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英チャールズ国王(左)とアーガー・ハーン5世(右)。代々、英王室から「殿下」の尊称を与えられ、国家元首クラスの礼遇を受ける
先日の米イラン交渉の影の立役者として急浮上したある男。南アジアを中心に1500万人の信徒を持ち、各地で慈善事業に励む大富豪。そして、かつて十字軍を震撼させた"暗殺教団"の直系指導者でもある......。
富とカリスマ、そして1000年の秘密を背負う謎多きキーマンの正体とは!?
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米国とイランが、戦闘終結を巡る重要な局面を迎えようとしている。この起点となったのが今年4月、パキスタンのイスラマバードで行なわれた両国代表団の協議だ。直接対面は1979年以来で、21時間以上に及ぶ議論は、ここに至るまでの停戦延長や核交渉継続の暫定合意への土台を築いた。
実はこの会場「セレナホテル」を提供したとして浮上したのがアーガー・ハーン5世(54歳)という人物。世界で約1500万人の信徒からの献金を財源に、慈善事業を展開する謎の大富豪―。彼はいったい何者なのか。
イラン研究家のアリー有山氏によると、その影響力の強さから「欧米では侯爵家やロックフェラーに類似した財閥のような扱い」だという。
競馬界でも屈指の馬主一族だが、日本では所有馬カランダガンが知られるのみで、素性を知る者はほぼいない。
だが、彼が率いる教団にはもうひとつの顔がある。大ヒットゲーム『アサシン クリード』に出てくる「暗殺教団」......そのモデルこそ、この組織なのだ。中世の西洋で恐れられたこの集団が、なぜ現代外交の舞台裏にいるのか?
今年4月、米イラン代表団による協議の舞台としてアーガー・ハーンが提供したとされるパキスタンの「セレナホテル」
「アーガー・ハーン」はイスラム教シーア派の一派、イスマーイール派ニザール派の最高指導者が代々継ぐ称号だ。
起源は11世紀、当時エジプトを中心に栄えたイスラム王朝・ファーティマ朝内の政争にさかのぼり、後にペルシャの山岳要塞(ようさい)アラムートを拠点として暗殺活動を行なったことで有名になった。
現在の指導者である5世はスイス生まれ。2025年に88歳で逝去した4世から指導者の座を引き継ぎ、ポルトガルのリスボンを拠点に活動している。
信仰の中心地は中東・中央アジア・南アジアに広がるが、指導者一族自身はヨーロッパを拠点に世界各地でホテル、銀行、大学、病院を展開するアーガー・ハーン財団を築き、イギリス王室やフランス上流社会とも深い縁を結ぶ。
通説では教団員が大麻(ハシシ)での恍惚(こうこつ)状態で暗殺に臨んだことから「ハシシ派」と呼ばれ、それが「アサシン(暗殺者)」の語源になったとされる。
だが、同派に詳しい筑波大学助教・平野貴大(たかひろ)氏はこう指摘する。
「ハシシは敵対派による中傷的な蔑称で、十字軍を経てヨーロッパに伝わる中で、"大麻常用者による暗殺集団"というイメージが後づけされたのが実情に近い。
暗殺活動もアラムートの山奥にいた数十年だけですが、それが誇張され1000年近くたった今も代名詞になってしまっているのです」
実際に11~12世紀、セルジューク朝の宰相を仕留めるなど政治的テロ組織として機能した側面はある。
しかし、1256年、モンゴル軍に拠点を破壊され指導者が処刑されると、約600年に わたり表舞台から姿を消す。
では、潜伏期に何をしていたのか。彼らはイスラム教神秘主義(スーフィー)の集団に紛れ込んで命脈を保った。表向きはスーフィーを装いながら、修行の段階が上がるにつれて少しずつ本当の教義を明かすということを数百年にわたって続けたのだ。なぜそれが可能だったのか?
