写真提供:ハワイ大学
前編では、大学受験に失敗した20歳の青年がYouTubeでキックを独学し、7年でハワイ大の全米オールスターに上り詰めるまでを追った。後編では、記録更新の舞台裏と、NFLドラフトを目前に控えた松澤寛政の「今」をお届けする。
【30ヤードは「簡単な距離」のはずだった】
2025年レギュラーシーズン最終戦、ワイオミング大戦。松澤はこの試合で47ヤードのFGを2本決め、シーズンの連続成功を25に伸ばした。1982年以来のFBS(NCAAのトップディビジョン)記録に並ぶ数字だ。
そして26本目。距離は30ヤード。松澤にとっては「決めて当然」の距離である。だが、蹴った瞬間にボールがわずかに右に逸れた。
アメフトに詳しくない方のために補足しておくと、キッカーにとって30ヤードのFGは、野球で言えばイージーなフライのようなもの。まず外さない。それを外した。記録がかかった場面で。松澤は試合後、淡々とこう語った。
「準備が不完全な状態で蹴ってしまって、感触で失敗がすぐにわかりました。技術的な問題ではなく、単にうまくいかなかった」
言い訳をしない。誰かのせいにもしない。こう言い切れるのは、シーズンを通じて自分のプロセスを信じ切っていたからだろう。
写真提供:ハワイ大学
だが、この日一番の驚きはミスの直後に訪れた。スタジアムの観客が全員立ち上がり、拍手を送り始めたのだ。失敗したキッカーへのスタンディングオベーション。
通常、キッカーがミスをすれば、ため息かブーイングが返ってくる。それがこのスポーツの常識だ。ところがハワイのファンは、25本決め続けた男に感謝と敬意を込めて拍手した。松澤はその音を、断片的にしか覚えていないという。松澤はこのときのことを「とてもビューティフルなモーメントでした」と振り返る。
試合はハワイ大が27-24で勝利。最後のホームゲームを終えた松澤に、ティミー・チャンヘッドコーチは日本式のお辞儀をしてから抱きしめた。「彼の文化と価値観へのリスペクトだ」と、チャンは後に語っている。
松澤は、レギュラーシーズン最後に4年生を称える式典であるシニアナイトのセレモニーで、日本から駆けつけた両親とともにフィールドに立った。そしてチームの仲間、ファンから熱烈な祝福を受けた。
【NFLコンバインの舞台へ】
シーズン後、松澤はNFLのIPP(International Player Pathway)プログラムに選出された。海外からNFL入りを目指す選手向けの公式育成ルートだ。2月にはインディアナポリスで開催されたNFLスカウティングコンバインに参加。全32チームのスカウトが見守る中、キックを披露した。日の丸を手にポーズを取る松澤の写真は、アメリカのスポーツメディアでも取り上げられた。
コンバイン後、松澤はカリフォルニアで単独のトレーニングに入った。キッカーという特殊なポジションのため、フロリダでの合同トレーニングではなく個別調整を許されたのだ。そこでキャリアで初めて、キッキング専門のコーチがついた。NFL10シーズン以上の経験を持つ元プロキッカーだ。松澤が20歳の頃からYouTubeで動画を見続けてきた人物だった。
ただし、専門コーチがいるとはいえ、日常は孤独だ。ハワイ大学時代とは何もかもが違う。チームメイトがいない。試合前に肩を叩いてくれる仲間がいない。勝利をロッカールームで分かち合う相手がいない。
朝、ストレングストレーニング。午後、キック練習。合間に食事を作り、掃除をし、皿を洗う。「ストレスは?」と聞くと、松澤は苦笑いした。
「ありますよ。掃除したくないな、皿洗いしたくないなとか(笑)。でもまあ、チームに入ればまた仲間ができるので。それまでの辛抱ですね」
【「キッカーは、結局ハートなんで」】
キッカーという仕事の本質とは何か。松澤に聞くと、答えは明快だった。
「NFLでは3点差、7点差の試合がすごく多い。フィールドゴールで3点入るので、決めれば確実にチームが有利になる。わかりやすいポジションですよね」
わかりやすい。だからこそ残酷でもある。決めれば英雄、外せば戦犯。キッカーには「中間」がない。松澤はそのことを十分に理解している。
「結局ハートなんで。いかにプレッシャーのかかる場面で、いつも通り蹴れるか。そこが全てだと思います」
写真提供:ハワイ大学
186cm、90kg。日本人のキッカーとしては大柄な体格で、今はトレーニングにも余念がない。だが、松澤が重視するのはあくまで精密さだ。面白かったのは、キッカーの身体づくりについてゴルフにたとえたことだ。
「ムキムキのゴルファーが、ボールを遠くに飛ばせるわけじゃないですよね。キッカーも同じで、いかに自分のパワーをボールに伝えるかが大事。筋力だけじゃなく、可動域や柔軟性も。自分の体に合ったメカニックを見つけることが重要なんです」
NFLではこの数年、キッカーの価値が急速に上がっている。成功率、飛距離、契約金額、全ての数字が7年前とは比べものにならない。松澤が「自分の強みは正確性と再現性」と言い切るのは、その変化を理解した上でのことだ。
【両親との電話では、フットボールの話をしない】
NFLドラフトは4月23日。松澤はカリフォルニアでその日を待つ。
ご両親は来るんですか? と聞くと、「航空券が高くて。大きな献金があれば」と笑った。家族の渡米は未定だ。
ただ、両親とは毎日のように電話で会話している。話す内容はフットボールのことではない。
「お笑いの話とか、テレビの話とか。最近だとWBCですかね。僕たちの共通の趣味みたいな話をしています」
7年前にチケットをくれた父。貯金が尽きた電話口で「やりたいことをやりなさい」と言ってくれた母。あの頃と同じように、松澤家は太平洋を挟んで「普通の家族」でいる。フットボールの話題が出ないところが、この家族の距離の近さを物語っている。
写真提供:ハワイ大学
日本人初のNFL選手になるかもしれない。その話を向けると、松澤は少し肩をすくめた。
「キックが良ければ評価してもらえるし、悪ければもう終わり。そういう世界なので。とにかく次の一本を決めることだけ考えています」
7年前、千葉の公園で一人、YouTubeを見ながらボールを蹴っていた青年。彼はいま、カリフォルニアの練習場で一人、同じボールを蹴っている。場所は変わった。レベルも変わった。だが、やっていることの本質は何も変わっていない。次の一本を蹴る。ただそれだけだ。
●松澤寛政(まつざわ・かんせい)
1999年1月8日生まれ、27歳。千葉県出身。幕張総合高校サッカー部でFWとして県ベスト8。大学受験に2度失敗後、渡米先でのNFL観戦をきっかけにキッカーを志す。YouTubeで独学し、ステーキハウスのバイトで渡米資金を貯めて2022年にオハイオ州ホッキングカレッジへ。2023年にハワイ大学編入。2025年シーズン、FG成功率96.2%(レギュラーシーズン25/26)、開幕から25連続成功でFBS記録タイ。ハワイ大学史上初のコンセンサスオールアメリカン。グローザ賞(全米最優秀キッカー)ファイナリスト。愛称は"Tokyo Toe"。NFLのIPPプログラムに選出され、2026年2月のNFLコンバインに参加。4月23日開始のNFLドラフトで指名されれば、日本人初のNFL選手となる。