【独占インタビュー】サッカー日本代表・板倉 滉が語る森保監督との絆「森保さんとはおよそ8年の付き合い。監督と選手がこれほど長く一緒につながる代表チームは世界的にも少ないはず」

構成・文/高橋史門 撮影/熊谷 貫 写真/アフロ

板倉 滉 1997年1月27日生まれ、神奈川県出身。DF。川崎Fで育ち、2019年1月、レンタルで蘭1部フローニンゲンへ移り、20-21年シーズンに年間最優秀選手賞を受賞。21-22年シーズンからは独2部シャルケ、22年から独1部ボルシアMGでプレー。25年には蘭1部アヤックスへ移籍。日本代表でもDFおよびMFとして長らく活躍板倉 滉 1997年1月27日生まれ、神奈川県出身。DF。川崎Fで育ち、2019年1月、レンタルで蘭1部フローニンゲンへ移り、20-21年シーズンに年間最優秀選手賞を受賞。21-22年シーズンからは独2部シャルケ、22年から独1部ボルシアMGでプレー。25年には蘭1部アヤックスへ移籍。日本代表でもDFおよびMFとして長らく活躍

いよいよ始まった北中米W杯。2022年カタール大会に続く出場となった板倉 滉は森保ジャパンに対して、何を思い、何を目指すのか――。

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【腰のケガと向き合う不透明な日々を越え】

「W杯って、やっぱりW杯なんですよ。勝つことの難しさをあらためて味わう大会でもあるんです。あのときの悔しさは忘れたくても忘れられない。借りを返すためにこの北中米W杯に向けてずっとやってきました。ずっと、この4年間を」

前回2022年カタールW杯の決勝トーナメント1回戦・対クロアチア戦は累積警告のため出場できなかった板倉。チームの敗北を観客席でただ見つめるしかなかった。その無念を晴らすべく、2度目のW杯へ出場を果たした。

5月31日、6万人を超える大観衆を集めた国立競技場での親善試合では、アイスランドを相手に左CBとして先発。DF吉田麻也が退いた前半14分から後半28分までは3バックの中央を守り、順調な仕上がりをアピール。本大会へ乗り込んだ。

だが、そこに至るまでの道のりは決して平坦ではなかった。散々メディアからも〝不安視〟された腰のケガ。所属先のAFCアヤックスでもオランダリーグ第20節、1月24日のフォレンダム戦以降、ピッチから遠ざかっていた。

「腰のケガについて、何が難しかったかというと、予測がつかないということ。〝ある程度の予定〟も立てづらい。

例えば、全治3ヵ月の骨折だとしたら、1ヵ月後にはこのくらい回復して、2ヵ月後にはだいたいどのくらいのトレーニングができるといったことはわかるんです。

でも、今回の場合はその都度経過を見つつ、リハビリを試してみるっていう。なんかモヤッとした日々が続いていたんです。焦りというか、しんどいというか。〝これって本当に良くなっていくのかな〟と、不透明な毎日でした」

結局、77日間の休養となってしまった。それでも、板倉はなんとか気持ちを前向きに持っていこうと懸命にリハビリとトレーニングを続けた。

ようやく復帰のめどは立ったものの、ケガ以上につらかったのは出場機会の減少だった。ピッチに立てたのは4月11日、第30節ヘラクレス戦。約2ヵ月半ぶりの戦列復帰だった。しかも本職のCBではないボランチでの先発起用となった。

「腰のケガに対しては、不安がなかったと言えばウソになるけど、なんとかなるだろう、良くなるだろうとコンディションを上げていったわけです。

そうして復帰できたのはいいけど、ずっとベンチを温めることが続いたり、出られても途中からだったり。自分としてはケガよりも、出られないもどかしさのほうがつらかった」

共にアヤックスに所属する板倉(左)と冨安(右)は、W杯での活躍とその後の去就に注目が集まっている共にアヤックスに所属する板倉(左)と冨安(右)は、W杯での活躍とその後の去就に注目が集まっている

そんなモヤモヤを吹き飛ばしてくれたのが、チームメイトであるDF冨安健洋の存在だった。昨年2月に右膝を手術後、長いリハビリ生活が続き、無所属の時期もあった。アヤックスに移籍してからも、今年3月には再びケガに泣かされた。それでも諦めることなくトレーニングを重ねる姿に、板倉はあらためて心を打たれた。

「トミ(冨安)が近くにいたのは、本当に大きかったです。トミは周囲の雑音を気にすることなく、自分が(試合に)出られないのを人のせいにするわけでもなく、ただ毎日ひたすら懸命に練習を重ねていた。ブレずにやっていれば、チャンスは必ず巡ってくるっていうスタンスなんですよ」

板倉と冨安は、10代の頃から世代別代表で一緒に戦ってきた間柄。時を超えてアヤックスでチームメイトになっても、変わらないストイックさを目の当たりにし、発奮させられたという。

そのかいあってか、板倉は徐々に出場機会を増やしていく。5月17日の最終節ヘーレンフェーン戦では右CBとして先発フル出場。5月24日、欧州カンファレンスリーグ出場をかけたプレーオフ決勝では、わずかな時間ながら、冨安の加入後初めてピッチ上で共に戦うこともできた。

