【連載:伊藤千飛】受け継がれた誓い/世界へ <③絆の右ストレート>

取材・文・撮影/会津泰成

写真=福田直樹写真=福田直樹
2026年9月5日、東京・後楽園ホールで開催されたボクシングのWBOアジアパシフィックバンタム級タイトルマッチにて、同級王者の伊藤千飛(せんと、真正)は3回TKO勝利し初防衛に成功した。井上拓真、増田陸といった現役世界王者はじめ、休養王者の堤聖也や那須川天心など実力者がひしめく日本のバンタム級戦線に名乗りを上げた21歳の若者が胸に秘めた思い。そこには、トレーナー人生の集大成をかけて戦う名伯楽と、リング禍でグローブを置いた亡き先輩の存在があった。

*  *  *

2026年9月5日、東京・後楽園ホール――。

「あの頃は勢いだけです。何のエリートでもない、素人みたいなトレーナーとプロテストを1度落ちたボクサーが、雑草みたいに踏まれながらもしんどい練習続けて、やってたどり着いた舞台でした」

2005年4月、当時42歳だった山下は、24歳の長谷川穂積とともに、初めて世界の舞台に立った。

相手は9年間無敗のWBC世界バンタム級王者、ウィラポン・ナコンルアンプロモーション。長谷川は下馬評を覆して勝利を掴み、初めて世界の頂点に立った。

あれから21年ーー。

64歳になった山下は、いま21歳の千飛とともに世界の頂点を目指している。

単なる二人三脚とは違う。

もうひとり、山下の胸中で生き続けるボクサー、穴口一輝の存在もあった。

「3かいめーっ、ナウ、ラーゥンド、スリーッ!」

1、2回での千飛の圧力を警戒してか、ヴィラロサはやや距離をとり、ガードを固めて手を出さなくなった。千飛の鋭い左ジャブ。そしてワンツー。あたりは浅いが、ヴィラロサは大きく後退した。

「山下会長からいただいた手紙には、『俺と一緒にやってきたことを忘れず、それを出し切ったら必ず勝てる』と書いてありました。練習してきたことの具体的なおさらいが5つあって、最後に、『次の試合を通過点にして、必ず世界を獲るぞ』と書いてありました」

3回開始30秒。ヴィラロサが雄叫びを上げて左右の拳を振り回してきた。

千飛は落ち着いてかわして、左リードジャブを突いた。反撃するヴィラロサの打ち終わり、千飛は右ストレートをリターンし、さらに左ボディアッパー。かわしたヴィラロサが右ストレートから左フックを強振し、右ストレートを打ち込もうとした、その瞬間だった。

千飛は照準を合わせた。

写真=福田直樹写真=福田直樹写真=福田直樹写真=福田直樹
「山下会長、64歳ですよね。ミットを構えるのは正直、かなりきついはずなのに、いつも本気で僕と向き合ってくれます。毎日8ラウンド、汗だくになりながら必死になって、ミットを持ってくれています。本当に感謝しかないです。だから絶対、結果で恩返ししたい。必ず世界の舞台を、山下会長に見せたいです」

3日前、真正ジムで取材した際、千飛はそう話した。

自分に右ストレートを打ち込もうとしたヴィラロサの顔面を、千飛は逆に、カウンターの右ストレートで撃ち抜いた。

観客席がどよめき、大歓声に沸いた。

両膝を折り、背中から倒れ込んだヴィラロサ。どうにか立ち上がるも足取りはおぼつかない。試合続行は危険と判断したレフェリーはすぐさまストップした。

3回50秒TKO勝利――。

リング中央、千飛は両腕をひろげて何度も飛び上がった。

コーナーに戻り、出迎えた山下と両拳でタッチ。そして抱擁を交わした。


試合から5日後の9月10日ーー。

練習再開を前に、ふたりは防衛に成功したアジアパシフィックのチャンピオンベルトを持って、穴口の墓前で勝利の報告をした。

「目標は世界やで!! 穴口と世界獲りに行くで」

両手のひらを合わせて目を閉じた山下。モンスタートーナメント開幕前と同じ言葉で、穴口に語りかけた。

「必ず会長と世界まで行きます。真正ジムで最後に会長を世界に連れて行くのは僕やと思って頑張ります。」

心の中に、そう答える穴口の笑顔が浮かんだ。

「ほんの少しだけですけど、穴口さんに近づけました」

山下のとなりで同じように両手のひらを合わせた千飛はそう報告した。

穴口が生涯最後のリングに立った時、千飛はまだ高校3年生。プロテストも受けていなかった。

あれから2年9か月。今回で、憧れの先輩と同じ7試合を戦った。次戦はそれを超えることになる。

「自分の良さは消したらあかんで」

穴口からはそう言われた気がした。

となりで黙祷する山下の様子を、少しだけ目を開いてのぞいた。

山下は静かに、両手のひらを合わせたままだった。

千飛はもう一度目を閉じ、穴口に誓った。

「山下会長は必ず、僕が世界へと連れていきます」と――。

<了>


●伊藤千飛(いとう・せんと) 
2005年6月25日生まれ、21歳。兵庫県伊丹市出身。元プロキックボクサーの父親の影響で4歳からキックボクシングを始め、ジュニア日本王者に。同時にボクシングにも取り組む。興国高校進学後、ボクシングに専念し、選抜2冠、アジアユース&ジュニア選手権銅メダル獲得。2024年4月20日に真正ジムからプロデビュー。今年9月、WBOアジアパシフィックバンタム級チャンピオンの初防衛に成功。次戦は、日本王座最強挑戦者決定戦に出場する予定。通算戦績7戦全勝6KO。

●山下正人(やました・まさと) 
1962年4月30日生まれ、63歳。高知県生まれ。真正ボクシングジム会長兼チーフトレーナー。高校卒業後、兵庫県警警察官となり、主に暴力団対策本部の刑事として勤務。35歳の時、体を鍛える目的で入会した千里馬神戸ジムで長谷川穂積と出会い、36歳で警察官を退職しトレーナーとしてともに世界を目指し始める。以来、男女合わせて5人の世界王者の育成に携わる。2005年度、優れた実績を残したトレーナーに贈られる最高の名誉、エディ・タウンゼント賞受賞。

●穴口一輝(あなぐち・かずき) 
2000年5月12日生まれ。大阪府岸和田市出身。芦屋学園高時代は選抜&国体の二冠。芦屋大進学後は東京五輪出場を目指すも予選敗退。ボクシングから離れるも山下にスカウトされて再起。井上尚弥4団体統一記念杯バンタム級モンスタートーナメントに出場し、2023年12月26日の決勝では、のちにWBA世界同級王者になる堤聖也と激闘を繰り広げた。同試合後に右硬膜下血腫で意識を失い、翌年2月2日永眠。生涯戦績7戦6勝(2KO)1敗。享年23歳。

  • 会津泰成

    会津泰成

    あいず・やすなり

    ノンフィクションライター。1970年生まれ。93年、FBS福岡放送にアナウンサー入社。プロ野球、Jリーグなどスポーツ担当。99年に退社しフリーランス。第10回Numberスポーツノンフィクション新人賞受賞。著書に『天使がくれた戦う心(チャイ)』(情報センター出版局)、『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童(こ)「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)ほか。
    Instagram:@yasunari_aizu

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