
川喜田 研
かわきた・けん
川喜田 研の記事一覧
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。
密閉空間で人が集まり大陸をまたぐクルーズ船は、ウイルスに好都合な環境
大西洋を航行中のクルーズ船で、ハンタウイルスの集団感染が発生した。一部でヒトからヒトへの感染も確認され、致死率の高さにも注目が集まっている。
このウイルスはいったい何物なのか? また、パンデミックの時代が来るのか? 東大医科学研究所の佐藤佳教授に聞いた!
大西洋を航行中だったオランダ船籍のクルーズ船・MVホンディウス号で、「ハンタウイルス」のアウトブレイク(集団感染)が発生した。
4月6日に最初の感染者であるオランダ人男性が発症し(この時点では原因不明)、11日に死亡。さらにその後、別の2人も死亡した。5月12日現在で確認された感染者は、先に英国領セントヘレナ島で下船した乗客2人と、そこから2次感染したとみられる2人も含め、合計9人となった。
クルーズ船は5月10日、スペイン領カナリア諸島のテネリフェ島に到着。厳重な感染対策の下、感染者やほかの乗客の下船と帰国が進められ、帰国後は42日間の隔離措置が取られるという。
クルーズ船での感染症アウトブレイク、高い致死率、そしてヒトからヒトへの感染......。こうした要素が、忘れかけていたコロナ禍の悪夢を思い起こさせる。
電子顕微鏡で見たハンタウイルス。1976年まで原因不明の風土病とされていた
では、ハンタウイルスとは実際どのようなウイルスなのか? 新型コロナウイルスの研究で世界的に注目されるウイルス学者で、東京大学医科学研究所教授の佐藤佳氏に聞いた。
「ハンタウイルスは新型コロナやインフルエンザと同じRNAウイルスの一種で、ネズミなどの齧歯類を自然宿主とし、そのふんや体液などを介してヒトに感染します。
1950年代初頭の朝鮮戦争では、約3000人もの国連軍兵士が感染し、多くの死者が出ましたが、当時は原因が特定されていませんでした。
その後、1976年に韓国の研究グループが、宿主であるセスジネズミからウイルスを特定。捕獲場所の近くを流れる川、漢灘江(ハンタンガン)にちなんで、ハンターンウイルスと名づけられ、それが後にハンタウイルスという名称に変わったようです。
ちなみに、同じハンタウイルスでも地域によって症状には違いがあります。アジア・ユーラシア型では腎症候性出血熱などの腎機能障害を起こすことが多いのに対し、今回の集団感染を引き起こした南米型では、肺水腫などの呼吸器系疾患につながることが多いとされています。
また、アジア・ユーラシア型ではヒトからヒトへの感染例は報告されていませんが、南米型に含まれるアンデスウイルスでは、過去にも何度かヒトからヒトへの感染が起きており、今回のケースはアンデスウイルスであることがわかっています」
今回のハンタウイルスの集団感染については、すでにWHO(世界保健機関)や多くの専門家が「新型コロナと同じような感染拡大につながる可能性は極めて低い」として、冷静な対応を呼びかけている。
確かに、コロナ禍初期にアウトブレイクの舞台となったダイヤモンド・プリンセス号の乗員・乗客数が約2700人だったのに対し、MVホンディウス号は約240人と小規模な上に、接岸後も厳重な感染対策が行なわれていることを考えれば、むやみに心配する必要はないだろう。
ただし、懸念点もある。それは、4月に下船した乗客の中に、未確認の〝ステルス感染者〟が潜んでいる可能性だ。
WHOが正式にアウトブレイクとして認知する前の4月24日、南大西洋のセントヘレナ島で29人の乗客が下船している。
その中のひとりで、自覚症状のなかったスイス人男性が、帰国する飛行機で隣の席と後ろの席に座っていた乗客2人に、2次感染を引き起こしていたことが新たに判明しているのだ。
ちなみに、アンデスウイルスの潜伏期間は約3週間、最長40日程度と比較的長い。2018年末から翌年にかけて、34人の感染者と11人の死亡例を生んだアルゼンチンでの集団感染を検証した論文では、潜伏期間後期の自覚症状がない段階でも、周囲に感染させる可能性が示されている。これは、今回の飛行機内での2次感染のケースとも合致する。
つまり、4月24日にセントヘレナ島で下船したクルーズ船乗客29人と、その帰国時、あるいは帰国後に接触した人の中に、まだ〝ステルス感染者〟が潜んでいる可能性があるということだ。
そのため、飛行機内での2次感染が確認された2人の近くに座っていた乗客も含め、各国の当局は今、こうした「感染の可能性がある人物」を懸命に探しているところだという。
所持品をビニール袋に入れて運ぶクルーズ船の乗客。ハンタウイルスの集団感染を受け、カナリア諸島のテネリフェ島では厳戒態勢の下で下船作業が進められた
ちなみに、アルゼンチンで発生したアンデスウイルスのアウトブレイクでは、多くの人が密に集まったパーティを舞台に感染が拡大し、その時点での実効再生産数(ひとりの感染者が新たに何人に感染させるかを示す数値)は2.1と、比較的高かった。
一方で、適切な防護対策が行なわれた後は、実効再生産数を1以下に抑えることができたことも判明している。つまり、油断せず、きちんと感染拡大防止策を取れば、ハンタウイルスの封じ込めは可能で、パンデミックを引き起こす可能性は低いと考えていいだろう。
現時点で日本に暮らす私たちがなんらかの特別な感染対策を取る必要はない。もし国内で感染が疑われる人が見つかり、自分にも接触のリスクがあるかもしれない場合には、コロナやインフルエンザのときと同じ、普通の感染対策を取ればいいということだ。ただし、先に登場した佐藤氏はこう指摘する。
「新型コロナやハンタウイルスもそうですが、自然界の動物を宿主とするウイルスがなんらかのきっかけでヒトへと感染するケースは少なくありません。
今回、クルーズ船でアウトブレイクを起こしたハンタウイルスが、この先さらなる変異で性質を変えることがないのか。今後も、最新の知見を生かしたウイルスの詳細な検証や、変異への監視を続けていく必要があると思います」
現時点で過度に恐れる必要はない。だが、自然界のウイルスがいつ姿を変えるのかは、誰にもわからない。まずは今回のアウトブレイクを短期で収束させ、ウイルスの封じ込めを成功させることが重要だ。