グラビアライター・とり
グラビアライター・とりの記事一覧
1997年生まれ、兵庫県出身。 妄想を得意とするグラビアライター。 趣味/散歩、レコード収集。
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あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していくインタビュー連載が、週プレ創刊60周年を記念して復活します! 復活後の第一弾となる今回は、田中美久さんの3rd写真集『ぜんぶ、ほんと』や渡邊渚さんの1st写真集 『水平線』をはじめ、アイドルから女優さんまで、幅広く写真集の撮影を手掛ける中村和孝氏が登場。
前編ではカメラマンになる前、愛媛県宇和島にある"かまぼこ屋"で育った少年がカメラを手にするまでの経緯を中心に話を聞いた。高校生~駆け出しの頃に撮影した貴重な写真も掲載させていただいた。
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――中村さんは1971年、愛媛県の宇和島ご出身なのだとか。当時の宇和島って、どんな感じだったんですか?
中村 とにかく自然豊かな場所でした。カルチャー的な情報源はほとんどなかったです。本屋さんも少なかったし、あっても美術系の本はひとつも置いてない。ひとつ、日活直営の名画座があったんですが、僕が中学生くらいの頃に潰れてしまいました。子供の頃は本当に普通の田舎少年でしたよ。
――中村少年は当時何がお好きだったんでしょう?
中村 ブルース・リーとか。あと絵を描くのも好きでしたね。楳図かずおチックというか。白と黒のコントラストで表現するのが好きで、とにかく黒で塗りつぶしていました。色彩感覚がないのか、美術の授業では「下書きはいいのに色を塗るとダメだね」ってよく言われたのを覚えています。ぼくも「色塗らないほうがいいのにな」と思いながら、授業だから仕方なく色を使っていたので、そう言われるのも納得でしたけど。

――そう言われると確かに、中村さんのお写真はトーンが落ち着いている印象がありますね。写真との出会いはいつ頃だったんでしょう?
中村 高校生の頃です。ただ、動機はかなり不純です(笑)。僕が2年生の頃、野球部が甲子園に初出場したんです。足の速さに自信があったので中高は陸上部に入っていたのですが、どうしても甲子園に......いや宇和島から出てみたかったんです。写真部と応援部は渡航費が免除されると聞いて、掛け持ちで写真部に入ったのがカメラに触れる最初のきっかけでした。
――写真やカメラに興味を持ったわけではなかったんですね(笑)。
中村 そうそう。だから家にあったカメラを持って、使い方も分からないまま写真部のひとりとして甲子園に行きました。応援部でも良かったんですけど、写真部のほうが楽そうだと思ったんですよね。後輩部員にフィルムの装填やら何まで教わって、感覚でシャッターを切っていました。そこですごいのが、甲子園初出場のその年にウチの野球部が初優勝したんですよ。試合のたびに写真を撮らせてもらえたおかげで、自然と上達できた気がします。
――宇和島から出るためにカメラを手にされたわけですが、写真そのものの楽しさは感じられたのでしょうか?
中村 そうですね。特にハマったのは暗室での作業です。黙々とやれるのが性に合っていました。あと、試合後に学校の壁に撮った写真を貼り出して生徒や親御さんに販売したとき、僕が撮った写真が結構売れたんですよ。分からないなりに構図を考えて撮ったんだと思います。中でも麦わら帽子を被った応援団の後ろ姿を撮った写真が好評で、通っていた床屋の店長も「いい写真だね」って、店に飾ってくれました。うれしかったですね。
――それはすごいですね。その後、甲子園以外でも写真は撮られたんですか?
中村 撮りましたよ。クラスメイトのポートレイトも撮ったし、実家がかまぼこ屋だったので、家にある魚を被写体にした作品も撮影しました。愛媛県が主催する高等学校文化連盟の写真展にその作品を出したら、写真美術館の方に「もっと高校生らしい写真を撮ったほうがいい」と批評されたのですが、僕としては気を衒ったつもりは一切なく、ただ自分がカッコいいと思う写真を撮っただけなので、全く響かなかったですね(笑)。
高校生の頃に中村さんが撮影した魚の写真。針金を絡ませる工夫がされている
――身近にあるものを工夫して撮られるのも高校生らしい発想だと思いました。こういう写真を撮られる学生は少なかったのでしょうか?
中村 そうですね。先ほど幼少期は楳図かずおチックな絵を描いていたと話しましたが、単純に"グロテスクなもの"が好きだったんだと思います。とはいえ、あからさまに捻くれていたわけではなくて、たまたまそういうイメージに触れる機会が多かっただけというか。友達にはよく「変わってるね」と言われたけど、逆張りをしていたつもりもないですね。
――写真を撮られるようになってからは、他の写真家の作品もご覧になられたんでしょうか。
中村 見ましたよ。特に印象に残っているのは、コム・デ・ギャルソンが発行していたヴィジュアル・マガジン『Six』。どこで見つけてきたのか、4つ上の兄貴が持っていたんですよ。ビル・カンニガムやヨゼフ・コウデルカなど、世界中のカメラマンの作品が載っていて、めちゃくちゃカッコよかったんです。それまではレコードのジャケット写真くらいしか見たことがなかったから、衝撃でしたよ。そこから海外の写真家に強く興味を持つようになりました。
――ちなみに、今のお仕事に通ずるアイドル写真集的なものは当時ご覧になっていなかったんですか?
