
西村まさゆき
にしむら・まさゆき
西村まさゆきの記事一覧
鳥取県出身、東京都在住。めずらしい乗り物に乗ったり、地図の気になる場所に行ったり、辞書を集めたりしている。著書に『ぬる絵地図』(エムディエヌコーポレーション)、『押す図鑑 ボタン』(小学館)、『ふしぎな県境』(中公新書)、『そうだったのか!国の名前由来ずかん』(ほるぷ出版)など。
常設展の目玉のひとつ、国宝・敬天寺十層石塔。現在常設展は無料だが、有料化が検討されている
大英博物館を抜き世界3位へ! 今、韓国の博物館に若者が押し寄せる異例の事態が起きている。1年で来館者が72%増という躍進の裏で何が起きていたのか? 伝統文化を巡る驚きの新潮流に迫る。
仏ルーブル、バチカンに次ぐ世界第3位――。イギリスの美術月刊紙『アート・ニュースペーパー』が発表した2025年の世界の美術館・博物館来館者数ランキングで、韓国・ソウルにある韓国国立中央博物館が、大英博物館や米メトロポリタン美術館を上回る約650万人を記録し3位となった。
この数字は前年比72%増で、18年頃には140万人前後まで落ち込んでいた低迷期からの劇的な回復である。
しかも、従来のメイン客層である中高年や外国人観光客だけではなく、国内若年層の増加が著しいという。
一方、日本の東京国立博物館は257万人で23位にとどまる。また現在、日本では国立博物館・美術館に対し、文化庁が自己収入比率の引き上げを求める「収益ノルマ」を定め、未達成の場合は再編の対象になりうるなど厳しい状況が続く。

こうした中、韓国の博物館が見せた躍進の舞台裏に注目が集まっているのだ。
韓国文化に詳しい韓国在住のライター・成川彩氏によると、この1年での大幅な伸びは、昨年、韓国のみならず世界中で大ブレイクした、あるアニメがきっかけだという。
「Netflixが製作・配信した『KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ』(通称ケデハン)です。K-POPアイドルが悪霊と戦うアニメ映画で、日本ではあまり話題にならなかったのですが、昨年6月の配信後、世界中で瞬く間に人気に。わずか3ヵ月で再生数3億2500万回を突破しました。
本作には虎とカササギのキャラクターが登場するのですが、これは朝鮮半島に古くから伝わる民族絵画がもとになっていて、その虎やカササギの絵が描かれたピンバッジなどのミュージアムグッズが飛ぶように売れたのです。
もともと高水準だった24年のグッズの売り上げ213億ウォンが、25年は倍近い413億ウォンになったそうです」
起爆剤となった『KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ』。米ゴールデングローブ賞やグラミー賞など各賞を総なめした
来館者だけでなく、グッズの売り上げもほぼ倍増したわけだが、博物館側の対応も迅速だったという。
「ケデハンの人気に気づいた博物館側が、すかさず『うちには関連したグッズがこれだけある』とプレスリリースを出し、それを見たファンが押し寄せました」
もちろん、ケデハンの爆発的ヒットは、博物館側が仕掛けたものではない。
日韓の社会・文化に詳しい近畿大学国際学部特任講師の河昇彬(ハスンビン)氏も、「作品自体はアメリカ製作で、韓国政府や博物館が関与したわけではない」と、その点については冷静だ。
しかし、成川氏が言及した、博物館側の迅速な動きに見られるように、チャンスを即座にビジネスへ変える嗅覚が、今の韓国の強みでもある。
また、ケデハンのブームが起きるよりも前から、韓国では博物館に若者が増えるような変化が始まっていたと両氏は指摘する。
韓国国立中央博物館の外観。参加者が展示物に仮装する「国中博仮装大会」など、イベントも積極的に開催されている
前述のとおり、韓国国立中央博物館は18年頃までは低迷期が続いていた。河氏が振り返る。
「以前は日本同様、客層は中高年中心で、若者にとって人気の場所ではありませんでした。それが変わったのはコロナ禍前後からです。K-POPを中心に新しい韓流文化とのコラボを博物館が積極的に進めたのです」
象徴的なのがBTS(防弾少年団)である。20年に同館をイベントやロケで使用したことで、ファンの間で聖地化が進んだ。さらに美術に造詣が深いBTSのリーダー・RMがミュージアムグッズとして売られていた半跏思惟(はんかしい)像のミニチュアを購入したことをSNSで発信。その後、BLACKPINKも協業。コラボグッズも発売された。
