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『週刊プレイボーイ』に登場する女性たちに「初グラビア」にまつわるエピソードや当時の想いを聞く連載、『初グラビア物語~My First Gravure Story~』。今回は昨年、初グラビアがメディアを大きく賑わせたラジオ沖縄の人気アナ・竹中知華(たけなか・ともか)さんのインタビュー前編。
竹中さんは2005年に青森朝日放送に入社、アナウンサーとしてのキャリアをスタート。その後、岩手朝日テレビ(2006~2007年)、NHK沖縄放送局(2008~2015年)などを経て、2018年からラジオ沖縄に入社。現在は人気番組『華華天国』のメインパーソナリティとして活躍している。
かねてから圧倒的なスタイルの良さが話題を呼んでいたが、『週刊プレイボーイ』2025年48・49合併号で初となる水着グラビアを披露するや、たちまち大反響。同時発売されたデジタル写真集は1万ダウンロードを超えるベストセラーとなり、今年3月には『カレンダーブック2026』も発売。現在(2026年7月)までにデジタル写真集は6冊リリースし、ことごとくヒットとなっている。
今回はそんな彼女に、アナウンサーを志したきっかけ、各局を渡り歩いた苦労、そして大きな話題となったグラビア挑戦の舞台裏まで、率直な思いを語ってもらった。
『週刊プレイボーイ』2025年48・49合併号(撮影/唐木貴央)より
――昨年末に大きな話題を呼んだ「初グラビア」のお話を、その前後とあわせて伺いたいのですが、まずは竹中さんのキャリアから。2005年から青森朝日放送でご活動をスタートされていますが、幼少期からアナウンサー志望だったんですか?
竹中 いえいえ。広島の田舎で育ったので、アナウンサーなんて遥かに遠い存在です。幼い頃の夢は看護師さんでした。引っ込み思案で、おとなしい性格。表に出るようなタイプでもなかったですしね。大学生の時、人並みに「可愛い格好がしたい」という気持ちからイベントコンパニオンのアルバイトをしたんですけど、それが大きなきっかけとなりました。
――きっかけ、というと?
竹中 ステージの司会をされていた女性が、すごく格好良かったんです。帰り道が一緒になったので話しかけたら、「あなたは姿勢が悪いし、もっと笑った方がいい。人っていうのは笑顔になって、姿勢を良くすれば輝けるんだよ」とアドバイスをくださって。それが嬉しかったんです。その方に「司会に興味を持ったなら、アナウンス教室に通ったらいいよ」と勧められ、実際に通うことにしました。
――そこからアナウンサーを目指そうと。
竹中 はい。周りのみんなが本気で目指していて、それに感化されました。あと原稿を読む作業が本当に楽しくて、「自分が目指す道はこれだ!」と。ただ通っていた広島工業大学は理系。急にアナウンサーを目指すと言い出した私に周囲はポカンとしていましたけどね(笑)。
――確かに唐突かも(笑)。でもアナウンサーは志望者が多く、仕事に就くのは相当、大変だったんじゃないですか?
竹中 最初はどこも受かりませんでした。試験のエントリーシートすら通らなかったです。ただ、どうしても諦めきれなかったので、あえて大学を1年留年して、2度目の挑戦で青森朝日放送に合格することができました。それが2005年ですね。
――アナウンサーのお仕事は、想像していた通りでした?
竹中 とても厳しい世界で、毎日泣いていました(笑)。ただ上司やスタッフの方々が愛情を持って育てようとしてくれましたし、普段から家族のように気遣ってくれて。すごくありがたかったですね。
――その後、ご結婚を機に退職され、岩手へ移住されたんですよね。
竹中 はい。相手の転勤に伴い退職し、岩手で系列局のリポーターなどの仕事をさせていただいていました。ただその後、離婚することになり......。広島の実家に帰りました。2~3ヶ月は無職の状態で、かなり落ち込んでいました。
――大変だったんですね。そこからどのように持ち直しを?
竹中 元気が戻ってきた頃に「やっぱり自分はアナウンスの仕事がしたい」と強く思ったんです。たまたま「NHK沖縄放送局」でキャスターの募集が出ていて。沖縄は行ったことがなかったんですけど、とにかく仕事をしたくて応募し、幸いにも合格をいただきました。主に朝の定時のニュース番組を担当しましたが、再び現場に戻れて、本当に嬉しかったですね。
――NHK沖縄には7年間勤務し、2015年にフリーとなります。辞められた理由は何だったのでしょう?
竹中 お仕事は順調だったんですが、徐々に「自分らしさを出したい」という思いが強くなっていったんです。やはりニュースを正しく伝えるお仕事はやりがいはありつつも、誰かの代わりがいるポジションですから。あと、そんなふうに考え出した頃、週刊誌に自分のスタイルのことで突撃取材され、書かれてしまって。
――竹中さんのスタイルの良さや容姿はかねてからSNSや週刊誌で話題でしたよね。
竹中 はい。視聴者の方から「胸が気になってニュースが頭に入ってこない」といったご意見をいただくこともありました(苦笑)。お伝えする側としても申し訳ない気持ちがありましたし、週刊誌に載るなどお騒がせもしてしまいました。お仕事は楽しかったですし、職場の人にもとてもよくしていただいていたのですが、「ここは自分の居場所ではないのかもしれない」と感じるようになったんです。それで......。
――自分の意思でフリーになる決断をされたと。そのタイミングで、自費出版による初写真集『ASAKARA TOMOKA』(2015年)を出されました。自費出版で写真集を作るアナウンサーの方は珍しいと思いますが、なぜ写真集を?
