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2015年インタビュー当時の板東英二さん
週プレNEWSの連載『語っていいとも!』は、あの今や伝説的な昼帯バラエティー番組『笑っていいとも!』の看板企画「テレフォンショッキング」のスピリットを勝手に引き継ぎ、"友達の輪"を繋げる対談記事として2018年まで配信掲載。
先日、7月22日に逝去された板東英二さんにゲストでご登場頂いたのが第六回、当時、75歳だった。ガチなトークライヴとして、今では聞けない貴重な秘話や本音を大いに語って頂いたが――。
その日、出演予定だった東京MXの一室で生放送本番前に取材時間を頂き、お会いした板東さん。発した第一声が「いや、ほんまこんな僕でええんかいな? なんでこの企画に呼んでもらったんか(苦笑)」との申し訳なさげなセリフ...。
2012年末に自身の個人事務所による税金の申告漏れが発覚、"所得隠し"問題が騒動となり、翌年から続々と番組を降板。事実上メディアでの出演を断たれ、いわゆる干された状態が続いていた。
事務所も閉鎖し、フリーで活動。その後、吉本興業所属となるも地上波テレビではいまだ敬遠され、ラジオやイベントでのゲスト出演など地道な活動で復活を期していたところ、「ようやくね、MXさんの『5時に夢中!』出させてもらってね。ほんま感謝してるんです」と、拝み手しつつ話し始めたフリートーク。

だが、"友達の輪"を繋いでご紹介いただいた、千原ジュニアさんとのエピソードから披露すると、持ち前の舌鋒鋭く、すぐさま全開で歯に衣着せぬ絶好調。今も「1日に20キロは歩ける」と、高校野球時代から活躍し甲子園での伝説の決勝戦、延長25回を投げ切ったスタミナも健在ぶりを自慢するほど。
そして、謝罪・活動自粛に至った問題に関しても自ら触れ、神妙な表情ながら「悪いことをしたとは思ってないけど、エラーで負けたって敗戦投手は板東英二なんですよ」。
さらに、テレビなどメディアの怖さやその現状を憂いつつ、「でも(タレントは)消えるのも早いけど、失敗したからといって終わりではない世界やからね」――そう、自ら言い聞かせるように本音を隠さず吐露する、真剣な眼差しも印象的だった。
その裏表ない飾らなさでサービストークも往年のラジオ番組さながら、当時のとんでもエピソードを続けて披露。野球解説者としてはこれも語り継がれる甲子園球場、阪神戦でのスタンドを埋め尽くした観衆による突然の「あーやまれ~!!」...いわゆる"謝罪コール"事件の舞台裏まで明かして頂いた。
そんな板東さんがしみじみ語ったのが、プロ野球引退後、落語や漫談から芸能デビューした時代、世話になったという故・上岡龍太郎さんや横山ノックさんへの恩義。また、コンビを組みかけたという笑福亭鶴瓶との交流であり、その鶴瓶師匠に加えて、復帰を後押ししてくれた明石家さんまと島田紳助の3人は自身にとって特別な存在と断言。
中でも、すでに暴力団関係者との黑い交際で芸能界から引退を余儀なくされていた紳助さんに関しては、変わらぬつきあいがあることを明かし、「あいつとは僕が死んだら葬儀委員長をやるという話をつけとるんです」とまで語り、満面の笑み。
「いやー、こんないろいろ話ができるとは思わんかった。この『語っていいとも!』甘く見てました(笑)。こんだけ言わしてもらったら、もうスキっとした。ほんまありがとう!」
一時間あまりに及んだ取材の最後、実際スカッと爽快な表情で握手を求められ、その力強さも今では忘れ得ぬ印象となって残っている。
そして「紳助はね、彼こそほんま自分のことよりこの業界に復帰させなあかんと思うてるんですけどね」と、少し潤んだ瞳となった板東さんのやさしさ...。
余談だが後日、吉本興業からマネージャーを通して、島田紳助さんに関して語った部分は全面的にカットしてほしいという申し入れがあった。それだけナーバスでシリアスな存在であり、扱いであったということだろう。
だが、「これは板東さんがどうしても語りたい、伝えたいと仰ったことのはず。その意を酌むことを考えても、外して掲載するのはありえない」とお戻しすると、さらに上層部の判断を仰ぎ全面的にOKとする、との判断を返してもらい無事、配信公開に至った。
ここ数年は体調を崩され、表舞台に出ることなく事実上、芸能界を引退。ブログでの公式発表では家族葬のみ執り行われたそうだが、葬儀委員長の約束は叶わずとも、板東さんの想いは届いている...と願いつつ、心よりご冥福をお祈りしたい。