寝技で人生大逆転。プロレス入りに3度失敗した菊田早苗が世界の頂に立った日

取材・文/布施鋼治 撮影/長尾 迪

2001年、ライトヘビー級キング・オブ・パンクラスとなった菊田早苗2001年、ライトヘビー級キング・オブ・パンクラスとなった菊田早苗

【連載・1993年の格闘技ビッグバン!】第59回

立ち技格闘技の雄、K-1。世界のMMA(総合格闘技)をリードするUFC。UWF系から本格的なMMAに発展したパンクラス。これらはすべて1993年にスタートした。後の爆発的なブームへとつながるこの時代、格闘技界では何が起きていたのか――。

前回につづき、「寝技世界一決定戦」アブダビ・コンバットで優勝し、パンクラスやPRIDEなどで活躍したレジェンド、菊田早苗をフィーチャーする。

【糧となった2年前の敗戦】

「日本に帰ったら大変だよ。スターになっているよ」

アブダビからの帰路、消灯された機内で、菊田早苗はたまたま隣の席に座っていた谷津嘉章からそんな言葉をかけられた。

「マニアックな寝技の大会で勝っただけなのに、自分がスター!?」

大物プロレスラーにそう言われても、菊田は疑心暗鬼になるしかなかった。心の中で「そんなことはないだろう」と、チヤホヤされる自分のイメージを必死に打ち消した。それはそうだろう。高校までは柔道でエリート街道を突っ走ったものの、その後は憧れたプロレスラーになることに3度も失敗し、泥にまみれるような人生を送ってきたのだから。いきなり持ち上げられても、気持ちが舞い上がることはなかった。

しかし、2001年4月12日(現地時間)、アラブ首長国連邦のアブダビで開催された『第4回ADCCサブミッション・レスリング世界選手権』88㎏級で優勝したことは事実だった。通称、アブダビ・コンバット。格闘技界では〝寝技世界一決定戦〟として有名な大会だった。

菊田は日本人ファイターとして初めて優勝を果たした。その後もアブダビ・コンバットで優勝した男子日本人はひとりもいない。菊田がいまでも〝寝技世界一〟といわれるのは、このときの金字塔がいまもなお輝いているからにほかならない。

冒頭の谷津の予言は当たっていた。帰国すると、菊田を見る世間の目は一変した。職務質問され、身分証明書を提示すると、その警官は「菊田って、格闘家の菊田か?」と二度見した。都内のファストフード店に入ると、店長がわざわざ出てきて、「寝技世界一の菊田さんじゃないですか」と激励された。

菊田は「こんなに注目されることになるとは夢にも思わなかった」と振り返る。

「その直後、PRIDEからもオファーをもらったけど、かつてもらっていたファイトマネーからは想像もつかない額になっていましたね」

帰国直後には地上波の深夜のスポーツ番組でアブダビでの活躍を伝える菊田の特集が放送された。

「あの大会にはほかにも、プロレスラーの田村潔司さんとか新宿スポセンで一緒だった須藤元気君とか、たくさん日本人選手が出ているんですよね。テレビ局としては『誰かひとりくらい活躍するだろう』と予想して、ひとりだけディレクターを派遣していたんですよ。そうしたら、僕以外の選手はみんな一回戦で負けてしまった。僕だけ勝ち上がっていったのだから、特集されるのは仕方ないことだったんですよ(照れ笑い)」

勝因はいくつかあった。

ひとつは、2年前のアブダビ・コンバットに99㎏級で初出場したとき、初戦で敗れたことが大きな糧となっていた。対戦相手はヒーガン・マチャド(ブラジル)。グレイシー一族として知られるマチャド五兄弟の三男で、兄弟の中では最強の名をほしいままにした柔術家だ。

初出場した1999年のアブダビ・コンバットでは初戦でヒーガン・マチャドに敗れた初出場した1999年のアブダビ・コンバットでは初戦でヒーガン・マチャドに敗れた

「目の前にいると思ったら、真後ろにいたり。この階級では僕のレベルがまだそこまで行っていなかったんでしょうね。何をやっているのかわからなかった」

自分より明らかに身体のサイズが大きかったことも響いた。

「ヒーガンは身体が大きい割にタックルがうまかった。それで取られてしまったりしていた。柔道家としての僕はタックルを切るのが苦手というか、相性はとことん合わなかった」

このときの失敗を糧に2度目のチャレンジでは階級をひとつ落とし88㎏級にした。

「そうしたら対戦相手はみな小柄になった。ヒーガンに負けていなければ、2年後の優勝は絶対なかったと思いますね」

試合に向けての気持ち作りも徹底した。往路の飛行機ではどちらかといえば遠足気分で話を弾ませる者も多かった。筆者もこの遠征に同行したが、みんな「優勝したら金の延べ棒がもらえる」といった噂話に花を咲かせているように見えた。しかし、菊田はそうした雑談に乗ることもなく、往路ではひとり黙って過ごしていたという。

不確かな予感は確信に変わった

決勝を争うことになるサウロ・ヒベイロ(ブラジル)は前年度の同級チャンピオンであり、ブラジリアン柔術の世界選手権で歴代最高の4階級制覇を成し遂げたレジェンドとして知られていたので、88㎏級にエントリーした者は誰もがマークしていた。