竹中 中高生の頃から写真集を見るのが大好きで、お小遣いで井川遥さんや広末涼子さん、モーニング娘。さんらの写真集を買い集めていたんです。フリーとして再スタートするにあたり、「やりたかったことをやろう!」と決めまして(笑)。あと水着カットはなかったんですけど、胸や容姿について「自分は何も気にしていないよ」という意思表示もしたくて。
――意思表示?
竹中 はい。私、昔から取材で「大きな胸にコンプレックスがあるのでは?」みたいなことを聞かれるのですが、まったくないですし、嫌な思いをしたこともないんです。だから、それも伝えたかったんです。写真集は知り合いの力を借りて自分たちで制作。沖縄限定で販売し、ありがたいことに完売しました。
――完売とはすごいです。その後フリーを経て、2018年からラジオ沖縄に入社されます。テレビとラジオの違いはどう感じましたか?
竹中 ラジオ沖縄では、自分で取材先を探し、自分の言葉で番組で届けるんですよ。原稿を読むだけではなく、自分のパーソナリティを出していくのを楽しく感じましたね。リスナーさんとの距離も近いですし、やっと自分の居場所を見つけられた感覚がありました。
――さて、ここからいよいよ(笑)『週刊プレイボーイ』のグラビアについて伺いたいのですが、これはどういう経緯でやることに?
竹中 ラジオ番組の企画で『MOTOKARA TOMOKA』(2025年)というCDを出すことになったんですけど、それを取材してくださったライターさんが週プレさんでもお仕事をされていて。その方に「グラビアやりませんか」とご連絡をいただいたのがきっかけです。
――オファーを聞いて、どう思われました?
竹中 「無理、無理、無理! ないわー!」と思いました(笑)。「服を着たままでもいいので」と言われたんですけど、そもそも週刊誌に対し怖いイメージがありましたし、自分の体型にもまったく自信がない。それに当時、43歳ですからね。
――それなのに、なぜ翻意を?
竹中 無理、無理!と思いつつも、グラビアのオファーが来たことは、すごく嬉しかったんです(笑)。誰かに言いたくなって、当時のディレクターさんに話したら、「それ、面白いから、ラジオのリスナーさんに番組で相談してみよう」と提案されて。私も「え? リスナーさんに言うんですか? 恥ずかしい!」とか言いつつも、ちょっと嬉しかったから(笑)わかりましたって。で、相談してみたんです。「実はこんなオファーが来ていて......」と。
『週刊プレイボーイ』2025年48・49合併号(撮影/唐木貴央)より
――リスナーさんの反応は?
竹中 皆さん、真剣に考えてくれて。特に女性のリスナーさんからは「そんなオファー、滅多にないから、やるべき!」という声が多かったんです。反対する方もいましたけど、皆さんが本気で向き合ってくれたことで「私も覚悟を決めて、グラビアに挑戦しよう」と決めました。ラジオ沖縄での仕事を通じ、自分を表現する楽しさを覚えたというのもあったかもしれませんね。
――『週刊プレイボーイ』2025年48・49合併号(11月17日発売)に掲載された初グラビアは、王道の"水着"を披露しています。着衣でもいいと言われたにも関わらず、水着になろうと決めたのは?
竹中 それはやっぱり、やるからには『週刊プレイボーイ』さんの誌面に求められるものをしっかりやろうと。それにプロのカメラマンさんに撮影していただくわけですからね。中途半端じゃもったいないです(笑)。
――潔い! 撮影前に衣装合わせをされたとか。その時の感想は?
竹中 借りてきた猫状態でした(笑)。水着を見て、「え? これ着るの?」って不安になって。あと東京の人に囲まれましたし。
――あー。よく考えたら竹中さんは、ずっと地方でだけ生活されてきたんですよね。
竹中 そう。だから「東京の人は怖い、信用できない」ってずっと思っていて。スタッフの皆さんが「大丈夫、すごくキレイですよ!」と褒めてくださるんですけど、「週刊誌の人、怖い! 東京の人、怖い!」って警戒心が発動しちゃって。何を言われても信用できなかったです(笑)。
――撮影は千葉の九十九里のスタジオでされたとか。当日も緊張されましたか?
竹中 ホテルから現場へ向かう途中もひたすら緊張していました。本当にすごかったです。でもいざ撮影が始まるとスタッフの皆さんが優しくて、何から何まで気遣っていただくことばかり。怖い世界だと思い込んでいたのですが、徐々に打ち解けてきて。気づいたらどんどん撮影が楽しくなっていましたね(笑)。
●竹中知華(たけなか・ともか)
1982年1月19日生まれ 広島県出身
青森朝日放送アナウンサー、岩手朝日テレビリポーター、結婚、そして離婚を経験し、心機一転、活動の地を沖縄へ移す。NHK沖縄放送局キャスター、フリーアナウンサーを経て、2017年10月からはラジオ沖縄でアナウンサーを務める。現在はラジオ沖縄の人気番組『華華天国』のメインパーソナリティとして人気を集めている。今年3月に『竹中知華カレンダーブック2026.4 ~ 2027.3』(集英社)を発売。
公式X【@happyhappytomo1】
公式Instagram【@tomoka119】