日本代表合流後、アイスランド戦では、共にCBとして先発。クリーンシートに貢献した。

「前回のカタールW杯の直前は、靱帯のケガから復帰して、クラブ(当時は独・ボルシアMG所属)で出場が7分程度、代表に合流して大会前最後のテストマッチ・カナダ戦で先発(後半22分までプレー)してそのまま本大会というぶっつけ本番みたいな感じだったので。今回、北中米W杯への流れはそれに比べたら、はるかに良かったですよ」

【森保監督がある日オランダに現れて】

4月、ホームのヨハン・クライフ・アレナでの試合視察に訪れた森保一監督は、板倉と冨安のコンディションについて、クラブ関係者とコンタクトを取った。そのタイミングで板倉はアムステルダム市内のカフェで森保監督と話をする機会があったという。

「3月のイングランド遠征のときはまだ休養中だったので、僕は自宅で試合を観戦していました。監督がわざわざオランダまで来てくださったのはうれしかったですね。『どう、元気でやっているか? 大丈夫か?』って感じで」

板倉が初めて森保監督と出会ったのは18年1月。AFC U-23選手権中国2018に向けたキャンプ初日のことだった。ちょうど、板倉の川崎Fからベガルタ仙台への期限付き移籍が決まった頃だ。

「次、仙台に行くんだってね」

森保監督もまた現役最後の所属先が仙台だった。

そんな森保監督と板倉は要所要所で、一対一の話をするようになる。21年、東京五輪2020の初戦前夜、冨安の左足首のケガで急遽先発を任せるとなったとき、やはり森保監督は板倉の部屋を単身訪れている。

長きにわたって築き上げられた信頼関係、それはアイスランド戦でも、MF遠藤 航が前半終了で交代した後、キャプテンマークを託す(板倉が交代する後半28分まで)という形で表れた。

板倉と森保監督、互いの信頼は厚く、先月末のアイスランド戦以前にも、世代別代表やW杯アジア2次予選などでキャプテンマークを託されている板倉と森保監督、互いの信頼は厚く、先月末のアイスランド戦以前にも、世代別代表やW杯アジア2次予選などでキャプテンマークを託されている

「あうんの呼吸ですよ。選手間はもちろんだけど、森保監督が何をやろうとしているかっていうのはすごくわかる。

いい試合も、悪い試合も、分かち合ってきたんです。メダルまであと一歩だった東京五輪も、ドイツやスペインに勝ったカタールW杯も、僕がPKを献上して敗れてしまったアジア杯も。

常に、森保監督は追究し続けているんです。勝ったときは〝こういう戦い方を忘れちゃいけないよね〟、負けたときは〝これが足りなかったよね〟って。

森保監督が考えていることは、たぶん僕が一番っていうぐらい理解しているはず。僕も似た考え方を持っているから、それに周りも引き込んでいかないとなっていう思いはあります」

オランダとの初戦に続いて戦うのは、チュニジア、スウェーデンという難敵。決勝トーナメントに進めば、さらなる強豪国と対峙することになる。しかし、板倉は自信に満ちた顔でこう断言した。

「僕と森保監督との間にはおよそ8年という積み重ねがあります。それはトミや(MF堂安)律、(FW上田)綺世、(FW小川)航基、(DF伊藤)洋輝とかもそう。

これだけ長い年月を同じ監督、選手が一緒に戦っている代表チームは、世界中探してもほとんどないと思います。だからこそ、連動性は世界でもトップレベルじゃないかと。見ていてください。必ずやってやります!」

●『やるよ、俺は!~サッカー日本代表・板倉 滉の成長哲学~』
著:板倉 滉 
定価:1980円(税込) 集英社 
彼がいかにして世界の舞台に立つまで成長したのか――。板倉 滉による初の著書が好評発売中! 「優勝候補と評されて臨んだアジア杯でのPK献上」「カタールW杯直前の大ケガ」「育成年代での挫折」など、いくつもの失敗を繰り返し、乗り越えてここまで来たと語る板倉 滉。その"成長"の哲学を自身による半生の振り返りと関係者の証言から読み解く一冊。

★不定期連載『板倉 滉のやるよ、俺は!』記事一覧★

  • 板倉 滉

    板倉 滉

    いたくら・こう

    1997年1月27日生まれ、神奈川県出身。日本代表CB。川崎Fでプロ入り、2019年に1シーズン在籍したベガルタ仙台からイングランド1部マンチェスター・Cへ移籍。その後、オランダ1部フローニンゲン、ドイツ2部シャルケを経て、現在はドイツ1部のボルシアMGに在籍。

  • 高橋史門

    高橋史門

    たかはし・しもん

    エディター&ライター。1972年、福島県生まれ。日本大学在学中に、『思想の科学』にてコラムを書きはじめる。卒業後、『Boon』(祥伝社)や『relax』、『POPEYE』(マガジンハウス)などでエディター兼スタイリストとして活動。1990年代のヴィンテージブームを手掛ける。2003年より、『週刊プレイボーイ』や『週刊ヤングジャンプ』のグラビア編集、サッカー専門誌のライターに。現在は、編集記者のかたわら、タレントの育成や俳優の仕事も展開中。主な著作に『松井大輔 D-VISIONS』(集英社)、『井関かおりSTYLE BOOK~5年先まで役立つ着まわし~』(エムオンエンタテインメント※企画・プロデュース)などがある。

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