
パリッコ
ぱりっこ
パリッコの記事一覧
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。
著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。2022年には、長崎県にある波佐見焼の窯元「中善」のブランド「zen to」から、オリジナルの磁器製酒器「#mixcup」も発売した。
公式X【@paricco】
ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。
それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。
そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。
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毎週毎週どこでなにを食べて美味しかったという、言ってみれば同じようなことを書かせてもらっているこの連載も、今回で200回目。こんな能天気な記録を人様に読んでいただき、それが仕事のひとつになっているなんて、心の底からありがたいことだと思う。いつも本当に、ありがとうございます。
というわけで気を引き締めなおし、さてこの節目になにを食べてやろうかと考えた。ちなみにそういえば100回目はなにを食べていたかな? と記事をふり返ってみたら、自分でも驚くべきことに、ローソンストア100の「ひじきご飯弁当」税込216円也だった。いくらなんでも地味すぎる......。
というわけで今回は派手にいきたい。となると、僕の最愛のメニュー、カツカレーだな。しかもなにかこうスペシャルな、こういう機会じゃないと食べないようなカツカレーがいい。そこであれこれ調べてみると、カツカレー発祥の店に関する情報が見つかった。
その店は「銀座スイス」という老舗洋食店。昭和23(1948)年、当時巨人軍で活躍する人気プロ野球選手であった千葉茂氏が、腹ペコかつ時間がなく、「カレーライスにカツレツをのっけてくれ!」とリクエストしたのがきっかけだったのだとか。
当然、カツカレーの発祥には他にもいくつかの説があり、厳密に日本でいちばん早く誕生した店がどこかまではわからないようだ。が、かなり早い時代に、少なくともこの店で独自にカツカレーが誕生していたことは事実。これは、カツカレー好きとして食べておかないわけにはいかないだろう。行こう、銀座へ。
「銀座スイス 本店」
創業者であり、幼少期から西洋料理を学んだ岡田進之助氏がスイスを開店したのは、昭和22年のこと。それ以前にも、日本の西洋料理の礎を作ったと言われる東京・麹町の「宝亭」や、首相官邸・国会記者クラブにて総料理長をつとめた方とのことで、ここはまさに、日本における西洋料理の歴史が詰まった聖地と言えるだろう。
ところが店内は僕のような庶民にも親しみやすい、比較的大衆的な昔ながらの洋食店といった雰囲気。カツカレーも、ランチ時数量限定の「元祖カツカレー」であれば、スープがついて税込2,000円。しかもカツが2枚の「Wカツカレー」でもわずかプラス220円で食べられるようで、歴史や立地を考えればリーズナブルすぎるくらいだ。
ロゴ入りのグラスや紙ナプキンがかわいい
当然洋食メニューが豊富にあるが、僕の目当てはカツカレー。しかもせっかくだからランチカツカレーではなく、レギュラーメニューに「カツカレー発祥の一品」とある「千葉さんのカツカレー」を食べておきたいところだ。
ありがとう千葉さん
千葉さんのカツカレーは2,530円。そのさらに上のグレードに、3,500円の「千葉さんのカツカレー プレミアム」があって、これはとんかつに、茨城県産の「常陸の輝き」という、希少な最上級ロース肉を150g使用したメニューだそう。カツカレーに3,500円はなかなかだけど......いっちゃうか。なんたって、今回は節目だ。
そこにお祝い気分でランチドリンクの「グラスワイン(赤)」(500円)をプラスし、さぁ、あとはレジェンドカツカレーを待つのみ!
ランチワインで乾杯
カツカレーに先んじてやってきたのは、あさりとベーコンのポタージュスープ。旨味濃厚だがさらりとした軽快さもあり、ワインの爽やかな酸味とよく合う。
いよいよカツカレーが到着。左側から千切りキャベツ、とんかつ、ライス、カレーという順にワンプレートに盛られ、プレミアムなとんかつをまずはそのまま味わってほしいという想いから、カレーソースがかからない構成にしてあるのだとか。別皿にはとんかつにおすすめだという塩、福神漬け、さらに追加用カレーソース。そしてコールスロードレッシング。細部まで心遣いが行き届いているのが届いた時点で痛いほどにわかる構成だ。
「千葉さんのカツカレー プレミアム」
追加カレーソースもたっぷり
とんかつの神々しさ
素直に店員さんのおすすめに従い、ふだんはあまりしないが、とんかつをひときれ塩で食べてみて驚いた。
まず、ロースカツの醍醐味である脂身部分。通常ならば白っぽいはずのそれが、透き通るように透明なのだ。がぶりとかじると、まずはラードの香るサクサクの衣の食感があって、続いて豚の脂のとんでもない旨味と高貴な香りが、まるでジュースのようにあふれだす。身はしっとりとして柔らかく甘い。こ、このとんかつ、異次元だ......!
思えば僕は、カツカレー好きを公言しつつも、そこにあまりこだわりというものを持ってこなかった。だからチェーン店のものでもコンビニのものでも幸せになれるし、じゅうぶん満足していた。だからこそまた、とんかつという食べもの自体にもそこまでのこだわりがなく、専門店で食べるということもあまりしてこなかった。うかつにもほどがあったな。しかも僕はこの時点で、まだカレーをひと口も食べていない。とんかつをひときれ、塩で食べただけだ。この世にはこんなとんかつの世界があったのだ。
異次元です
続いてカレーライスを食べる。ひき肉や野菜由来の旨味や甘味、ほどよいスパイシー感がありつつ、酸味も立って軽やかなカレー。これは粋な味だ。食べれば食べるほどクセになる。
ならばいよいよ、カツとカレーを合わせるとき。意を決してすべてを一緒に口に運ぶと、今日ここまでに感じてきた、とんかつのうまさ、カレーのうまさ、それぞれがくっきり別々に口のなかに広がり、それからゆっくりと融合しだす。口に入れた瞬間から、そこまでの過程にずっと感動がある。僕がふだん雑にかっこんでしまっている(そしてそれはそれで大好きな)ありふれたカツカレーとは違う、初めての体験だ。
こういう世界があったんだ
あぁ、このカツカレーを人生に一度でも味わえて、本当に良かった。大げさながら、カツカレー好きとして、飲み食いが好きな者として、ひとつ大きく成長できたような気さえする。
ありがとうハマりメシ。ありがとうカツカレー。この一歩をきっかけにまた、さらなる深淵の世界を探る旅をしていきたい。飲食って、本当に楽しくて幸せだ。今、そんな気分です。




