
矢内裕子
やない・ゆうこ
矢内裕子の記事一覧
ライター&エディター。出版社で人文書を中心に、書籍編集に携わる。文庫の立ち上げ編集長を経て、独立。現在は人物インタビュー、美術、工芸、文芸、古典芸能を中心に執筆活動をしている。著書に『落語家と楽しむ男着物』(河出書房新社)、萩尾望都氏との共著に『私の少女マンガ講義』(新潮文庫)がある。
写真/©吉原重治
「不祥事の検証を当事者である検察組織だけに任せてはいけません。刑事司法が変わっていくためにも、多くの人に関心を持っていただきたい」と語る村木厚子氏
「99.9%」とは、日本の刑事裁判における有罪率だ。一見、検察の優秀さを示す数字のようだが、先進国では異常な高さといわれている。この裏側には、本来は無実のはずの冤罪被害者が相当数存在する可能性が指摘されているのだ。
本書は、自身も冤罪被害者となった元厚生労働省事務次官の村木厚子さん(事件当時は同省局長)が、自身の経験を基に、日本の刑事司法の驚くべき現状と問題点をまとめた一冊だ。
* * *
――奇跡的に無罪を勝ち取った村木さんですが、本書の執筆のきっかけは?
村木 なるべく多くの人に日本の刑事司法の現状と問題について伝えなくてはと思い、まとめました。
私自身、2009年に「郵便不正事件」に巻き込まれるまで、刑事司法についてはまったく知識がなかった。痛感したのは、「日本で一度犯人と疑われたら、無罪を証明することは絶望的に難しい」ということです。
――村木さんを犯人に仕立て上げ、証拠を改竄・隠蔽した検察の手法は、無罪確定が報じられた当時、大きな話題になりました。
村木 私の事件をきっかけに、取り調べの一部可視化(録音・録画)などが始まりました。「これで良くなるだろう」と思っていたら、その後もプレサンス事件や大川原化工機事件などの冤罪事件が起こっています。
結局、検察は組織として何も変わっていない。それを追認してしまう裁判所の問題も大きいですよね。
最近、刑事事件の被告になった方々が私を訪ねてくださるのですが、皆さん「日本の刑事司法がこんなにひどいとは知らなかった」と同じことを言います。司法が変わらない現実を目の当たりにし、私も改めてきちんと発信せねばと思いました。
――11年からの法制審議会の特別部会では市民委員を務められましたが、学者や警察、検察、裁判官といった専門家委員は、市民の意見を聞く耳を持たなかったとか。
村木 はい、大きな衝撃を受けました。この特別部会で共に市民委員を務めた4人の仲間と、これではいけないと始めた勉強会が、本書の基になっています。
私たちが目指した刑事司法改革は道半ばで多くの課題が残りましたが、次の改革に向けて諦めずに闘い続けなければならない。本書は私が著者になっていますが、5人で作ったという気持ちです。
――一般人が無実の罪で逮捕されたとき、どうすればよいのでしょうか。
村木 普通の人にとって取り調べは、ルールを知らないままゲームに放り込まれるようなものです。こちらは素人、検察官はルールを熟知したプロな上、ルール自体が検察に有利。相手は大勢で長いやりを持っていて、こちらは短いナイフしかないような状態です。
例えば、私が「Aさんに会ったか記憶がない」と言っているのに「Aさんには会っていない」と言い切る調書が作られ、何度言っても聞き入れてもらえず、根負けして調書にサインしてしまったことがありました。もし、Aさんに会っていたら私が嘘をついたことになる。
取り調べにはこうしたさまざまな「わな」が仕掛けられているので、無実で逮捕されたなら、黙秘が最も有効です。ちょっとした発言から、検察はいくらでもストーリーを作ろうとするからです。
――村木さんは容疑を否認し続けたため、20日間の密室取り調べを含め、164日間も勾留されました。いわゆる「人質司法」は国際社会からも長年指摘されているのに改善されません。冤罪で逮捕されたら、どうメンタルを保てばよいのでしょうか。
村木 身に覚えがないのに理不尽な状況に置かれると、「自分が間違っていたのだろうか」と思えてきます。
でも、そのときこそ自分が知っている真実を大切にすることです。「自分は罪を犯していない。検察が間違えている」という構図を忘れず、冷静に「謎解き」をしていく。
それと、「考えても仕方ないことは横に置いて、今できることに集中」していました。具体的には健康管理ですね。拘置所の食事は栄養バランスが最高ですから、きちんと食べて、早寝早起きをする。
そして弁護士に教えてもらいながら裁判の準備をする。この「今できることに集中」するというのは、精神衛生上とても良かったです。
――勾留中、本もたくさん読んでいたとか。
村木 前半の生活を支えてくれたのは、比叡山の酒井雄哉大阿闍梨の『一日一生』(朝日新書)です。「冤罪の苦しみがいつまで続くのか」と思っているときに、「今日、できることをやろう」と思えて、とても楽になった。
それと裁判の準備で役に立ったのは『名探偵コナン』です。実はコミックを2周、映画も全部制覇しているくらいのファンなのですが......(笑)。
コナンを読んで学んだ「真実らしく見えるものと、本当の真実を分けて見ていかなくてはいけない」という考え方を胸に、裁判資料から客観的証拠があるものを分けていきました。
――取り調べの記録を取ることも大切と聞きました。
村木 逮捕されると弁護士から「被疑者ノート」が差し入れられます。取り調べの時間や検察官の態度、質問と回答を記録するものです。私も共に逮捕された部下も具体的に書いていました。
取り調べは密室です。手練手管に負けた悔しさや、ひどい取り調べの記録をその都度残しておくと、裁判で証拠になることがあります。後から書いても「作文だ」と言われてしまう。弁護士との緊密なコミュニケーションも、検事の揺さぶりに対抗するために不可欠です。
――刑事司法を変えていくために、大切なこととは?
村木 多くの人が関心を持つことです。検察は身内の不祥事に対して外部の第三者委員会をつくらず、私の事件でも当事者の私に一切事情聴取をしませんでした。これでは再発は防げない。
職場復帰後、笠間治雄検事総長(当時)に面会したとき「ありがとう。中からは変えられなかった」と言われました。上層部も現場のプレッシャーを知りつつ、自浄作用を諦めていたのです。
不祥事の検証を当事者である検察組織だけに任せてはいけません。刑事司法が変わっていくためにも、市民が声を上げていくしかありません。
●村木厚子(むらき・あつこ)
1955年生まれ、高知県出身。元厚生労働事務次官。現在は全国社会福祉協議会会長。高知大学卒業後、78年に労働省(現厚生労働省)入省。雇用均等・児童家庭局長などを歴任。2009年の「郵便不正事件」では虚偽有印公文書作成容疑等で逮捕・起訴されるも、10年9月の裁判で無罪確定、職場復帰
■『おどろきの刑事司法 "犯罪者"の作り方』
講談社現代新書 1320円(税込)
冤罪事件に巻き込まれ、164日間の勾留や検事の作文調書、証拠改竄を目の当たりにした著者がつづる、刑事司法の驚愕の実態。法制審の市民委員たちが戦慄した、日本の刑事裁判のゆがんだ構造とは? 人質司法の解消や再審制度の見直しなど、誰もが信頼できる司法へ変えるために私たちがなすべきことを示す一冊