韓国の国宝・半跏思惟像の展示室「思惟空間」。薄明かりの中、思惟像2体が展示されるぜいたくな空間だ
RMの影響で人気になった思惟像のミニチュア(左)と、同ミニチュアを持つ李在明大統領の写真(右)
こうしたポップカルチャーのトレンドに対し、博物館側が即座に連動できるのは、行政組織の特性もある。韓国では文化財の保護とエンタメ産業の支援が「文化体育観光部」に一元化されており、官民の垣根を越えた迅速な連携体制が構築されているのだ。
実務レベルの組織体制も合理的だ。成川氏が解説する。
「国内にある複数の国立博物館の収益事業や広報は、『国立博物館文化財団』という団体が一括管理しています。資金を効率的に活用することができ、グッズ開発や海外展開にも積極的です」
一括管理のメリットは、予算の分配にも及ぶ。韓国でも、黒字化している国立博物館は実は一部に限られるという。河氏が明かす。
「集客力の高い都市部の博物館を軸に、地方の博物館を一体運営する体制が機能しています。黒字施設の収益を、赤字の地方施設に分配して底上げを図る形です」
当初、〝推し活〟の一環で博物館に来ていた若者たちだが、そこから伝統文化に興味を持つ流れができている。
成川氏は「先述のRMらインフルエンサーの影響もあって、伝統文化をたしなむことがカッコいいという空気が醸成されている」という。
韓国では「ヒップトラディション」なる言葉も生まれた。おしゃれ=「ヒップ」と、伝統=「トラディション」からなる、伝統文化を現代の感覚で楽しむことを指す造語だ。
こういった伝統文化を若者が抵抗なく受け入れられる背景として、河氏は韓流時代劇の存在を挙げる。
韓国では地上波・配信を問わず常に複数の新作時代劇が制作され、若い世代が伝統的な衣装や歴史的意匠に触れる頻度が圧倒的に高い。これが博物館へ足を運ぶ自然な導線になっている。
一方の日本では時代劇は激減。日常のエンタメを通じて歴史に触れる機会は限られている。この日常における歴史との距離感の差が、博物館や文化財に対する心理的ハードルの高低に直結しているという見方もできそうだ。
また、日本の感覚からすると驚くのが、常設展示の「無料公開」と「写真撮影の柔軟さ」だ。河氏が語る。
「韓国では、博物館の展示物はあくまで『教育』の分野。国が教育に関しては採算性を考えないのです。
来年以降、常設展を有料化する案も報じられていますが、仮に有料化されても数百円程度の見込みです」
入館料のハードルがなく、撮影にも寛容。この圧倒的なアクセスの手軽さが、若者との心理的距離を縮め、SNSでの自発的な拡散を生んだ。
ここにも日韓の文化やコンテンツに対する思想の違いがくみ取れると河氏は言う。
「日本は文化やコンテンツを『守る』力が強く働きがちです。それも素晴らしいことですが、韓国はまず『多くの人に広まること』を優先する。
特に博物館の展示品は共有すべき教育資源ですから、拡散されるほうが望ましいという共通意識が国民にある」
伝統文化を「守る」ことに比重を置きがちな日本と、「広める」ために開放する韓国。もちろん、日本における厳格な写真撮影の制限や展示日数の管理は、貴重な文化財を後世に伝えるための保管・保存という重要な役割の裏返しでもある。保存と公開のバランスは一朝一夕には解決しない難しい問題だ。
しかし現在、日本の国立博物館や美術館は、国から自己収入比率の引き上げを求める「収益ノルマ」を突きつけられている。現場が保存と収益の板挟みに遭う中、日本の博物館が再び若者を引きつける場となることは可能なのだろうか。成川氏は言う。
「日本もグッズ開発のセンスやポテンシャルはもともと高いはずです。昨年も奈良国立博物館の『七支刀ペンケース』が話題になったように、面白い試みはすでにあります」
河氏もまた、仕組み作りの重要性をこう指摘する。
「日本は人口規模が大きい分、国全体での熱狂的ブームはつくりにくい。だからこそ、現場に『稼げ』とノルマを課すのではなく、各館が連動してムーブメントを巻き起こせるような仕組みや組織体制が必要です」
日本ではまだハードルの高い「お勉強の場」というイメージが先行しがちな博物館だが、韓国では伝統がポップカルチャーと結びついたことで、「休日に気軽に遊びに行く場所」へと変貌を遂げた。
日本にも埴輪や土偶、仏像や浮世絵など、大衆を引きつけるポップな文化財の素地は十分にそろっている。
厳しい制約の中にあっても文化の本質を見失わず、これらをいかに「社会へ開くもの」に転換していくか。韓国の柔軟なアプローチは示唆に富んでいると言えそうだ。