ミンチェタ要塞からアドリア海を望む、ドゥブロヴニクの景色。「海の見える街」であるドゥブロヴニクは、「アドリア海の真珠」の異名をもつ。
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第179話
アドリア海を渡り、「海の見える街」ドゥブロヴニクへ。絶景の城塞都市を歩き、世界中から集う研究者たちとの再会を楽しむ。
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【「アドリア海の真珠」へ】
学会初日。開会は夕方ということなので、時差ぼけ解消も兼ねて、さっそくドゥブロヴニクに繰り出すことにした。97話でも紹介したことがあるが、朝からちゃんと行動すること、陽の光を浴びることは、時差ぼけを解消するコツである。
ドゥブロヴニクは「アドリア海の真珠」とも呼ばれる。アドリア海とは、地中海の内海のひとつで、イタリアの東側(長靴形の半島の後ろ側)と、バルカン半島に挟まれた海を指す。クロアチアのドゥブロヴニクは、バルカン半島側に位置する。
いろいろな交通手段があったが、せっかくなので私は、ボートでドゥブロヴニクに向かうことにした。ボート乗り場まで歩いていると、ちょうど到着したばかりの、私のラボのギリシャ人ポスドクSとばったり鉢合わせた。
他愛のない立ち話をしているうちに、ボートの出発時間が近づいていた。私は慌ててボート乗り場まで足を運び、チケットを買い、出発しようとしていたボートに飛び乗った。
(左)ボートの往復チケット。20ユーロ。(右)私のラボのギリシャ人ポスドクS。ボート乗り場でまた遭遇した。
赤い屋根の建物が散在する海沿いの景色を眺めながら、ボートは真っ青な海の上を進む。
ツァヴタットからドゥブロヴニクまではおよそ1時間。『魔女の宅急便』の挿入歌、「海の見える街」をBGMに、アドリア海から望む「真珠」たるドゥブロヴニク。
ヴァイオリンのプレリュードからのオーボエの主旋律が続く、印象的なイントロダクション。晴れた青空にそよぐ潮風。風に乗って飛ぶカモメ。BGMとともに、『魔女の宅急便』の世界に没入する。
海沿いの集落のすぐ奥は急峻な山になっている。ちなみに、その山々の向こうはボスニア・ヘルツェゴビナ。
城塞都市であるドゥブロヴニクの旧市街は、城壁でぐるっと囲まれていて、その上を歩くことができる。迷路のような旧市街を散策しながら、城壁を登る門を探す。
石畳で起伏の激しい街並みと、味のある古い石造りの建物の間を縫うたくさんの小道は、2024年に訪れた、地中海の対岸、北アフリカの国アルジェリアの「カスバ」(141話)を彷彿とさせる。
「ピレ門」で40ユーロの入場料を支払って、城壁の上の歩道へ。歩くたびに、そして高台を進むにつれて、息を呑むような景色が眼下に広がる。
城壁の上は陽射しが強く、歩き続けると汗が滲む。いちばんの高台である「ミンチェタ要塞」から眺める、赤い屋根で埋め尽くされたドゥブロヴニクの旧市街。『魔女の宅急便』の「海の見える街」が流れるシーンでも象徴的な時計台。そしてその先に望む、青く透き通ったアドリア海。
地中海料理のレストランのテラス席に座り、おそらく地中海産であろうレモンを絞って、ニシンのグリルを食べた。合わせるのは、きりっと冷えた地産の白ワイン。魔女の魔法のように不思議に満たされた気持ちに浸りながら、ツァヴタットへ向かうボートに乗り込んだ。
(左)城壁に入るためのチケット。40ユーロはさすがにちょっと高く感じるが、ここからの景色を見ないとドゥブロヴニクに来た価値が半減してしまう気がするので仕方がない。(右)ニシンのグリル。まずいわけがない。
【ヨーロッパウイルス学会】
さて、本来の目的である、ヨーロッパウイルス学会である。
会場には、この連載のさまざまな場面で登場したことのある旧知の顔が集まっていた。ドイツウイルス学会で会ったフランク(98話など)や、フランス・パスツール研究所の親友オリヴィエ(153話など)。チェコのプラハにいるG2P-Japanの盟友イリ(41話、70話など)に、つい先月、シンガポールで会ったばかりのギャビン(157話)。
あるいはフォルカー(113話)など、2024年の終わりに淡路島で主催した国際会議(159話)に参加してくれた人たちの顔もあった。
もちろんそれだけではない。このコラムでは紹介したことのない知人たちもちらほら見かけた。オーストリア・ウィーン(97話、2024年)や、ドイツ・ウルム(21話、2023年)で開催されたドイツウイルス学会、あるいは、これまでの突撃訪問(40話など)や、2024年のパリ出張(153話)などの機会に、話したり見かけたりしたことがある人たちと再会の挨拶を交わす。ヨーロッパの人脈が着実に築かれていることを体感する。
そして、意外な顔もあった。アメリカ・モンタナ州のNIH(国立衛生研究所)・ロッキーマウンテン研究所にいるアンドレア(129話)である。この年の1月に政権が交代して以降、アメリカの「アカデミア(大学業界)」、特に感染症界隈については、絶望的に暗い噂話しか聞こえてこない。
彼女が「総合講演」の演者のひとりであることは、学会のプログラムを見て知っていた。しかしこのとき、アメリカの研究者、特にNIHの研究者たちは、政権交代の影響で、「何も買えない、出張にも出られない」という噂を聞いていた。そのため、おそらく彼女は来られないのだろう、と思っていたのである。
しかし今回は、"招待"されての講演であることから、特例として出張が認められたのだという。私には英語のボキャブラリーが不足しているので、気の利いた言い回しをしたり、うまく労ったりすることが難しい。
そのため、いかにも心から心配している!、という空気を全力で滲み出しながら話を聞くよう努めていたのだが、答える彼女は驚くほどに飄々としていた。
夜には、ギリシャ人ポスドクSやオリヴィエたちと連れ立って、ツァヴタットのビーチ沿いにある「ラ・ボエム」というイタリアンレストランに出かけた(余談だが、同名のイタリアンレストランが、東京・白金台にある。私が所属する研究所の近くにもある)。
やはりテラス席で食べる、スズキのグリルと白ワイン。陽が落ちて心地よく冷えた潮風に、言葉を失うようなツァヴタットの夜景。
しかし、東洋人の私にとっては息を呑むほどのこの景色も、フランス人であるオリヴィエやギリシャ人であるSにとっては、ヨーロッパの見慣れた光景のひとつでしかないという。彼らにとってはむしろ、日本の居酒屋や新宿の喧騒の方が新鮮であるらしい。
そしてやはり、食事の席でも、アメリカの現状についての話題が何度も顔を出した。学会場や夕食の席にも、アメリカから来た参加者がちらほらいた。彼らは、シラフでは平静を装っていても、グラスを重ねているうちに、その多くが惨状をこぼした。
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