飛んで火に入る夏のXXがもたらしたモノ 【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】

文・イラスト/佐藤 佳

昨年の夏(135話)に続いて、今年も「夏の怪談」シリーズをお届け。今年は、家に「不法侵入」したXXが運んできた恐ろしいふたつのウイルスのお話(イラストは筆者がAIで生成)。昨年の夏(135話)に続いて、今年も「夏の怪談」シリーズをお届け。今年は、家に「不法侵入」したXXが運んできた恐ろしいふたつのウイルスのお話(イラストは筆者がAIで生成)。

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第196話

「夏の怪談」の主役は、セミでもカブトムシでもない。家に飛び込んできた一匹のXXをきっかけに、狂犬病と未知のウイルス、そして新たな感染症が生まれる「窓」の正体に迫る。

* * *

【夏に、窓から家の中に飛び込んでくるモノ】

今年も東京では、梅雨が明けたのかわからないうちからセミの鳴き声が響き始めた。

――ある夏の日、窓を開けたら、強い日差しとともにセミが勢いよく家の中に飛び込んできた、という経験がある人はどのくらいいるだろうか。

現在私が住む東京には、そのような経験がある人はあまりいないかもしれない。しかし、私が少年期を過ごした四半世紀前の山形であれば、それは日常のワンシーンと言っても過言ではなかったように思う。

あるいは、夏の夜に窓を開けたら、カブトムシが不意に家の中に飛び込んできた、というような経験がある人もいるかもしれない。

それらはさておき、今回のコラムで「窓」から家に飛び込んでくるのは、セミでもカブトムシでもない。コウモリである。

「コウモリがヒトにヤバいウイルスを運んでくる」というのは割とよく知られたコンセプトであり、それを裏付けるいくつかの有名な事例がある。

たとえば、果実食のコウモリ(フルーツバット)からヒトに運ばれる、マールブルグウイルスやニパウイルス(80話)。

また、現在の私の研究対象となっている、新型コロナウイルスやSARSコロナウイルス、さらにはMERSコロナウイルスも、その進化的な起源をたどれば、昆虫食のコウモリが持っているコロナウイルスに行き着く、と考えられている。

そして、この連載の中でも、「人間と野生動物の境界(human-animal interface、124話192話195話など)」こそが、人間社会に新しいウイルスをもたらす「窓」になりうる、ということを繰り返し紹介してきた。

実は、このような広く知られたケースのほかにも、きわめてレアな「スピルオーバー(異種間伝播)」の事例がふたつ知られている。

今回のコラムは、夏のセミやカブトムシのように、開いた窓から家の中に飛び込んできた「コウモリ」によってもたらされたふたつの怖いお話。

【ケース① 狂犬病ウイルス】

ひとつ目の例は、狂犬病ウイルス。

この感染症は、日本では古くから「犬が狂う病気」「狂った犬に噛まれるとうつる病気」と理解されていて、そこからこのような名前がついた。

この「狂犬病」という名前から、感染源はイヌだけだと思われがちだが、実はそうではない。狂犬病ウイルスはほぼすべてのほ乳類に感染することができ、ネコやキツネ、アライグマなどもこのウイルスに感染し、それがヒトにスピルオーバーすることがある。

恐ろしく聞こえるかもしれないが、しかしご心配なく。日本は長らく、狂犬病については「清浄国」、つまり、国内での狂犬病ウイルスの感染が確認されていない「狂犬病フリー」の状態にある。

日本国内で感染した最後の狂犬病患者は、なんと70年前の1956年。動物の感染例についても、1957年にネコで確認されたのを最後に、国内での発生は途絶えている。それ以降、海外で感染し、日本への帰国後に発症した「輸入例」はいくつか報告があるものの、日本国内で生活していて、狂犬病ウイルスに感染してしまうリスクはない。

しかし、私が最近よく足を運んでいる東南アジア諸国には、感染した動物がいる。そのため、狂犬病ウイルスの感染例は後を絶たず、アジア全体ではなんと年間で数万人が狂犬病で命を落としているとも言われている。

幸いなことに、狂犬病にはワクチンがある(東南アジア出張が多い私はもちろん接種済み)。きちんとワクチンを打っていれば感染を防ぐことができるし、もし万が一、ワクチンを打たずに感染した犬に噛まれてしまったとしても、その後すぐにワクチンを打てば、発症を防ぐことができる。

しかし、もしこのウイルスに感染し、狂犬病を発症してしまった場合、その致死率はほぼ100%。発症してしまった後にはもう治す術がない、きわめて恐ろしい感染症である。

――2021年8月、アメリカ・イリノイ州。ある男が目を覚ますと、なんとコウモリが自分の寝室にいて、しかも自分の首の上に乗っていたというのだ。

そのコウモリは捕獲され、検査の結果、なんと狂犬病ウイルスに感染していることが判明する。そうなると、このコウモリと接触していた男性も、感染のリスクがある。そこで保険当局は、この男に慌てて狂犬病ワクチンの接種を勧めたのだが、彼はそれを拒否。するとその数週間後、この男性は狂犬病を発症し、命を落としてしまった。

アメリカは狂犬病の「清浄国」ではない。そして、狂犬病の死亡例の7割が、コウモリからもたらされていると言われている。実際、同じ2021年8月に、アイダホ州とテキサス州でも、コウモリとの接触疑いから狂犬病を発症し、死亡する例が報告されている。