「階層的な組織構造と指導者への絶対服従という概念が、スンナ派の神秘主義教団と共通していたからです。そのため、段階的に教義を開示していくプロセスを踏むことで、自分たちの真の信仰を隠しながら保持することができたのです」(平野氏)
その潜伏の果てに19世紀、後のアーガー・ハーン1世ことハサン・アリー・シャーがカージャール朝の総督にまでなり、ここで「アーガー・ハーン(高貴なる者の意)」の称号を得ている。
だが、乱を起こして国外追放となり、1841年にペルシャを離れインドへと活動の場を移す。ここで「大金持ちのムスリムリーダー」としての地位を固め、西洋社会に進出する足場を築く。
アーガー・ハーン財団は世界各地で遺跡修復を手がけるなど文化的影響力もある。写真は財団が復元したインドの歴史的建造物
信徒は収入の10分の1を上納する義務があり、うち200万人が南アジアに集中する。その多くが商売で財を成してきたインドの商人カースト「ローハナー」からの改宗者だ。
仕組みは新宗教の上納システムに似るが、教団はその資金を公共インフラに還元した。パキスタンにあるアーガー・ハーン病院は南アジア屈指の水準を誇り、キルギスには完全英語教育の大学も展開する。
「少数派ゆえに団結し、商人カーストの経済力もあった。さらにアーガー・ハーン3世が女性教育を強く推進したことで、全体の教育水準が周囲のスンナ派より高く引き上げられました」(有山氏)
生活水準が上がれば忠誠心も高まり、再び上納金が入る循環が生まれた。パキスタン北部では政府より教団の影響力が強い地域もあり、軍なき組織が国家機能を事実上担う。
エジプトの歴史的建造物保全や、内戦後のシリアへの数億ドル規模の巨額支援、さらにカナダには専用の博物館などを構え、東アフリカ諸国でも開発事業を展開するなど、その足跡は世界中に及ぶ。
また、3世が競馬界へ参入したことで、イギリス王室御用達の馬主としての地位も確固たるものにした。
「宗教的カリスマと社会的威信を見事に融合させたわけです」(平野氏)
世界屈指の馬主でもあるアーガー・ハーン一族。フランスの名門レース「ジャックルマロワ賞」のスポンサーも務めている
一方で実態の多くはいまだ謎に包まれている。
「上納システムの詳細は公開されず、礼拝施設は信徒しか入れない。研究者が知るのも、彼らが意図的に開示した情報だけです」(平野氏)
有山氏も、その信仰は仏教でいえば密教に近いと言う。
「教義の一部を秘匿してきたのは、多数派であるスンナ派から『異端』として排斥されるのを恐れたためです。
実際、パキスタンの信徒は否定しますが、シリアの信徒の一部には輪廻転生(りんねてんせい)を信じる層もいます。ただ、コーランでそれを裏づける記述は極めて限定的。不用意に公言すれば激しい批判を招きかねないため、角が立つようなことは避けてきたのです」(有山氏)
その上、彼らが行なう礼拝は他派のものとは異なる。
「イスラム教徒としての一般的な五行礼拝ではなく、独自のドゥアーという儀式をやっている。信徒のみが知る秘密というわけです」(平野氏)
礼拝というイスラム教における中核的実践の形が、一般とは大きく異なる集団をどう位置づけるか、研究者の間でもまだその答えが出ていないという。
歴代のアーガー・ハーン一族も、なかなかの個性派ぞろいだ。
3世の息子であるアーリー・ハーンは後を継ぐことを頑として拒否した。アーリーはフランス軍の外国人部隊に入ったり、女性スキャンダルを繰り返したりと、典型的なアラブ王族的生き方を避け続けていた人物だった。
そのため、やむなく3世から孫の4世へと直接継承が行なわれた。なお、アーリーは後に事故死している。
その4世も米ハーバード大学でイスラム歴史学を修め、プロのスキーヤーでもあった。日本では馬主として名が知られているが、その生活ぶりは破天荒で、離婚に女性問題、パリでジョギング中にホームレスともめて記事にされそうになり、金でもみ消そうとしたというまことしやかな噂も残る。
競馬場を歩く先代アーガー・ハーン4世(右)と娘(左)。4世はスキーヤーであり、イラン代表として五輪に出たこともある
4世は当時のレーガン米大統領とソ連のゴルバチョフ書記長のジュネーブ会談に、自らの別荘を提供したことでも知られる。欧米上流階級のグローバルな観念を体現するようなあり方と言えよう。
しかし、中東での迫害は現在も続く。アフガニスタンの一部ではタリバンによる弾圧が行なわれている。
「私がイラン滞在中、イスマーイール派の集落だけ開発が遅れていました。アーガー・ハーン自身もイランの保守強硬派とはほぼ接触がないようです」(有山氏)
この「欧米の上流社会にいながら、中東では迫害される側」という矛盾した立ち位置が、米イラン交渉で機能する。シーア派としてイランの信頼を得つつ、欧米やパキスタンとも深い関係を持つ。どの陣営にも染まっていないからこそ、独自の交渉ルートが生まれるのだ。
平野氏は、アーガー・ハーンが国際政治の舞台裏で果たす機能についてこう分析する。
「大きな影響力を持ちながらも軍事力を持たない。故にできるのは場の提供や仲介に限られますが、同時に紛争の当事者双方から中立的な存在として信頼される。その非対称な立ち位置こそが彼らの限界でありながら、強みでもあるのです」
公開情報は選別され、財務実態の検証もない。1000年前に「暗殺教団」の烙印(らくいん)を押されて以来、実態が正しく伝わったことはほぼない。平野氏も、「彼らについてわかっているのはまだまだ1000分の1くらい」と言う。
世界最大級の秘密教団でありながら、時に和平に一役買って出るアーガー・ハーン。米イラン交渉の行き先がなお流動的な中、今後も目の離せないキーマンとなりそうだ。