
布施鋼治
ふせ・こうじ
布施鋼治の記事一覧
1963年生まれ、北海道札幌市出身。スポーツライター。レスリング、キックボクシング、MMAなど格闘技を中心に『Sports Graphic Number』(文藝春秋)などで執筆。『吉田沙保里 119連勝の方程式』(新潮社)でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。他の著書に『東京12チャンネル運動部の情熱』(集英社)など。
正式に対戦が発表された3月6日の会見でのふたり。約1年前の年間表彰式で井上(左)が闘いを呼びかけて中谷(右)がそれに応え、お互い無敗のまま約束の対決の日がやって来た
絶対王者・井上尚弥(大橋)と、彼に挑むことのできる唯一の日本人選手として注目されてきた中谷潤人(M.T)。待望されていたふたりの対決が、ついに実現!
この闘いが持つ意味とふたりの素顔、さらに両陣営の戦力分析から試合展開の予想まで、徹底解説する。
「井上尚弥vs中谷潤人は、日本ボクシング界のひとつの到達点になると思います」
そう語るのは、ボクシング実況歴が四半世紀を超えるフリーアナウンサーの赤平大氏。最近ではLeminoやWOWOWのボクシング中継でもおなじみだ。
「今はスポーツエンターテインメント全体が大きな節目を迎えている。その中で今回は大きな話題になっていて、ボクシングはかなりうまくいっているほうだと思います」
MBA(経営学修士)を取得している赤平氏は、経営者的な視点から昨今のボクシングを見ることもできる。
「賛否はあると思いますが、今のボクシングが進むべき道は広いマス向けではなく、高いお金を払ってでも見に行きたいとコアファンに思わせる方向でしょう。
ビジネス用語で『ライフ・タイム・バリュー』という言葉があります。これは、1人がお気に入りのコンテンツにどれくらいお金をかけるかを測る指標のひとつ。今のボクシングでは、その単価を上げるほうがビジネスモデルとしては正しいのではと思います。
さらに、日本のプロボクサーの総人口は減っていますが、以前より今のボクサーたちのファイトマネーはいいといわれています。
これは広告収入がメインの地上波放送から、収益構造が異なる配信モデルにシフトしたことが最大の理由です。また、フィットネスなどで一般人がボクシングに触れる機会が増えています。
つまり、選手人口は減少しても関心のある人は増えている。これは推し活のように、試合や選手のためにお金を払う『潜在市場』の広がりを意味しています。今回のビッグマッチはボクシング人気を過熱させ、その流れを後押しするでしょうね」
そう語る赤平アナから見たふたりの印象とは? 井上と初めて話したときは鮮烈だったという。
「とてつもない〝覇気〟をまとっていましたね。普段から明らかに出ています。これまで世界中のボクサーを見てきましたけど、『これはホンモノだ』と思いました」
実際に話をしてみると、非常にクレバーなボクサーであることもわかったと言う。
「井上家は父でトレーナーの真吾氏も、弟の拓真選手もそう。アスリートである前に『メタ認知』が高い家系なんだと思います」
メタ認知とは、自分の考えや行動を、もうひとりの自分が高次元から客観的にとらえる認知を指す。赤平アナは、井上が試合でもその能力を存分に発揮していると推測する。
「空間も時系列も、すべてを俯瞰で見ていると思う。リング上で自分の動きが相手にどう映るかだけではなく、普段から過去の経験と未来の予測が細やかに見えるタイプだとにらんでいます」
そのため、井上は自己プロデュース能力も非常に高いと感じているそうだ。
赤平氏が「メタ認知」が高い家系だという井上家。左奥の父・真吾氏と右奥の弟・拓真選手にも、井上尚弥と同じクレバーさを感じるという
一方で、中谷は思考がまったく読めないタイプだと言う。
「中谷はデビュー当初からメディアとのコミュニケーション能力が高い。ただ、誰とでもしゃべるけど一度たりとも本音を口にしていないようにも見える。それが素なのか、隠しているのかわからないですが、底知れぬ大きなものを感じます」
昨年6月8日、中谷が西田凌佑(六島)とWBC・IBF世界バンタム級王座統一戦を闘ったときのことだ。結果は6ラウンド終了時、中谷のTKO勝ちとなったが、あるラウンドが終了した直後、赤平アナはこんな場面を目撃した。
「中谷は笑いながら相手をじっと観察していたんですよ。本人は意図していなかったと思いますが、おそらく相手を破壊したいという感覚がすごく強い。試合になったら感情がさらに表に出ないし、淡々と試合を進める中、いきなりすごいパンチをぶち込む。僕は井上より、中谷のほうが怖い人だと思いますね」
2025年6月8日のWBC・IBF世界バンタム級王座統一戦で、西田凌佑に猛攻を仕掛けた中谷。距離を取る普段のアウトボクシングとは違う、意外性のある攻撃的な闘いを見せた
では、井上と中谷が実際に拳を交わしたらどうなるのか。ボクシングアナリストの増田茂氏に、それぞれの戦力分析や試合展開の予想をしてもらおう。まずこのタイミングでの対戦について、増田氏は興味深いデータを示した。
「結局、井上陣営はああ見えてすごく慎重で、各階級に腰を落ち着けて闘っている」
確かに井上は、スーパーフライ級では8試合、バンタム級では9試合、スーパーバンタム級ではここまで8試合闘っている。
「対照的に中谷は、各階級とも世界タイトルマッチは3、4試合。スーパーバンタム級は井上戦で2戦目。これは井上に追いつかせるためのマッチメークに見えなくもない。中谷陣営はもうちょっと先にしたかったでしょうね」
特に軽量級では階級がひとつ違うだけで大きな差が出るというが、具体的には?
