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元Jリーガーで、現在は秋元康プロデュースの昭和歌謡グループ・SHOW-WAのメンバーとして活躍する青山隼の連載「果てしない延長戦」。現役時代の先輩や戦友をはじめ、各界で活躍する方をゲストに招き、「人生の転機」や「次への挑戦」をテーマに熱く語り合う。
今回は、ゲストとの対談で感じたことや当時の思いを自分の言葉でお届けする「ひとり語り」。前回、サッカー元日本代表の柏木陽介さんと対談を終え、U-20日本代表など10代だったあの頃を振り返る。
前回、4人目の対談ゲストは、U-20日本代表の同期で浦和レッズでもチームメイトだった柏木陽介さんでした。現役時代に二人だけで話すことはなかったものの、同じ時間を過ごした"同期"として特別な思いがありました。陽介はU-20代表や浦和レッズでもチームの中心として活躍していて、世間的には目立ちたがり屋のイメージがあるかもしれません。だけど、実はすごく繊細。10代の頃の代表合宿から見てきた彼は、周りの人に手を差し伸べるような優しいやつでした。
僕がサッカーを引退したあとも「飲みに行こう」と誘ってくれて、「新しい活動も頑張って! うまくいくまで俺が奢るわ」なんて言ってくれたり(笑)。去年、『ぽかぽか』さんのロケで久々に再会したんですけど、ゆっくり話せなかったので、今回対談をお願いしました。今は岐阜に住んでいるのにタイミングよく引き受けてくれて、本当にありがたいです!
最初の出会いは、U-17の代表合宿でした。2007年のU-20ワールドカップに向けた新チームの立ち上げで、二人とも選考されて。アジア予選ではダブルボランチを組み、ワールドカップ出場の切符をつかんだサウジアラビア戦も一緒に出ていました。ただ、当時の僕は18歳でプロ入りしたものの、なかなか所属チームの試合には出られなくて。陽介や内田(内田篤人)がJリーグで活躍しながら代表でも戦っている姿を見て、正直、羨ましい気持ちもありました。2つのチームのプレッシャーを抱えながらコンディションを保っていて、相当な苦労があっただろうなと思います。
U-20代表のメンバーは陽介と槙野(槙野智章)をはじめ、みんな本当に仲が良かったですね。遠征先のアジアでは、練習が終わってホテルの部屋に集まって、安室奈美恵さんとかケツメイシさんの曲を流してみんなで聴いていました。海外遠征のたびに現地でスターバックスを探して、フラペチーノを飲むのが僕らの息抜き(笑)。サッカーはもちろん、一緒にいる時間が楽しかったですね。
"調子乗り世代"と呼ばれていたことも、今となってはありがたい思い出。当時やっていたゴールパフォーマンスは、陽介と槙野が所属していたサンフレッチェ広島が原点でした。ゴールしたときの弓矢ポーズが話題になっていたので、俺らもやろうぜって言い出して。カナダで開催されたワールドカップ期間中、ホテルのジャグジーに入りながら「流行りのビリーズブートキャンプのモノマネをしよう」「孫悟空のカメハメ波をやろう」とか話して(笑)。会場となったビクトリアの地元ファンにもウケて、街全体が「ジャポン!」って応援してくれて、アットホームな雰囲気の中で戦うことができました。
当時は1~2ヶ月に1回ペースでU-20代表の活動があって、試合が終わるとそれぞれの所属チームに戻ってみたいな生活でした。名古屋グランパスの試合になかなか出られなかった僕にとって代表の活動は、「やっとこの場所に来られた」とホッとできる時間でした。"自分の居場所"があるのも嬉しくて、彼らに会うことを楽しみにしながら日々を乗り越えていた気がします。
高校時代はプロになることを目指して、サッカーに明け暮れた3年間でした。中学卒業後、地元の仙台を離れて名古屋に行って。普通科の学校に通ったので「グランパスのユースだ」とチヤホヤされましたけど、浮ついた気持ちはなかったです。それは、実家を出るときに母からかけられた言葉がずっと心に響いていて。「プロになるために行くんでしょう。親元を離れてひとりでやっていくんだから、自分の夢を叶えるために自分で頑張りなさい」と。3年頑張ってなれなかったらセンスがないってことだろうと割り切っていて、高校でプロになれなかったら諦めようと自分の中では決めていました。