ある日、ホテルから会場までのマイクロバスに乗ると、菊田の隣は同じ階級にエントリーしていたイーゲン井上だった。イーゲンはエンセン井上の実兄で、1996年3月30日の『トーナメント・オブ・J』では菊田と2回戦を争い、敗れていた。当然、話題はサウロに集中したが、イーゲンは「みんなサウロは強いと言っているけど、俺はそう思わない」と告げた。

菊田が「なんで?」と突っ込むと、イーゲンは即座に答えた。「いや、もうアイツは〝めくり〟しかないんだよ。めくりを防いだら、負けることなんて絶対ない」

めくりとは柔術用語で別名はスイープ。ガードポジションから対戦相手の体勢をひっくり返して体勢を入れ替える技術を指す。

そのときはまだトーナメントの組み合わせは決まっていなかったが、菊田とイーゲンは同じブロックで勝ち上がり準決勝で激突。菊田が雪辱に燃えるイーゲンを返り討ちにした。

「イーゲンはサウロと闘うことを楽しみにしていたけど、かわいそうに僕に負けてしまった」

菊田はイーゲンのサウロに対する評価を受け入れつつ、身体のサイズ的には相性がいいと感じていた。というのも、自分より小柄だったからだ。

「ヒーガンじゃないけど、僕は身体が大きな相手が苦手だった。柔道をやっている頃からそうでした。対照的に自分より小さいとパワーで封じ込めることができるので得意だった」

決勝の舞台でサウロと顔をあわせたとき、「勝てるんじゃないか」という不確かな予感は確信に変わった。根拠もあった。

「大会の直前、ヒクソンの息子ホクソンが不慮の事故で亡くなっていた。サウロはホクソンを追悼するデザインのTシャツを来て入場してきた。そのときですね。『勝てる』と感じたのは。勝負って縁起とか何かに頼る人がいるけど、戦いはひとりだから。頼ったら負ける。そう僕はいつも思ってるんですね。あのとき、向かい合ったサウロは何か強さを感じなかった」

サウロ・ヒベイロと組み合う菊田(本人提供)サウロ・ヒベイロと組み合う菊田(本人提供)

当時ブラジリアン柔術は神秘のベールをまとう格闘技だった。寝技になったら底無し沼にハマるようなイメージを抱いていた日本人ファイターは多い。それほど柔術のテクニックを対処するスキルが発展していなかった。だからこそグラウンドで下になると、両足を相手の腰に絡めるクローズドガードをとる者が後を絶たなかった。対照的に菊田の対応は180度違っていた。下になっても、オープンガードで次の展開を作ろうとしていたのだ。

「もともと僕はクローズドガードが得意ではないというのもありました。そういう体勢をとったら、バーリトゥードだと殴られてしまいますからね。だったら距離がとれるオープンガードのほうが僕は良かった。オープンガードのまま耐える。その価値観はいまも変わらない」

サウロとの決勝はいきなりタックルを決められ最初の7分は寝技で下になることを余儀なくされたが、菊田は自らの足を効かせることで、パスされることもなければ、関節技や絞め技を極められることもなかった。

「パスできなくて必死になってるサウロを下から見てたら、楽しさまで込み上げてきましたね。試合中そんなこと思ったのは初めてです」

再びスタンドの攻防になると、右を差した体勢から左の外掛けでテイクダウンを奪う。下からサウロは得意の〝めくり〟を狙ってくるが、イーゲンからのアドバイスもあって、菊田はその誘いに乗らない。逆に自らの上半身を一気にスライドさせケサ固めへ。これで3ポイント。日本人ファイターがアブダビ・コンバットで初めて頂きを極めた瞬間だった。

サウロ・ヒベイロに勝利した菊田(本人提供)サウロ・ヒベイロに勝利した菊田(本人提供)今でも、日本人男子でアブダビを制したのは菊田だけだ(本人提供)今でも、日本人男子でアブダビを制したのは菊田だけだ(本人提供)

同年9月30日、パンクラスで菊田は美濃輪育久(のちのミノワマン)を2RTKOで破り、ライトヘビー級のキング・オブ・パンクラシスト(王者)となった。寝技で人生大逆転。菊田は人生の絶頂を迎えていた。

●菊田早苗(きくた・さなえ) 
1971年生まれ、東京都練馬区出身。GRABAKA主宰。「ザ・トーナメント・オブ・J」を96年、97年と連覇し、リングス、PRIDE、パンクラスなどで活躍。2001年にアブダビ・コンバット88kg未満級に出場し、日本人初の優勝。総合格闘技戦績31勝9敗3分1無効試合。

★『1993年の格闘技ビッグバン!』は毎週火曜日更新!★

  • 布施鋼治

    布施鋼治

    ふせ・こうじ

    1963年生まれ、北海道札幌市出身。スポーツライター。レスリング、キックボクシング、MMAなど格闘技を中心に『Sports Graphic Number』(文藝春秋)などで執筆。『吉田沙保里 119連勝の方程式』(新潮社)でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。他の著書に『東京12チャンネル運動部の情熱』(集英社)など。

Photo Gallery

この記事の特集

編集部のオススメ

関連ニュース

TOP