グラビアライター・とり
グラビアライター・とりの記事一覧
1997年生まれ、兵庫県出身。 妄想を得意とするグラビアライター。 趣味/散歩、レコード収集。
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あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していくインタビュー連載が、週プレ創刊60周年を記念して復活。第二弾は、今年1月に天羽希純さんの3rd写真集『BOUNUS』を手がけ、ここ数年でグラビア界での存在感を増している新鋭・高橋慶佑氏が登場です。
カメラマンになる前のエピソードを中心にお聞きした前編では、意外な職務経験が明らかに!? 普通の青年だった氏がカメラマンになるまでの軌跡に注目です。
* * *
――ここ数年、週プレをはじめ各グラビア誌で高橋さんのお名前を拝見する機会がグッと増えた気がします。
高橋 独立したのが2018年で、わりと早い段階からグラビアのお仕事をもらえていたんですよ。でも、週プレさんで撮り始めたのはわりと最近ですよね。
――調べたら2024年、宇佐美なおさんのグラビアが週プレでの初仕事みたいです。
宇佐美なお『史上最強のSEXYクイーン現る!』
高橋 2年前ですか。全然、新参ですね(笑)。でも、週プレさんで数回お仕事させていただいた辺りから「高橋くん、最近売れてきたね」なんて言われるようになって。週プレさんのブランド力を実感しましたよ。ありがたいです。
――それはよかったです(笑)。早速なのですが、この企画ではカメラマンさんのルーツや仕事への姿勢をお聞きしています。まずは幼少期の話からうかがわせてください。ご出身は東京ですか?
高橋 一応、東京です。ただ、父親が転勤の多い仕事で、幼少期はかなり色んな場所を転々としました。いわゆる転勤族ってやつです。東京には5歳までいて、そのあと3年ほど香港にいました。その次は横浜に1年弱いて、今の実家がある埼玉県和光市に移り、小学5年生から中学2年生くらいまでは南アフリカの日本人学校に通っていました。そのあと2ヶ月ほど東京に戻ってきて、中学2年生から高校卒業までを福岡県の北九州市で過ごし、大学進学を機に和光市に戻り、今に至るという感じです。
――そ、そんなに! 地元はどこになるんですか?
高橋 ないですよね(笑)。青春期を過ごしたという意味では北九州に思い入れがあるけど、帰る家もなければ、今も連絡を取り合う友達は数人しかいないし、地元って感じではないです。少し前に2泊3日で遊びに行ったけど、普通にビジネスホテルに泊まりましたし。
――それだけ環境が変わると、子供としては辛いものがありそうです。
高橋 正直、何とも思ってなかったです。自分の家ではそれが当たり前だって、自然と受け入れていたのか、特にそれがストレスになることはなかったですね。仲良くなった友達と離れるのは寂しかったけど、また次の場所で新しい友達を作ればいいやって、かなり楽観的に捉えていましたね。でも、それなりに友達はいました。根がマイペースなので、みんなが校庭で遊んでいようが気分じゃないときは図書室でひとり漫画を読むような感じでしたけど。
――頼もしい!
高橋 むしろ、子供のうちに色んな環境で生活できたのは良かったとさえ思います。特に当時のアフリカでは、今以上に人種差別もありましたし、直接何か言われたわけではないものの、差別意識を感じた記憶は何となくずっと覚えているというか。国内でも、地域によってコミュニティの在り方が全然違うじゃないですか。都会も田舎も経験しましたし、地元のなさが逆に今の自分のフラットさを形成しているのかな、とは思いますね。
――なるほど。ちなみに、子供の頃はどんなものがお好きでしたか?
高橋 音楽が好きでした。最初にハマったのは小学生の頃、X JAPANです。歳の離れた近所のお兄さんがMDを貸してくれて、カッコいい! って。好きになってわりとすぐに解散してしまったのですが、hideの影響で中学生の頃にはギターを始めました。当時は青春パンク全盛期。北九州の近い先輩に175Rもいた影響もあり、すごく盛り上がっていて、みんなGOING STEADYやガガガSPといったバンドを聴いていましたね。ぼくは逆張ってあまり聴かなかったんですけど(笑)、友達とバンドを組んではコピーして、地元のライブハウスに出させてもらっていました。
――音楽少年だったんですね。高橋さん自身はどんな音楽が好きだったんですか?
高橋 基本は洋楽ですね。分かりやすいところで言うとThe White Stripes(ザ・ホワイト・ストライプス)とか。ストーナーロックばかり聴いてた時期もあれば、テクノやヒップホップも好きで、わりと幅広いジャンルに触れてきた気がします。青春パンクのストレートなサウンドがいいなと思うようになったのは、ここ最近ですね(笑)。
――部活は何かやっていましたか?
高橋 やってないです。高校生の頃は必ず入らないといけない決まりだったので、テニス部に籍だけ置いていたけど、行かなかったですね。部活してないほうがカッコいいみたいな価値観があったんですよ。いかにも田舎って感じですよね。だから学生時代はバンド活動をしつつ、友達とずっと遊んでいました。カメラを始めたのもこの時期です。高校2年生の頃、家にあったコンパクトカメラを持ち歩いては、小倉の街をスナップするようになりました。
――何がきっかけだったんですか?
