「飛鳥・藤原の宮都」世界遺産登録で、"御墳印(ごふんいん)"ブームがやってくる!!

取材・文・写真/村上隆保

「飛鳥・藤原の宮都」の世界遺産登録が決まった! 飛鳥時代は古墳時代と違った多くの古墳が造られている。そこで、数々の古墳を巡りながら〝御墳印〟を集めることが、ちょっとしたブームになっているというのだ。時代を超えた歴史ロマンの旅が今、始まろうとしている。

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【3つの場所を巡れば、古墳の終焉がわかる!】

「飛鳥・藤原の宮都」(奈良県)がユネスコの世界文化遺産に登録された。

ここにあるのは、飛鳥時代(6世紀末~8世紀初頭)の遺跡群で、〝日本で初めて天皇を中心とした中央集権国家が生まれた場所〟だ。

飛鳥・藤原の宮都は19の遺跡で構成されているが、よく知られているのは、壁画が特徴的で歴史の教科書にも出てくる「高松塚古墳」や「キトラ古墳」だろう。

しかし、ほかにも「牽牛子塚古墳」や「天武・持統天皇陵古墳」「中尾山古墳」「石舞台古墳」などの貴重な古墳がある。今回、世界遺産に登録されたことで、これらの古墳も注目を浴びている。

では、高松塚やキトラも含めて、それぞれどんな古墳なのか。どのように古墳を楽しめばいいのか、明日香村教育委員会文化財課の西光慎治氏に教えてもらった。

西光 まず、古墳の形を見てほしいんです。飛鳥時代以前のヤマト王権の時代(3世紀後半~7世紀半ば)は、日本各地の豪族が集まった連合国家でした。そのため各地の有力な豪族が亡くなると、ヤマト王権のメンバーの一員として前方後円墳を造っていたんです。

しかし、飛鳥時代になると天皇を頂点とした国造りが始まります。すると、これまでのようなヤマト王権の豪族に許されていた前方後円墳は廃止され、天皇は八角形に、その次の位の人は方墳(四角形)、次が円墳と、古墳の形が序列化されていきます。これは天皇を頂点に国を統治していることを視覚化させるためです。

天皇の古墳が八角形なのは、「八」という数字が権威の象徴とされていて、東西南北と北西、北東、南西、南東の四方八方を統治しているという意味です。

ですから、まず、その古墳がどんな形なのかを知ってほしい。そして、今回の世界遺産登録は「天皇を中心とした国造り」(日本国の誕生)が評価されたわけですから、まずは天皇の陵(墓所)である八角形の古墳から巡ってほしいんです。

牽牛子塚古墳 八角形の3段の墳墓で、対辺長(向かい合う辺と辺の間隔)が約22m。7世紀後半に造られており、斉明天皇陵とする説が有力牽牛子塚古墳 八角形の3段の墳墓で、対辺長(向かい合う辺と辺の間隔)が約22m。7世紀後半に造られており、斉明天皇陵とする説が有力

御墳印は「飛鳥びとの館」で購入可御墳印は「飛鳥びとの館」で購入可

――牽牛子塚古墳は八角形の古墳ですよね。

西光 牽牛子塚古墳は真っ白な凝灰岩によって造られた八角形のピラミッド型の古墳で、日本で唯一、2度天皇になった女帝・斉明天皇の陵である可能性が非常に高いといわれています。

災害などで崩れてしまった部分もあるので、現在は整備したものになりますが、飛鳥時代に真っ白に輝く八角形の古墳を見た人々は、これまでとは違う日本という新しい国が形づくられていることを感じたのではないでしょうか。

天武・持統天皇陵古墳 天武天皇と持統天皇が合葬されている。宮内庁が管理しているため直接見ることはできないが、陵墓は八角形をしている天武・持統天皇陵古墳 天武天皇と持統天皇が合葬されている。宮内庁が管理しているため直接見ることはできないが、陵墓は八角形をしている

御墳印は「飛鳥びとの館」で購入可御墳印は「飛鳥びとの館」で購入可

――天武・持統天皇陵古墳も八角形の古墳ですよね。天武天皇は、斉明天皇の息子だといわれていますが......。

西光 現在、宮内庁が管理しているので古墳の中には入れないんですが、古墳の北側に回れば、墳丘の一部が見えます。牽牛子塚古墳と同じように石でできた八角形のピラミッド型をしています。

