東京ドーム物語、もうひとりの主演ボクサー "ザ・ムービー"佐々木尽 ⑤

取材・文・撮影/会津泰成

2026年5月2日、東京ドームで開催されたボクシング興行の第4試合、OPBF東洋太平洋ウエルター級タイトルマッチは、挑戦者の佐々木尽が王者・田中空に2対1で判定勝利し、王座に返り咲いた。最後までおたがい譲らない戦いは、メインとはまた違う熱を帯び、日本ボクシング史に残る1日、「THE DAY」を5万5000人の記憶に刻んだ。 

無敗の難敵王者に勝利し、世界初挑戦で喫した敗北に区切りをつけ、ふたたび世界を目指す若きボクサー。その歩みを支えるベテラントレーナー。これはそんなふたりの、『決別』と『序章』の物語である

*  *  *


「自分のやりたいことができていない。良いところも生かせないまま、勢いに巻き込まれた感じですかね。何だろうな、相手のパターンに巻き込まれてしまう感じというか......」

東京ドームの試合まで、1か月を切った――。 

尽は週2、3回のペースでスパーリングを続けていた。 

ラスベガス合宿ではアメリカ、メキシコ、キューバなど、国籍、体格、リズム、圧力、そしてパンチの質も異なる、世界基準の中量級ボクサーたちと拳を交えた。 

現WBA世界ウェルター級王者ローランド・ロメロとも互角に打ち合えて、世界に向けた手応えも得た。もちろん日本のジムでは、同じ環境は準備できない。帰国後、尽は自分より重い階級のボクサー相手に、接近戦に強い空の圧力に負けない準備をしていた。 

「まだ距離感がつかみきれない。相手が詰めて来たとき、対応しきれず腰が浮いてしまったり......。『これじゃないんだ』と思っています」 

理想と現実のイメージは、リングの中ではまだひとつに重なっていなかった。 

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【アマチュアボクサーの強さ】

尽はこの頃プロだけではなく、拓大、中央など大学の名門ボクシング部に所属するアマチュア選手相手にスパーリングを続けた。いずれもウェルター級以上に大きい選手ばかり。理由はもちろん、田中空対策のためだ。 

空は身長165センチながらウェルター級を主戦場にし、プロデビューからわずか4戦、1年も経たないうちにOPBF東洋太平洋ウェルター級王者になった。しかも前回の初防衛戦も含めて、すべてKO勝利という完璧な戦績を誇っていた。 

横浜市の大橋ジム所属で、体型も似ていることから「ハマのタイソン」の愛称を持つが、実際のスタイルは違うように思えた。タイソンは、パワーとヘビー級離れしたスピードを両立させ、グローブで顔を固め、一瞬で懐へ肉薄する。空は、常に距離を詰めて密着し、細かなジャブやフック、アッパーに強弱をつけながら上下に打ち分け、相手の体力と気力を根こそぎ削り取ってから仕留める。 

歴史上のボクサーで例えるならば、至近距離で相手の自由を奪い、巧みに削ったパナマのロベルト・デュラン。執拗に前進し、正確なボディブローで相手を壊していったメキシコのフリオ・セサール・チャベス。接近戦における緻密な技術の組み立て。老獪な駆け引き。空のスタイルは、「ハマのタイソン」という愛称から連想される爆発力より、ラテンの名ボクサーが持つ接近戦の系譜に、近いように思えた。 

密着して相手の動きを制限し、プレッシャーをかけながら、自らの戦闘区域まで引きずり込む。 空のボクシングは、力任せとは一線を画す、冷徹で戦略的なボクシングだった。 

「空選手との試合は厳しい勝負になると、めっちゃ思ってます。何度もスパーリングをしているので、実力はよくわかっています。本当、危険な相手。リングで向き合うと目に見えない強さや、恐怖を感じるんですよ。パンチのスピード、パワーはもちろんありますが、なによりも、自分にはない、細かい技術をたくさん持っています。そこは空選手の方が上。自分はこれからの1か月でさらに進化していかないと、勝てない相手と思っています」 

空は、高校時代は選抜2冠でアジアジュニア選手権優勝。東洋大学進学後も、最終学年で全日本選手権を制した。高校と大学合わせてアマチュア5冠。通算成績は66戦58勝(39RSC)8敗という戦績を積み上げ、卒業後に大橋ジムからプロデビューした。 

