「千飛は千飛」――ライバルと恩師に導かれ、伊藤千飛(せんと)が立った"世界"へのスタートライン【前編】

取材・文・写真/会津泰成


2026年4月19日、大阪・東和薬品RACTABドーム・サブアリーナで開催された、プロボクシングWBOアジア・パシフィック・バンタム級王座決定戦。同級2位の伊藤千飛(真正ジム/20歳)は、同級8位のエイドリアン・レラサン(フィリピン)を相手に圧巻のノックアウト勝利で、初タイトルを獲得した。

当て勘に優れた強打のファイターは、「西の新鋭」から全国区へとその名を広げ始めている。そんな伊藤を語るうえで外せない存在が、幼馴染みであり、ライバルでもある坂井優太。そして、共に世界を目指す恩師、山下正人会長だった。

【ポスト井上尚弥世代の代表格】

「自分的には、『もう少しうまくやれたかな』という思いがあります。1ラウンドに、バランスを崩してしまった。それは修正しないといけない。近い距離のボクシングは、もっとレベルアップしないと駄目ですね」

2026年3月24日、東京後楽園ホールーー。勝者の言葉はあまりにも硬かった。

アマチュア7冠を引っ提げ、鳴り物入りで大橋ジム入りした彼は、プロデビュー以来、無傷の7連勝を飾った。にもかかわらず、試合後、彼が口にするのは反省ばかりだった。

彼の名前は、坂井優太。日本バンタム級5位にランキングされる期待のホープだ。坂井はこの日、テンポの良いステップと長い腕のリーチを生かした右ジャブで試合を組み立てた。しかし、被弾を恐れずに強振する相手に手こずる場面も見られ、ポイントは圧倒(79対73/79対73/80対72)したものの、デビュー以来の連続KO勝利は「6」で止まった。

「最初からポイントを奪うことだけに徹すれば、多分、8ラウンドすべて奪えた。でも『倒して勝ちたい』という気持ちがあったし、ボディを効かせられる自信もあった。ムキにはなっていませんが、出だしで急ぎすぎてしまった所は反省点です」

勝った。

しかし、倒せなかった。

初回は相手の左フックを被弾し、一瞬、膝を落とす場面もあった。それでも即座に距離を取り、以降は深追いせず主導権を握った。この日見せた、勝負どころで無理をしない冷静さ。それもまた、坂井優太というボクサーの、強さの理由のひとつだった。

ただし坂井本人の基準は、単に勝つことでも、世界チャンピオンになることだけでもない。「日本ボクシング史上、最高傑作」と評価されるボクサーを日常の基準に置いているからこそ、自己評価は自ずと厳しくなる。

「一発もらったらまずいと思いました。そこは集中してやりました。今日の結果は、経験として繋げられたら良い。でも、尚弥さんだったら倒してますよね」

リングサイドには「尚弥さん」、坂井が日常の基準に置く井上尚弥が見守っていた。


囲み取材後、坂井に個別で話を聞いた。坂井はこの日の試合に向け、減量苦に加えて精神的に悩まされる出来事もあったそうだ。しかし「それも含めて、調整できるのがプロ」と答えた。

高校卒業後に地元関西を離れ、複数のジムから誘いがある中で大橋ジムを選んだ理由は、憧れの井上尚弥がいたから。高校3年生の時には、井上自身が使用していたボクシンググローブを直接プレゼントされた。グローブは革が擦り切れたいまも使い続けている。その事実が、坂井にとってどれほど大きい存在かを物語っていた。

「千飛について、ですか。上に行けば対戦するかもしれませんが、いまは、あまり意識はしていません」

質問への答えに淀みはなかった。言葉は明瞭で、リング上で見せる冷静沈着な戦いぶりとも重なった。ただ本当に、幼馴染の存在は意識していないのか。それとも、あえて言葉にしないだけなのか。いずれにせよ、坂井は、その感情を表には出さない。

一方、千飛は違った。ライバルについて聞かれると、感情を隠そうとはせず打ち明けた。

「優太のことは、常に意識しています。中学2年生のスパーリング大会では自分が勝ちましたけど、高校ではだいぶ差をつけられてしまった。『プロでは絶対負けない、必ずやり返してやる』と決めています」

プロ入り後は、プライベートで会うことも、連絡を取り合うこともない。それでも、常に意識する存在だった。そしてもうひとつ、伊藤には、自身の心に誓っていることがあった。

次に再会する時は、お互い世界チャンピオンとして、リングの上で――と。


4月19日、伊藤は大阪・東和薬品RACTABドーム・サブアリーナで、WBOアジア・パシフィック、バンタム級王座をかけてリングに上がった。勝てば初タイトル奪取。さらに、念願の世界ランキング入りも見える一戦だ。

試合前の控え室ーー。

地元関西に残ると決めた際、自ら門を叩いて入門した真正ジム会長、山下正人の構えたミットに、伊藤は渾身の力を込めてパンチを打ち込んだ。

山下はジムの会長であると同時に、かつて長谷川穂積と共に戦い、世界三階級制覇を達成したトレーナーでもある。「千飛は自分が直接ミットを構えて指導できる最後の弟子」と山下。"坂井優太"というライバルが、闘争心に火をつける存在ならば、"山下正人"という恩師は、伊藤にとって、闘争心を己の力に変えてくれる存在だった。

伊藤の入場曲、Hump Backの「拝啓、少年よ」が、控え室まで聴こえてきた。

「今日は、千飛ひとりで戦うのやない。みなで力を合わせて、チームワークで戦うぞ」

山下の号令に気合いを入れ直すセコンド、スタッフ、そして伊藤。

初のタイトル獲得に向けて、伊藤はリングへと向かった。

※【後編】の記事は5/1(金)13時に配信予定です。


●伊藤千飛(いとう・せんと) 
2005年6月25日生まれ、20歳。兵庫県伊丹市出身。元プロキックボクサーの父親の影響で4歳からキックボクシングを始め、ジュニア日本王者に。同時にボクシングにも取り組む。興国高校進学後、ボクシングに専念し、選抜2冠、アジアユース&ジュニア選手権銅メダル獲得。2024年4月20日に真正ジムからプロデビュー。今年4月19日、WBOアジアパシフィックバンタム級王座決定戦に勝利し初タイトル獲得。通算戦績6戦6勝5KO。

  • 会津泰成

    会津泰成

    あいず・やすなり

    1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。

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