天武天皇と持統天皇はご夫婦で、持統天皇は死後に天武天皇と合葬されています。ただ、それより重要なのは、持統天皇は初めて火葬された天皇だということです。

古墳時代の400年間、各地の権力者たちは古墳を造ってきました。それを飛鳥時代になって急にやめようとしても、なかなかうまくいきません。その究極の手段が火葬だったんです。

古墳というのは、肉体を安置することで、亡くなった人の永続性を示す意味があります。だから、火葬して「骨」になったら古墳に入れる意味がなくなります。そのため、持統天皇の「骨」は壺に入れられて、天武天皇との合葬を可能にしました。

天皇自らが火葬されることで古墳造りにピリオドを打つ。伝統的な古墳は、天武・持統天皇陵古墳が最後だと思います。ですから、とても重要な古墳なんです。

中尾山古墳 八角形の墳墓で、対辺長は約30m。8世紀初頭に造られており、文武天皇陵とする説が有力中尾山古墳 八角形の墳墓で、対辺長は約30m。8世紀初頭に造られており、文武天皇陵とする説が有力

御墳印は「高松塚壁画館」で購入可御墳印は「高松塚壁画館」で購入可

――文武天皇(天武天皇の孫)のお墓だといわれている中尾山古墳も八角形ですよね。

西光 でも、中尾山古墳は古墳というより墳墓、お墓なんです。牽牛子塚古墳や天武・持統天皇陵古墳のような切り石造りではありません。

同じ八角形をしていても、造られた年代で少しずつ意味が違ってきます。この3つの古墳を見ると、日本という国がつくられてきた歴史がわかるのです。

701年に大宝律令が制定されたときの天皇は文武天皇でした。『続日本紀』に「文物の儀、ここに備われり」と書かれていますが、このときに日本国が誕生したんです。

ということは、これまでの伝統的な古墳造りの終焉を意味しています。

石舞台古墳 四角い方墳で、1辺は約50m。現在は巨大な石を積み上げた横穴式石室がむき出しになっている。蘇我馬子の墓とする説が有力石舞台古墳 四角い方墳で、1辺は約50m。現在は巨大な石を積み上げた横穴式石室がむき出しになっている。蘇我馬子の墓とする説が有力

御墳印は「石舞台古墳受付」で購入可御墳印は「石舞台古墳受付」で購入可

――巨大な石で造られている石舞台古墳は四角い方墳です。

西光 前方後円墳を廃止したときに、これまで前方後円墳に入っていた立場の人たちを埋葬するのに四角形が使われました。

石舞台古墳も昔は四角く土で覆われていましたが、今は石室がむき出しになってしまっています。

ここは仏教を広め、「冠位十二階制度」や「十七条憲法」の制定などに携わった蘇我馬子のお墓だといわれています。石舞台の石室は天皇が入っていてもおかしくないくらい立派なものですので、当時、蘇我氏はそれだけの権力を持っていたということになります。

高松塚古墳 直径約23mの2段式の円墳。石室内に人物群像や古い星座、四神などの壁画が描かれている高松塚古墳 直径約23mの2段式の円墳。石室内に人物群像や古い星座、四神などの壁画が描かれている

御墳印は「高松塚壁画館」で購入可御墳印は「高松塚壁画館」で購入可

――そうなると高松塚古墳やキトラ古墳は円墳なので、それよりも下位の人のお墓ということになりますよね。あれだけきれいな壁画が描かれているのに、なんだか不思議な感じがします。

西光 飛鳥にはたくさんの古墳がありますが、壁画が描かれているのは高松塚古墳とキトラ古墳だけです。古墳の形、外観は政治的なモニュメントですから、社会的な立場によってはっきりと決まっています。

一方で、石室の中などの埋葬施設は葬儀のときなどにしか見られません。ですから、埋葬者の出自などに関わる伝統的な形が表れていることが多いんです。

そして、石室に壁画が描かれているということは、中国や朝鮮半島に出自を持つ人が埋葬されている可能性があります。というのも、中国の皇帝陵や朝鮮半島の王陵には、壁画が描かれていることが多いからです。