「今までだと、同じパンチが当たったら相手は1㎝くらい動いていたのが、階級を上げたら5㎜しか動かない。ほんのわずかな差かもしれませんが、それが理由で相手は崩れないわけです。でも自分では崩したつもりでいるから、そういうときにカウンターをもらってしまう」
案の定、昨年12月27日にサウジアラビアで行なわれたセバスチャン・エルナンデス(メキシコ)とのノンタイトル戦で、中谷は苦戦を余儀なくされた上で判定勝ちを収めた。増田氏は「決してうまくない相手に土台から崩された印象でした」と振り返る。
「格闘技には『技は力の中にあり』という格言があります。中谷は技術にフィジカルが追いついていなかったようなので、この言葉が響きましたね」
一方、昨年9月14日、ムロジョン・アフマダリエフ(ウズベキスタン)との世界タイトル戦に臨んだ井上からは、脚部の充実ぶりを感じた。
「大腿部の前の筋肉がすごかったです。これは足の出し入れを素早くするための筋肉だと思いました。前にググッと入ってピタッと止まって下がる。踏み込む力は以前から十分にあったけど、その力を抑えることも可能になってきた」
2025年9月14日の4団体統一世界スーパーバンタム級タイトルマッチで、アフマダリエフに右ストレートを放つ井上。増田氏の指摘どおり、足の筋肉が大きく盛り上がっていることがわかる(写真/山口フィニート裕朗/アフロ)
決戦まであと少し。増田氏は「あくまで現時点の話ですが」と前置きした上で、「6-4で井上が有利」と予想した。
「井上は直近の2試合はいずれも判定決着だったので、今回はちゃんとした形で対戦相手を仕留めたいと思うはず」
そうなると、井上が得意とするボディブローが勝負のキーとなるのか。
「いや、最近はさすがにボディ打ちを覚えられてきています。実際、ボディでフィニッシュできなくなってきていますし、中谷はタフですから」
むしろ井上が勝つならば、対応力の差を挙げる。
「中谷は普段、懐の深いボクシングをしていて、相手のパンチが届かない遠い間合いを保ちながら、自分のパンチが届く有利な距離で闘う。
対照的に井上は前重心の構えをしていて、ふたりが向かい合うとにらみ合いになりますが、この階級では長く過ごしてきた井上のほうが対応力は上。その部分での力比べになったら、先にブレイキングポイントに達するのは中谷でしょう」
とはいえ、中谷にも井上を倒すチャンスは十分あると話す。
「この半年間のフィジカル面での強化を発揮し、井上に『想像よりパンチが強い』と思わせることができるかどうか。立ち上がりの井上のアドバンテージを抑えるためには、中谷は第1ラウンドで自分のパワーを印象づける必要があります。そうすれば、井上はおのずと警戒しますからね」
警戒すれば、相手の出方を気にするようになるので、自らの攻撃が微妙にズレる可能性が出てくる。そのズレをきっかけに中谷が優位に立つ可能性があるということだ。
では、井上の理想的な立ち上がりは?
「向き合ってパンチを交換してから冷静に決めるでしょう。それぞれが相手の出方をいろいろ想定しているので、想定外の動きを多くできたほうが有利になると思います」
試合内容に今から興味津々ながら、この世紀の大一番のその後も気になるところ。井上が勝利を収めれば、どんな未来が待ち受けているのか?
「勝ち負けではなく、試合内容でインパクトを与えられるかどうか。明るい未来を感じさせる勝ち方ができるかどうかがカギになってくると思います」
井上の明るい未来、それは5階級制覇を目指してのフェザー級転向しかあるまい。対して、中谷が勝利を収めたら?
「五分五分の展開から中谷が右手を上げられることになれば、再戦という話が出てくるかもしれない。ただ、井上は33歳で中谷は28歳。そんなに先の話になるとは思えない。組まれるとしたら、同じスーパーバンタム級で早いうちにということになるでしょうね」
どちらが勝ってもおかしくない大勝負だからこそ盛り上がる。今年のGWは、井上と中谷が話題を独占する。
■「世界統一スーパーバンタム級タイトルマッチ井上尚弥vs中谷潤人」 in東京ドームは、Leminoで5月2日に独占生配信予定!
日本ボクシング史に残る無敗王者同士の決戦は、LeminoがPPV(ペイ・パー・ビュー:個別課金をしてライブ作品を視聴するサービス)で配信予定。同興行のアンダーカードとして、井上拓真選手(大橋)と井岡一翔選手(志成)によるWBC世界バンタム級タイトルマッチなども行なわれる