高橋 それが特になくて。「写真を撮ってる自分、かっこいいかも」みたいな感じだったと思います。周りにヤンチャな人も多かったので、ある意味、逆張りだったのかもしれません。写真について詳しいわけでもないし、有名な作家さんも知らない。今思うと当時はグラビアも全然見てなかったです。『ヤンマガ』は読んでいたけど、漫画目当てだったので誰が出ていたか全く覚えていない(笑)。本当、ただの趣味って感じでした。ギターのほうが断然好きでしたね。
――カメラマンになろうなんて発想は特になく?
高橋 全くです。高校卒業後は北九州を離れて、日大(日本大学)の商学部に進学しました。一度だけ親に「日芸(日大の芸術学部)に行きたい」と相談したことがあった気がするんですが、親心として芸術系への進学はお金もかかるし将来の見通しもしづらいし不安じゃないですか。その反応を見て、ぼく自身も「違うな」とすぐに気持ちを切り替えたくらいなので、本気で何かを目指していたわけではないけど、何かを表現することへの興味はあったのかもしれないですね。
――遊び感覚とはいえ、音楽も写真もやっているわけですからね。
高橋 勉強も運動も苦手だったので、芸術系に何か希望を見出そうとしていた部分もあったような気がします。ただ、写真部には入りました。部活としてはほぼ機能していなかったのですが、部室の隣に暗室があって、使い放題だったんですよ。ちゃんと写真を撮っている人はぼくくらいだったので、ほぼ貸切状態。それはすごく良かったですね。
――大学生時代はどんな写真を撮っていたんですか?
高橋 小倉が新宿、池袋に変わりはしたものの、相変わらず街のスナップばかり撮っていましたね。女性を撮りたい気持ちもありましたが、なかなか声がかけられずでした。当時は森山大道さんの写真集『新宿』(月曜社/2002年)に強く影響を受けていて、自分の写真を作品として発表したい気持ちも出てきて、実際に何度か写真展もやりました。一方でバンドも続けていましたが、さすがに写真や音楽で食べて行こうとは思わず、卒業後は普通にメーカーに就職しました。
――一般企業に就職されたんですね。どんな会社だったんですか?
高橋 コンドームで有名なオカモト株式会社です。特にやりたい仕事もなかったので、メーカーを中心に就職活動をして、受かった中でいちばん安定してそうだったので、そこに入りました。コンドームのイメージが強いと思うのですが、要はゴム、プラスチックのメーカーなので、とにかく手広く事業展開していて。1年目はメディカル製品課の営業として、取引先の病院やディーラーを回っていました。人と会って話すのは全然苦じゃなかったし、仕事自体は楽しんで取り組んでいましたね。2年目以降、総務部に配属されてからは少しキツかったです(笑)。とはいえ、かれこれ3年はサラリーマン生活を送っていました。
――過去にも色んなカメラマンさんにお話を聞いてきましたが、ここまでしっかり社会人経験のある方も珍しい気がします。
高橋 まぁ、そうですよね。実際、ちゃんとした会社だったので1年目からボーナスをもらえたし、それなりにすぐお金も貯まったので、あるとき思い切って、CanonのEOS 5D Mark IIという当時の最新デジタル一眼レフとレンズをいくつか買ったんです。一気に50万円くらい使ったんじゃないかな。それまでずっとフィルムカメラで写真を撮っていたわけだけど、目の前の景色をそのまま写せるデジタルカメラの性能にすごく感動して、途端にスナップではなく人を撮りたいと思うようになって。知り合いの女の子に声をかけては、積極的にポートレートを撮るようになりました。
――趣味のカメラに50万円も注ぎ込むなんて、思い切りがすごいですね。
高橋 他に使い道がなかったんですよね。それと同時に、趣味で写真を撮り続けるうちに、どこかでカメラマンになりたい気持ちが芽生えてきたんだと思います。当時は茅ヶ崎に住んでいて、家の目の前が海だったんですけど、毎晩、海を見ながら考えていたんです。このままサラリーマンを続けていて、本当にいいのか? って。デジカメで撮った写真を見て、こんなに綺麗に撮れるんだったら商業カメラマンも夢じゃないかも、とも思いましたね。まぁ、それはカメラの性能が良いってだけの話なのですが(笑)。上司には「趣味で続ければいいんじゃないの?」と言われたけど、覚悟を決めて辞表を提出しました。ここだけの話、のちに直々に頼まれてオカモトの社長の写真を撮ったこともあります。本当、いい会社でした(笑)。
続きは後編で。7月11日公開!

●高橋慶佑(たかはし・けいすけ)
1986年生まれ、東京都出身。
趣味=音楽鑑賞、激安中古車購入(年に2,3回買い換えるほど!)
出身は東京だが、幼少期は香港や南アフリカなどを転々とし、中高生時代の大半は福岡県北九州市で過ごす。日本大学商学部卒業後、オカモト株式会社に就職。3年ほど勤務したのちに、カメラマンを志し、外苑スタジオに勤務。中山雅文氏のアシスタントを経て、2018年に独立。天羽希純3rd写真集 『BONUS』のほか、原つむぎ写真集『まいぺーす。』(徳間書店/2025年)や山田あい 1st写真集『Ohaa~i』(ワニブックス/2025年)など、グラビアアイドルの撮影を中心に活躍中。