野球やサッカーとは異なり、ボクシングのアマチュアとプロの間には、明確な実力の上下や優劣の壁は存在しない。「アマチュアよりもプロのほうが技術が高く、強い」というわけではない。 

両者はルールをはじめ、ラウンド数や判定の基準が大きく異なる。同じ「ボクシング」という競技でありながら、アマチュアとプロは「別の競技」と捉えるべきかもしれない。 

実際、大学卒業後もプロ転向を選ばず生涯アマチュアとして、オリンピックや世界選手権のメダルを追い続ける例は珍しくない。一方でプロ転向したのち、世界の最前線へと駆け上がる実力者も多かった。 

拓殖大学出身の内山高志は、WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者として11度の防衛に成功し、一時代を築いた。専修大学出身の山中慎介は、WBC世界バンタム級王座を12度防衛し、日本ボクシング史にその名を刻んだ。そして、空の先輩にもあたる東洋大出身の村田諒太は、ロンドン五輪で日本ボクシング界に48年ぶりの金メダルをもたらし、プロ転向後はWBA世界ミドル級王座を獲得した。 

現在も平成国際大学出身、現WBA世界バンタム級王者の堤聖也や、「世界チャンピオン間違いなし」と期待されている日本大学出身の世界選手権金メダリスト、坪井智也などがいる。アマチュア、そして大学ボクシング界のレベルはそれほど高い。そうしたことを踏まえれば、空がプロ転向わずか4戦、1年も経たずにOPBF東洋太平洋タイトルを獲得できたのは、何ら不思議ではなかった。 

尽にとって空は、簡単に攻略できる相手ではなかった。しかも今回は、空が持つOPBF東洋太平洋のタイトルに挑戦する立場である。日本のジムに所属するプロボクサーの中で、空のように小柄ながら頑強な体躯を持ち、なおかつアマ仕込みの細かなテクニックにも長けたウェルター級の実力者は、極めて稀だった。想定できるプロボクサーは、簡単には見つからない。そうした事情もあり、試合まで1か月を切った段階で、技術の引き出しを数多く持つ大学ボクシング界のトップアマとスパーリングを重ねることは、むしろ最善の策だった。 

【失敗、成功そして失敗】

4月8日――。 

尽がこの日スパーリングをした相手は中央大学3年、渡邊柊弥。身長は空よりも少し高い170㎝で、階級はウェルター級のリミット147ポンド(66.68 kg以下)より8kg以上重い、アマのミドル級(75kg以下)の選手だった。 

渡邊は静岡屈指のボクシング名門校、飛龍高校(旧沼津学園)出身だった。同校は、いま尽を指導する廣隆が最初にトレーナーを始めたときの愛弟子である世界を戦った渡辺雄二はじめ、プロアマ問わず数多くのトップ選手を輩出している。渡邊も例に漏れず、中大進学後、2年生ながら滋賀国体ライトヘビー級で3位になるなど活躍していた。 

「じゃあ合計4ラウンドで、お願いします」 
「わかりました」 

尽のセコンドに廣隆が付く。三男でサブトレーナーの廣介がタイマーをセットし、スパーリングが始まった。 

尽は渡邊とおよそ1年前、2025年6月19日のブライアン・ノーマンJr.との世界戦前にもスパーリングをしていた。それ以来、久々の手合わせだった。 

尽は様子を伺い、仕掛けてくるのを待った。それが裏目に出てしまい、体重差のある渡邊にロープ際まで追い詰められた。距離を潰されて、下からあごにダブルのアッパー、ボディブローなど連打を浴びた。
 

2ラウンド目、尽も反撃を開始した。詰められた状態のまま左右のフックで応戦。だがグローブは試合用10オンス(約283.5g)ではなくスパーリング用の大きな16オンス(約454g)のため、当てても、倒すまで効かせることは難しかった。 

体重差7キロ以上の相手に密着されたら、簡単に逃れることはできない。3回、もがけばもがくほど腰は浮き上がり、次第にパンチを返す隙間も消えた。最終4回は、無防備になったボディや顔面に、さらに多くの連打を浴びた。 


同じウェルター級ならば、大学のトップアマが相手でも、尽がこれほど苦戦する場面は見られなかった。スパーリング用の大きなグローブでもダウンを奪い、プロボクサーとして、これから日本ウェルター級の頂上決戦に挑む実力差を見せつけることのほうが圧倒的に多かった。 