高校生の誘惑に負けなかったのは、遊べないルーティンができていて。午後3時に学校終わると、すぐ自転車で練習場に行ってナイターが消えるまで練習する毎日。天然芝とか、壁当てにちょうどいい高さの台もあって、恵まれた環境でずっとボールを蹴っていました。暗くなってから寮に帰ると、一人分の夕ご飯が置いてあって。休みの日は寮にあるジムで筋トレをしたり、屋上の人工芝でボールに触ったり。たまの遊びといえば、三好ヶ丘のイオンに映画を観に行くくらいでした。
寮にはプロを目指す選手がたくさんいましたけど、高校生らしく遊んでいる選手も多くて。僕はそれを見てチャンス!じゃないですけど、みんなが遊んでいる間に差をつけてやろうと思っていて。あの3年間は「自分は何のためにここにいるか」という強い意思がありました。そして、プロになったら少しは遊べるかなと思いきや、毎年クビになるかならないかって戦いが続いて......。結局、精神的に休まるときはなくて、意外と遊ばないまま時間だけが過ぎていきました!
U-20代表チームは自分にとって、かけがえのない場所でした。あれから約20年、それぞれ環境の変化を経てきた今、こうして二人で語り合えたことが本当に嬉しいです。陽介は勢いと本能で突き進むタイプというか、勢い余って失敗することはあっても必ず反省して立ち上がる。だから、浦和レッズを退団して、FC岐阜に移籍したときは相当な葛藤があったと思います。
僕の目から見て、柏木陽介はパスをつないで主導権を握るような攻めのサッカーでこそ輝く選手だと思うので、プレースタイルが違うんですよ。広島やレッズではミシャ監督(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)がつなぐサッカーをやっていて、その戦術にすごいハマっていたんです。J3はロングボールというか、ボールを大きく蹴り出すようなフィジカル的な競り合いが多いので、移籍先を知ったときは驚きました。
だからこそ、今回の対談で「失敗から学んで成長する」という彼の本音を聞けてよかったです。岐阜への移籍は、過去の失敗を素直に受け止めて反省し、熱意があるチームで自分なりの思いを届けるための決断だったんだなと。もし欲が強かったらJ1からJ3に行かないと思うんですよ。お金やプライドではなくて、人とのつながりや情熱を大切にしている。昔と変わらない繊細で純粋な心を持っているんだなと改めて感じました。
失敗しても自分と向き合ってすぐに前を向けるメンタリティーがあるからこそ、陽介のサッカー人生はずっと続いている。どん底まで落ちて気づく人が多いと思うんですけど、彼は素直に受け入れて切り替えていくスピードが早い。後悔に時間を費やすんじゃなくて、這い上がって次に進むための時間を考えている。そこが周りの人たちから愛される理由というか、そんな彼だから長年第一線で活躍できたんだなとわかった対談でした。
★果て戦だけの激レアSHOW-WAオフショット★
とある取材の合間に、たけちゃん(向山毅)との仲良しショット!
●青山隼(あおやま じゅん)
1988年1月3日生まれ 宮城県出身
◯2006年にプロデビュー。U-20日本代表経験を持ち、Jリーガーとして名古屋グランパス、セレッソ大阪、徳島ヴォルティス、浦和レッズでプレーし、2015年に現役引退。その後は、俳優として舞台やドラマ等に出演。現在は、秋元康プロデュースの昭和歌謡グループ・SHOW-WAのメンバーとして活動中。ラジオ『SHOW-WA寺田&青山の青春時代を取り戻せ!』(CBC、毎週日曜22:00~)レギュラー出演中。今年10月1日(木)にはSHOW-WAとして初となる日本武道館での公演が決定!
公式X【@jun_aoyama1988】
公式Instagram【@jun_aoyama_show-wa】