一方で、日本の伝統的な古墳造りには、絵を描くということがありません。牽牛子塚古墳や天武・持統天皇陵古墳などの天皇陵とされる古墳には壁画はないんです。

それに、キトラ古墳の周辺には、朝鮮半島によくある床暖房のオンドル式の建物跡も見つかっています。そういうことを考えると、中国や朝鮮半島から日本に渡ってきて、日本で生活する中で社会的な立場を得た人や、亡命王族などだったということも考えられます。

キトラ古墳 直径約14mの2段式の円墳。石室内には四神、十二支像、天文図などの壁画が描かれているキトラ古墳 直径約14mの2段式の円墳。石室内には四神、十二支像、天文図などの壁画が描かれている

御墳印は「四神の館売店」で購入可御墳印は「四神の館売店」で購入可

――事前にいろいろなことを知ってから飛鳥・藤原の宮都にある古墳を巡ると、面白さが違ってきますね。ほかにも楽しみ方はありますか?

西光 少し前は古墳のスタンプを集めるのがはやっていたんですけど、今は〝御墳印〟がめちゃめちゃ人気があります。寺社などで御朱印をいただくのがすごくブームになっていると思いますが、その古墳版です。今回、お話しさせていただいた古墳には全部、御墳印がありますので、ぜひ集めていただきたいです。

【御墳印集めは若い女性が多い!?】

飛鳥・藤原の宮都の古墳が話題を呼ぶと、御墳印も注目されることになるだろう。ところで、これはいつ頃できたものだろうか。

御墳印を初めて作ったといわれている、愛知県名古屋市にある「体感!しだみ古墳群ミュージアム」の金岡太一副館長に聞いた。

「御墳印は前館長の松田致也子が考案者です。寺社でいただける御朱印やお城を訪れたときにもらえる『御城印』などをヒントにして、尾張三大古墳(白鳥塚、断夫山〈共に名古屋市〉、青塚〈犬山市〉)の御墳印を作りました。

古墳と寺社は歴史的に深いつながりがあります。昔の古墳の上に寺社が立っていることも多い。そのため、御朱印を集めている方が古墳や御墳印に興味を持たれるんだと思います。

実際に御墳印を買われる方は、御朱印を集めているような若い女性の方も多く、少しずつ人気になっていると思います」

体感!しだみ古墳群ミュージアムから始まった御墳印が今、全国に広がっている。そして、若い女性たちが集め始めているというのだ。

古墳をカジュアルに楽しむ活動を行なっている「古墳にコーフン協会」のまりこふん会長も今、御墳印は人気だと言う。

「2023年に埼玉県の行田市と近隣5市1町(熊谷市、羽生市、東松山市、深谷市、久喜市、吉見町)が連携して、御墳印の販売を始めた頃から盛り上がってきました。

寺社の御朱印よりも御墳印のほうが入りやすいというか、カジュアルな感覚で集めている人が多いと思います。

古墳巡りをすることを〝墳活〟と言いますが、近年は墳活をする女性も増え、多くがひとりで古墳を回っています。

すると、時々、同じ古墳で出会ったりするんです。古墳巡りをしている人は珍しいし、同じ趣味ということもあって、『どちらから来たんですか?』『あの古墳には行きました?』などと話をすることも多い。それで仲良くなって、帰りに一緒にごはんを食べたりすることもあります。

今だったら、やっぱり飛鳥・藤原の宮都の古墳が人気なので、古墳に行って御墳印をもらう人は多くなるんじゃないでしょうか」

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牽牛子塚古墳や天武・持統天皇陵古墳などの最寄り駅は近鉄吉野線の「飛鳥駅」だ。

駅前のレンタルサイクルショップで原付バイクを借り、10分ほど走ると牽牛子塚古墳のある丘に着く。近くにバイクを置いて長い階段を上ると見えてくるのは、白い石で造られたピラミッドのような古墳。

「こんなものが約1400年前に造られたのか」と驚きを隠せない。

駅前に戻り、飛鳥総合案内所「飛鳥びとの館」で御墳印を買った。

そして、次々に古墳を回り御墳印を集める。

飛鳥時代の人々の心に少しだけ触れた気がした。

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