渡邊は例外だった。「自分のやりたいことができていない。良いところも生かせないまま、勢いに巻き込まれた」と尽が振り返ったように、本来なら強打で相手を押し返せるはずが、この日の渡邊には通用しなかった。 

身長170センチと小柄ながら、体重は8キロ以上も重い。的も小さく、懐まで深く潜り込まれると大振りのパンチは出せない。尽にとっては最も苦手とするタイプだった。 

「接近戦でも、空選手を押し切りたい。今日は自分の技術が足りていなかった。本当は、中間距離の戦い、長めの左ジャブの3連発とかも試したかった。今日は試す前にやられてしまった。圧力に負けて、腰が浮いてしまった。ダメですね、これでは......」 

距離を潰され、強引に押し込まれてロープ際で腰が浮いた。打ち返したくても、打ち返すための形そのものが作れなかった。ただ、田中空への対策を考える上では、苦手な相手、状況でのスパーリングは、これ以上ない条件でもあった。 

接近戦に引きずり込まれて自由を奪われたとき、尽はどうするのか。尽自身で考えて答えを見つけるために、廣隆は、この相手を選んでいた。 

「尽は、今日は待ちすぎていました。それで腰が浮いてしまった。ラスベガスでロリーとスパーリングをしたときは、ロープ際まで詰められてもストレートを避けてカウンターを返すことができた。今日は、腰が浮いて何もできなかった。ロープ際に詰められても打ち返せる形。それがどうすればできるか、いま尽は自分で考えているはずです。 

失敗して、成功して、また失敗して、また考える。不器用でもその繰り返しでここまで成長してきましたからね。今日も良い気づきがあったはずです。研究して対策を考えるでしょう。次回のスパーリングでは、違うカラーリングになると思います」 

廣隆はそう振り返った。スパーリングを終えた尽は、10分ほど休憩して息を整え、ふたたびリングへと戻った。三男の廣介と課題を確認し、相談しながらミットに向かい拳をぶつけた。 

廣隆は少し離れた場所で見守り、「尽らしい形。尽らしいボクシング。わたしは、尽が何かをつかむまで待つ。我慢するしかないですから」と話した。 

【尽きない課題】

「前回は様子を見る、下がるイメージが強すぎて、自分の良さが全然出せなかった。今日はいつも通りというか、持ち味を生かした、プレッシャーをかけるスタイルを試しました。相手がでかくても、プレスが強くても関係ない。『下がるより、下がらせる』という気持ちで挑みました。

そっちの方がはまったというか、良いなと思って。スパーが終わってから渡邉選手にも聞いてみたんですけど、今日の自分の方がやりにくかったみたいです。『やっぱ、これだな』って。『これでやってみよう』って思いました」 

6日後の4月14日、渡邉との2度目のスパーリング。尽はこの日、空の攻略に向けたヒントを、おぼろげながら掴みかけていた。 

接近戦を警戒して様子を見るよりも、積極的に前に出て攻める。常に前に出る意識があれば、詰められても腰は浮かない。低く構えて相打ち覚悟で挑む。それなら被弾しても、少なくとも一方的にやられることはない。相手から嫌がられるようなボクシングをしようと、尽は意識した。 

「お願いします」 

スパーリングは、前回と同じ合計4ラウンドで始まった。初回、プラン通り渡邉が前に出てきても下がらず、両腕でブロックして突き返した。距離が開けば思い切り、右のオーバーハンドのフックから左フックを振り回し、跳ねるようにして一気に距離を詰めた。パンチはいずれも空を切った。だがヒットはしなくとも、相手を後退させることはできた。結果、次の攻撃も先手で仕掛けられた。 

「もちろん、待って相手の出方を伺うことも大切だと思います。ラスベガス合宿で、苦手だった下がるボクシングを学べたおかげで、右のパンチが出しやすくなりました。苦手な部分を潰してきたことは無駄ではなかったし、技術も上がったと思います。でも及び腰になるくらいなら、向かっていこうかなと」 

スパーリング終了後、尽はそう振り返った。 

同じように距離が詰まった状態でも、「相手の圧力に押されて引きずり込まれた距離」と「自分の意志で踏み込んで支配した距離」とでは、次に生まれる展開はまったく変わってくる。先手必勝、攻撃は最大の防御。技術を磨き、対策を練り、相手を警戒するなかで失いつつあった自分らしさ。尽はそれを思い直し、取り戻しつつあった。 