中村 野村誠一さんが撮影した南野陽子さんの写真集『陽子をひとりじめ......』は持っていましたね。『スケバン刑事』が好きだったんです(笑)。でもそれくらいで、自ら掘り下げるほどアイドル文化に詳しいわけではなかったかな。普通にテレビで見る程度でした。
――では、高校卒業後の進学先は?
中村 東京工芸大学の写真学科に進学しました。短大です。
――東京工芸大学の写真学科は歴史の長い学校ですよね。前身である東京写真短期大学の卒業生には、細江英公さんや立木義浩さんもいらっしゃいます。宇和島から出るために手にしたカメラではありましたが、どんどんのめり込んで行かれたのが伝わってきます。とはいえ、その時点から写真を仕事にしようと思われていたのでしょうか。
中村 ボンヤリと......って感じです。写真家として生きていく厳しさには早くも気づいていたので、写真学科の中でも商業写真課を専攻しました。講師として教えに来てくださるプロのカメラマンさんのキャリアから、将来はきっと雑誌や広告の撮影をすることになるんだろうなと思いながら授業を受けていましたね。
――商業カメラマンもそれなりに厳しい世界だと思いますけど......。不安はなかったですか?
中村 まぁ、何とかなるかなって。ぼく「何とかなる」が口癖なくらい楽観的な性格なんですよ。甲子園の写真が売れた実績もあるし(笑)、それなりにやっていけるでしょって思っていました。今考えると相当生意気ですよね(笑)。それこそ名誉教授としてよく講義に来られていた細江さんが審査員を務める年1回のコンテストで「モノクロ賞」をもらったこともあります。そうやって他者から評価された経験が自信になっていたのかもしれないですね。特に不安はなかったです。
――たくましいですね。
中村 商売人の両親を見てきた影響もあると思います。弱気でいたら食っていけないですからね。工芸大の在学中は中野富士見町に住んでいたんですけど、近所に大きなラボ(現像所)があったので、深夜はそこでバイトもしていました。プリントの過程で付いた埃を筆で取るスポッティングという作業をずっとやっていたんです。細かい作業なので夜中つらいときもありましたが、時給も良かったし、何よりプロの方のデータを取り扱っていたので色々と勉強になりましたね。
――大学卒業後はロンドンに行かれたのだとか。のちに、その際に撮影された写真をもとに私家版写真集『London』を刊行されています。なぜ、いきなりロンドンだったんでしょう?
中村 とにかく作品撮りがしたかったんです。ロンドンを選んだのは何となくの思い付きです。行けば何か撮れるんじゃないかって、淡い期待を胸に無計画で渡英しました。ただ、漠然と「人が撮りたい」とは思っていて。実際に現地では、パンクスやホームレス、アウトサイダーな人たちを撮影しました。顔中にタトゥーが入っている人もいれば、頭にジョーカーのトランプを刺している人もいて、のどかな宇和島で育ったぼくとしては、全てがおしゃれに感じましたね。カッコイイと思った人に声をかけて、思うがままにシャッターを切りました。
私家版写真集『London』より
――人物から街の風景、空まで、ロンドンで目にしたものを衝動的に撮っている感じがしますね。全編モノクロでとてもカッコいいです。
中村 ありがとうございます。写真はいい感じに撮れたのですが、ロンドン滞在中のぼくの生活はカツカツでした(笑)。現地でバイトもしたのですが、家賃の支払いが追いつかなくなり、滞在中に5、6回は引っ越しして、最終的には都心からだいぶ離れた場所を拠点にしていました。せっかくロンドンにいるというのに、食事は中華街で買った袋いっぱいのもやしばかり。それでもお金が尽きて、結果的に1年半くらいしかいられませんでした。
――ロンドンでもやし生活ですか。大変そうです。写真は十分に撮れたんでしょうか?
中村 そうですね。そこは大丈夫でした。もう少し長く滞在して、英語を身に付けて帰国できれば完璧でしたが(笑)、お金がギリギリの中でも行って良かったなと思いましたね。帰国後は外苑スタジオで10ヶ月ほどスタジオマンとして働きました。当時まだ新しいスタジオで、立場があがるのも早くて。次、チーフにならなきゃいけないというので、逃げるように辞めさせていただき、そのまま独立しました。大人として情けないのですが、責任感のある立場になることが、すごく苦手なんです(笑)。
【後編につづく】

●中村和孝(なかむら・かずたか)
1971年生まれ、愛媛県宇和島出身。
趣味=写真を撮ること
東京工芸大学卒業後、単身ロンドンに渡り、のちに私家版写真集『London』を刊行。帰国後は外苑スタジオ勤務を経て独立。映画やドラマの密着から、カルチャー誌・ファッション誌を中心に活動する。小嶋陽菜写真集『どうする?』(宝島社/2015年)を皮切りに、累計発行部数50万部の大ヒットを記録した白石麻衣写真集『パスポート』(講談社/2017年)をはじめ、アイドルの写真集やグラビア誌での撮影を数多く手がける。集英社からは深田恭子写真集『Brand new me』、渡邊渚写真集『水平線』、田中美久写真集『ぜんぶ、ほんと。』などを刊行。2026年7月には七瀬ななファースト写真集『みつめて。』が発売予定。




