛けた。
「日本の良質な商品の価値をヨーロッパでも認識してもらう」という思いで動いた。パリでは老舗百貨店やマレ地区のセレクトショップ、シャンゼリゼの大型店。ロンドンではセルフリッジズや、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館のミュージアムショップ。イタリアではリナシェンテのミラノ、フィレンツェ、ローマの各店。ベルリンではバウハウスのショップ。そのほかベルギー、スウェーデンで一人で交渉を重ね、棚を獲得していく。
また、青木はパリの国際見本市「メゾン・エ・オブジェ」に、2015年から2025年まで年2回のペースで10年以上出展。コロナで展示会ができなかった時期も、デジタル開催に参加した。多くの日本企業が欧州市場から一度引いた時期にも、志を曲げずに商品を並べた。
土居は言う。
「10年間、出店し続けたという事実が、青木さんの職業人生を非常によく表していると思います。ほかにもフランクフルトの国際見本市、アンビエンテへ2015年から2023年まで7回出展。パリのファッション見本市、プルミエール・クラスにも2024年以降、複数回出展しています。
イベントでは2016年10月、当時パリでかなり影響力のあったセレクトショップ『コレット』で、日本の紙製食器を扱う催事を実施しました。また2024年には、パリとトゥールーズで『日本式まつげエクステンション』の実演も行っています。
物だけではなく、日本の技術やサービスもヨーロッパへ持ち込んでいました。公的プロジェクトでは、経済産業省の事業に2017年度、2018年度と2年連続で採択され、<奈良の蚊帳製品をヨーロッパへ>というテーマに取り組んでいます。2022年からは徳島県鳴門市、および徳島県内の食品事業者、器・布・紙などの工芸のつくり手も交えたグループと組み、パリ・モナコを対象に販路開拓やイベントを実施。2024年からは北海道二風谷のアイヌ工芸をヨーロッパへ紹介するプロジェクトにも携わっていました。私はその経歴に目を奪われました」
1991年から2024年までの間に青木がヨーロッパで開拓した販路の累計は1500以上。ピーク時に単年で取引していた小売店の最大数は300。青木は当時について「船が入港し、倉庫でピッキングが行われる。フランスからスウェーデンへ商品が動く。どこかで常に何かが物理的に動いている。その状態が15年間、ほぼ途切れることなく続いていました」と土居に説明した。
だが、2025年5月の時点で青木の事業は5年連続で下降していた。貸し倒れや裁判も抱える状態だった。
土居は「ご本人からは、『もう、日本からフランスに進出してくる企業なんて、いないのではないか』という言葉まで出ていました」と当時を振り返る。
「彼女は新しい活路を求めてInstagramも始めていましたが、発信していたのはパリの素敵なお店や暮らしなど、いわゆる"キラキラ系"の内容でした。私から見ると、そこには青木さんが35年間かけて積み上げてきたものが、ほとんど使われていませんでした。パリ在住35年。経営20年以上。海外進出支援2000件超。それだけの経験を持ちながら、彼女は本気で『私が発信しても、"この人は誰?"で終わると思う』と話していたんです。
私が最初に感じた最大の問題はそこでした。青木さんの能力が足りなかったわけではありません。むしろ逆で、持っているものが多過ぎて、本人が価値として理解できていなかったのです。だから私がこの1年でやったことは、新しいスキルを教えることではなく、『青木さんが新しく探しているものは、もう35年間やってきたことの中にあります』と伝え、彼女の35年を整理し、言葉にし、ビジネスとして使える形に組み替える作業でした」
いつものように土居は、クライアントの強みを冷静に分析した。
「とにかく、青木さんの実績を前面に出しました。何をしている人かだけではなく、長期間、どこで、いかに生き残ってきた人なのかを見せるように変えました。また、青木さんは当初、『もう販路支援をやめたい』『BtoB(企業と企業)を辞めて新しいことをしたい』と考えていましたが、私は止めたんです。『強みを捨てるんじゃなく、再定義するんです』と問いかけました。20年間BtoBで実績をつくったこと自体が、これから海外へ挑戦する個人にとって最大の信用になるからです。その結果、BtoB+BtoC(企業と消費者)という形になり、相乗効果が生まれました。
また、青木さんは<フランス販路支援>に狭く寄せていましたから、『入口は広くしてください。中身で濃く刺せばいい』と助言しました。そして、海外起業伴走コンサルタントという方向に変更することで、個人と法人、両方から相談が入る設計にしました。彼女がそれまでやっていた事業構造も改善案を示しました」
土居は青木が日本企業から商品を仕入れている点、自分の資金で輸入し在庫を抱えている点、倉庫を使っている点、欧州の小売店へ販売し代金を回収している点を指摘した。
「彼女は、自分で背負い過ぎていたのです。場合によってはコンサルティング料を受け取りながらも、同時に仕入れで自腹を切るケースも見受けられました。それでは売上が増えても、手元の資金は苦しくなる局面が生じます。販売先が倒産すれば、商品も代金も失います。青木さんの努力では消せないリスクですよね。
そこで私が提案したのは、『販売まで背負うことから、設計と伴走で価値を出すモデルへ少しずつ軸足を移しましょう』ということでした。つまり、在庫を持たない。倉庫を持たない。自分で販売代金を回収しない。その代わり、35年間で培った知識、人脈、現地感覚、規制知識、事業設計力を提供するのです。『ここに青木さんの次の仕事がある』と考えました。つまり、事業から重さを抜くことが、そのまま彼女の人生の自由につながる。僕はそこまで含めて事業を変える必要があると説いたんです」
土居のアドバイスを青木は素直に実行した。
「今までのBtoBが自信を持って成長した例もありましたが、加えてそれまでに存在すらしていなかった個人向け事業を私が提案することで、大きく成長し、半年タームで月300万円という伴走契約も生まれました。法人案件もBtoCの集客を始めたことで大きく増え、最近では本人から、『こちらがお客様を選ばせていただくような状況になってきました』と報告されるようになりました。結果として現在は、年商1億円を達成したんです」
土居は自身のモットーでもある、きめ細やかなフォローも忘れない。
「青木さんは将来的に、日本とフランスを自由に行き来できる二拠点生活を目指しています。20年間、物を運ぶことで稼いできた人が、初めて物を運ばずに稼げるようになった。これが、この1年間で起きた大きな変化です。
失ったものを取り返すことよりも、同じ形で失わないことがテーマでした。貸し倒れは一度解決しても、同じやり方を続ければまた起こる可能性があります。だから私は、傷を治すよりも、同じ場所で傷つかない事業へ移ることを優先しました。敢えて述べるなら、私は『二度と同じ穴に落ち続けなくて済む事業構造へ、青木さんを移した』わけです」
ロンドン在住の土居は、今日も"教え子"たちの未来が輝くよう、最良の道を熟考する。日本円ではなく、ユーロやドルを稼げる人材の育成―――彼の働きぶりに、確かな<ポテンシャル>を見た。