前回のスパーリングとは違い、2、3ラウンドは渡邊のほうが尽をより警戒し、様子を伺った。尽は心に余裕が出て来たせいか、脚を使い、ステップを踏み、サイドに動きながらフェイントを仕掛けた。前回、試したかった中間距離の戦い、長めの左ジャブの3連発も積極的に試した。世界戦で敗れて以降、取り組んできた右ストレートも決まった。およそ1週間前、ロープ際まで詰められて腰を浮かされた相手に対して、尽はリズム良く攻撃を仕掛けることができた。 

「次、ラスト!」 

最終4ラウンド、廣隆からペットボトルで水を飲ませてもらい、リング中央へと向かう。両手でグローブタッチしてスパー開始。渡邊も意地を見せ、尽はコーナーに追い込まれた。構えをより低くし、左腕をタテのL字型にして被弾を耐え凌ぐ。さらに第3の手、額を相手に付けて押し返した。 

わずかに生まれた空間。小さく右のボディーアッパーを連打。渡邊が後退した。アマチュアの試合は3ラウンドまで。4ラウンドは、渡邊にとっては試合では経験のない戦いだった。尽が休むことなく前へと出続けたことで、渡邊に疲労の色が見え始めた。だが、闘志は失っていない。「プロのトップボクサーでも、ふたつ下の階級の相手に負けたくない」という意地が、その戦いぶりから発せられていた。 


「ありがとうございました」 

リング中央で、ふたりは笑顔で両方の拳を合わせて感謝の意を伝えた。 
「前回よりもだいぶやりにくかったです。初回は、尽くんの懐に入っていけるな、と思ったんですけど、2ラウンドからは展開を作るのに手こずり始めてしまい、常に攻めて来るので体力も削られて、途中から崩れてしまいました。手数も、今日は自分のほうが少なかったですね。 

左フックの相打ちは、『これは、もらったらやばい』と思って、かなり警戒しました。相打ちになっても効かされる場所だけはもらわないように、軽く芯は外すように意識して避けることはできました。でも尽君の左フックは、まともに浴びたらかなりやばいですね」 

スパーリング終了後、渡邊は、この日のスパーリングについてそう振り返った。そして、「尽くん、やっぱり強いですね」と言い、最後に「でも次、尽くんとやるときは、4回まで戦い切れるように、僕も考えてきます」と話した。
 
*  *  *

尽は、本来のらしさを取り戻し、ラスベガス合宿で磨いたサイドへの動きも生かされるようになった。ただし、課題をすべて解決したわけではなかった。 

左のリードジャブでリズムを作り、サイドへと動くための中間距離を保つことも試したものの、攻める時間と守る時間がはっきり分かれすぎていて、相手に読まれる課題も新たに生まれた。動きに単調さが出れば、相手を休ませる時間を与えてしまう。接近戦では、リズムに乗ったと思えば両腕で抑え込まれ、押し潰されたり、体勢を入れ替えられたりする場面も多かった。 

「渡邊選手は、空選手より体も大きいし、パワーもある。ここで押し負けずにやっておけば、空選手に、パワーでは負けないと思うんです。ただ、空選手のほうがもっと細かいパンチを打ってくる。そこは危ない。打ったあとに止まらないこと。1センチでもいいから、体の位置をずらすこと。それをやらないと、空選手は近い距離でバンバン手を出してくるので、危険ですね」          
                
やみくもに前進するだけではいずれつかまり、空が得意とする接近戦で餌食になる。 近い距離でどう相手の力を逃がし、自分の距離、自分の形を作れるか。 

「これじゃないんだ」 

理想と現実のイメージは、リングの中ではやはり、まだひとつに重なっていなかった。 

次に渡邊と拳を合わせるのは、9日後の4月23日と決まった。 

東京ドームに向けたスパーリング総仕上げ。掴みかけた感覚を、どこまで自分のものにできるか。新たに生まれた課題を、どこまで克服できるか。 

残された時間は多くなかった。 


●佐々木尽(ささき・じん)
2001年7月28日生まれ、 東京都出身のプロボクサー。八王子中屋ボクシングジム所属。5月2日に行われたOPBF 東洋太平洋ウェルター級タイトルマッチでは王者・田中空を判定で破り王座に返り咲いた。オーソドックス (身長174cm・リーチ176cm)、通算戦績は24戦21勝(18KO)2敗1分。

  • 会津泰成

    会津泰成

    あいず・やすなり

    1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。

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