おしかけ魔女の宅急便~ツァヴタット、ドゥブロヴニク(後編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】

文・写真/佐藤 佳

ツァブタットの夜景。ホテルのテラスから見たら、その全景を望むことができた。こんな感じで、湾を囲むようできた小さな街。ツァブタットの夜景。ホテルのテラスから見たら、その全景を望むことができた。こんな感じで、湾を囲むようできた小さな街。

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第180話

ヨーロッパウイルス学会の講演に登壇。アジアから世界へ研究を発信する思いと、ツァヴタットで過ごした豊かな時間を綴る。

* * *

【「総合講演」に至った裏話】

ヨーロッパウイルス学会は4日間。18題ある「総合講演」のうち、私が最終日にしんがりを務める。この連載でも詳報した、タイで見つけた新しいウイルス「RacCS20637」についての話(175話)を披露した。

聴衆の反応は上々で、発表の後にはいろいろな人たちから賞賛の声をかけてもらった。発表することが名刺代わりになる。そしてそれによって、英語がさほど得意ではない私にも、いろいろな人たちと交流するきっかけが生まれるのである。

ちなみに、18人の総合講演の演者の中で、アジアからの演者は私だけであった。また、プログラムを見たり、会場を見回してみても、日本からの参加者は、私とギリシャ人ポスドクのSだけ。つまり、800人ほどが集まったこの集会の中で、日本人は私だけだった、ということになる。

前編で、「この学会から、総合講演の"依頼"を受けた」と書いたが、実はここにはちょっとしたトリックがある。

まず、「総合講演の"招待"を受けた」というのは本当。ただそこに、ちょっとした裏話というか、トリックがあったのである。

今回の集会の主催者は、私の知人のフランク(21話98話)と同じ、ドイツ・ウルム大学の教授だった。この学会に興味があり、ウェブサイトを調べている中でそれに気づいた私は、フランクを介して、面識もないその主催者の教授に、「私をこの学会の演者として"招待"してほしい」とメールで直談判したのである。

その後、どのような経緯を経たのかまではわからないが、首尾よく私は、いくつかある「招待講演」の枠の中でも最高ランクの「総合講演」の演者としての"招待"を受け、今回の参加に至ったのであった。

――それではなぜ私は、そのような「お願い」をしたのか?

招待を受けて学会に参加する場合、その参加費や宿泊費の一部がタダになることがある。実際にこの学会でも、参加費と2日分の宿泊費、そして最終日の「ガラディナー(Gala Dinner、学会最後の夜の晩餐会みたいなもの)」がタダになった。しかし私は、そのような金銭的な援助を求めて"招待"を「お願い」をしたわけではない。

その理由はただひとつ。「アジアからのアピール」をしたかったからだ。たしかに私やG2P-Japanは、新型コロナの研究成果で世界から賞賛を受けた。

しかし、この集会が開催された2025年現在、新型コロナパンデミックが終焉を迎えつつあり、またその研究に対する興味は、社会からも研究者からも失われつつあった。新型コロナ研究でせっかく培った「レピュテーション(81話)」を、時とともに失いたくはない。

そして、これから「G2P-Asia(175話)」を展開していく意味でも、「アジアから世界へ!」という姿勢を明確にしたかった、ということもある。

「欧米だけじゃなく、アジアにも、日本にも、イケてる研究をやっている研究チームがある!」ということを示し続けることも、これからの私の使命のひとつなのではないかな、と勝手に思い込んだりもしていて、今回はその機会に利用させてもらった、というわけである。

【学会最終日の晩餐】

4日も滞在し、学会場でいろいろな研究者たちと交流していると、この旅の始まりにあった『魔女の宅急便』の魔法はすっかり薄れて、むしろそれが当たり前のような、日常のような空気感が漂い始める。

それでも、ツァヴタットは素晴らしい街だった。

学会場から歩いて5分もすれば、アドリア海のビーチに出る。「歩いて5分もすればビーチ」というところで、エイズウイルスの研究をしていた頃に毎年通っていた、アメリカ・ニューヨーク州で開催されるコールドスプリングハーバー(52話)の研究集会が想起された。

コールドスプリングハーバーのビーチでは、運が良ければカブトガニの産卵を見ることができた。そんなカブトガニの記憶と一緒に、コールドスプリングハーバーでは、何を言っているのかさっぱりわからない英語にわかったフリをして、酔いに任せていろいろな人たちに絡みまくっていたことも思い出した。

今となっては若気の至りの延長線でしかないが、私の場合、そんな恥ずかしい記憶の積み重ねが今に繋がっているのである。

ただ、ツァヴタットがコールドスプリングハーバーと違うのは、その海が大西洋ではなくアドリア海であることと、そこからさらに5分も歩けば、おしゃれなカフェやレストランがたくさん並んでいることだ。

(左)コールドスプリングハーバーの内海のビーチ(?)。コールドスプリングハーバーには基本的に研究所しかない。(右)ツァヴタット、アドリア海のビーチ沿いに並ぶレストラン。(左)コールドスプリングハーバーの内海のビーチ(?)。コールドスプリングハーバーには基本的に研究所しかない。(右)ツァヴタット、アドリア海のビーチ沿いに並ぶレストラン。

ツァヴタットでの最終日。研究集会が閉会すると、旧知の面々や、今回新たに仲良くなった人たちと、残された時間を楽しんだ。

夕方、ビーチ沿いに並ぶカフェのテラス席に座り、ビールを飲みながら、アドリア海に沈みゆく夕陽をみんなで眺めた。これはおそらく、私の人生の中で最高の夕景のひとつになるだろうと思う。ヨーロッパの友人たちとの、言葉のいらない、静かで豊かな時間が流れる。

最終日の夕景。ビールを飲みながらいろいろ語らっていたが、陽が落ちるマジックアワーに入ると自然と会話は止んだ。最終日の夕景。ビールを飲みながらいろいろ語らっていたが、陽が落ちるマジックアワーに入ると自然と会話は止んだ。

20時を過ぎ、陽が落ちると、風が冷えてくる。

シーフードレストランのテラス席に場所を移し、白ワインをたしなみながら、美味しいシーフード料理にみんなで舌鼓を打った。

(左)シーフード盛り合わせ。(右)サッカークロアチア代表のルカ・モドリッチも来店したことがあるレストランだった。(左)シーフード盛り合わせ。(右)サッカークロアチア代表のルカ・モドリッチも来店したことがあるレストランだった。

美味しい料理とワインを囲んで、会期中の事や、これからの研究のことなどを、思い思いに話したりする。

素晴らしい研究集会だった、という意識が共有されて醸成される、達成感と多幸感に満ちた豊かな時間。それでも、この食事が終わると解散し、それぞれが自分の研究室に戻っていくことになる。

こういう、ちょっとの感傷を含んだ、充実した学会の最後の夜特有の空気感。これを満足に表現できる語彙や表現力があればいいのに、といつも思う。3本目のワインが空く頃には日付も変わっていて、最高の時間の幕は閉じた。

――翌朝。カーテンを開くと、静かな木洩れ陽が部屋の中に差し込む。

Apple Musicで「やさしさに包まれたなら」を聴きながら、顔を洗って身支度をする。イントロのアコースティックギターのストリングスが流れる中で、スーツケースを開き、荷造りを始める。

★不定期連載『「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常』記事一覧★

  • 佐藤 佳

    佐藤 佳

    さとう・けい

    東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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