これら3例はすべて、コウモリとの接触直後にワクチンを打ってさえいれば、発症を防ぐことができた可能性が高い。しかし、コウモリの咬傷に気づかなかった、あるいは、「ワクチンを打ちたくない」という忌避反応によって、発症を防ぐチャンスを逃してしまったのである。

【ケース② マラッカウイルス】

ふたつ目の例は、さらにレアである。原因となったウイルスはなんと新種で、マレーシア・マラッカ州のある発熱患者を詳しく調べていったら明らかになった、という探偵のような事例である。ちなみにこの研究を主導した「名探偵」こそ、私をシンガポールに引き込んだ、アジアを代表するウイルス学者のひとりであるリンファ(157話)である。

――2006年3月、マレーシア・マラッカ州に住む男性が、熱や咳を伴ったインフルエンザのような症状で病院に運ばれた。しかし、インフルエンザウイルスやRSウイルスなど、原因と考えられるウイルスはすべて陰性。

デング熱などが蔓延する東南アジアでは、原因がよくわからない発熱症状などは茶飯事と言っていい。そのため、原因病原体の追及までなされることはほとんどなく、「まあ、そのうち良くなるでしょう、お大事に」という対症療法で済まされることがよくあるという。

しかし、ここで(ウイルス学者的な視点から)素晴らしかったのは、関係する医師や研究者たちが、この患者の咽頭ぬぐい液から、原因病原体の分離を試みたことにある。

すると首尾よく、その原因病原体が分離された。それは、それまでに知られていなかった未知のウイルスで、その地名にちなんで「マラッカウイルス(Melaka virus)」と命名された。

ひとつめのアメリカの狂犬病ウイルスの事例と違うのは、このマラッカウイルスは、発症した男性からの家族内感染が示唆されたことにある。この男性の発症のおよそ1週間後、ふたりの子どもが似たような症状を発症する。

このふたりの子どもからはウイルスは分離されなかったものの、その後の調査で、同居する伴侶を含めた家族4人がマラッカウイルスに対する抗体を持っていることがわかった。つまり、最初に発症した男性から、家族内で感染が広がったことが示唆されたのである。

――それでは、このマラッカウイルスはどこからきたのか?

ここには、アメリカの狂犬病ウイルスのような証拠はない。しかし、最初に発症した男性は、発症のおよそ1週間前に、自宅のリビングにコウモリが飛び込んできた、ということを記憶していた。

このコウモリの調査がなされていないので直接的な証拠はないが、この連載でも何度か登場した「分子系統学(87話156話など)」という研究方法で調べてみると、ここで新たに見つかったマラッカウイルスの遺伝子は、過去にマレーシアやオーストラリアのコウモリから見つかっていたウイルスの遺伝子に似ていることがわかった。

このことからおそらく、マラッカウイルスは、自宅のリビングに飛び込んできたコウモリからもたらされたものだろう、と推理されたのである。

なお、この事例以降、マラッカウイルスの感染例はひとつも報告されていない。この事例がスーパーレアなケースをたまたま捕捉しただけだった可能性もある。しかし、マレーシアやインドネシアなどの国々では、原因不明の発熱患者から、新たなレオウイルスをはじめ、それまで知られていなかったウイルスがしばしば見つかっているのだ。

この事実は、これらの国々では、「人間と野生動物の境界(human-animal interface)」の「窓」は私たちが想像する以上に開かれていて、いろいろなウイルスが絶えず人間社会への侵入を試み続けていることを暗に示すものであるとも言える。

【「スピルオーバー」の決め手?】

ところで、野生動物から人間社会への「窓」をすり抜けただけで、そのウイルスがヒトの病原体になれるわけではない。そのウイルスは、新しい宿主のからだの中で、しかも適切な組織で増える必要がある。

上述のマラッカウイルスは、分類学的には、新種の「レオウイルス」の仲間として見つかった。

ヒトに病気を起こし、ヒトの病原体として定着しているレオウイルスの仲間のひとつに「ロタウイルス」が知られている。ロタウイルスは、腸で増えて、下痢のような腸疾患を引き起こす。しかし、コウモリからスピルオーバーしたレオウイルスの一種であるマラッカウイルスは、ヒトに急性の呼吸器症状を引き起こした。

このふたつのレオウイルス、マラッカウイルスとロタウイルスのように、同じ仲間のウイルスであっても、ウイルスの種類、あるいはその宿主によって、ウイルスがからだの中で増える「組織」が違う例はいくつかある。

私にとっていちばん馴染みがあるのが、やはりコロナウイルスである。新型コロナウイルスを始め、SARSコロナウイルスやMERSコロナウイルス、果ては風邪コロナも含めて、ヒトのコロナウイルスはすべて、ヒトに呼吸器症状を引き起こす。

しかし、これらの起源と考えられているコウモリのコロナウイルスのほとんどは、コウモリの糞便、あるいは肛門のぬぐい液から見つかっている。このことから、コウモリのコロナウイルスはおそらく、腸で増えていると考えられている。

つまり、コウモリに感染しているコロナウイルスは「腸」で増えることを好んでいる一方で、ヒトに感染するようになったコロナウイルスは「呼吸器」で増えることを好んでいる、ということになる。

それでは、この「組織指向性」は何で決まっているのか? コロナウイルスの好みを「腸」から「呼吸器」に変える決め手は何なのか? きわめて素朴な謎であるのだが、実はまだ、この答えは明らかになっていない。

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  • 佐藤 佳

    佐藤 佳

    さとう・けい

    東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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