
榊淳司
榊淳司の記事一覧
住宅ジャーナリスト。1962年京都府生まれ。同志社大学法学部および慶應義塾大学文学部卒業。バブル期以降、マンションの広告制作や販売戦略立案などに20年以上従事したのち、業界の裏側を伝える立場に転身。購入者側の視点に立ちながら日々取材を重ねている。『マンションは日本人を幸せにするか』(集英社新書)など著書多数
しばしば都心マンション市場のベンチマークとみなされる晴海フラッグでも在庫の滞留が指摘されている
昭和の後期、日本には「土地神話」というのが存在した。簡単に言うと、「土地は値下がりしない」から「買っておけば必ず得をする」という話だった。
しかし、そんな迷信は平成大バブル崩壊(1991年頃)によって崩壊した。1990年代は日本中の土地はもちろん、不動産の価格がダラダラと下落して、日本経済の「失われた30年」の始まりを象徴する現象となった。
そして令和の今、東京では「マンション神話」が崩壊しようとしている。神話の始まりは、2013年の3月に日本銀行総裁に就任した黒田東彦(はるひこ)氏が始めた「異次元金融緩和」がきっかけだ。市場にジャブジャブとおカネを供給した上に、金利を日本金融市場で初めてマイナスに持って行くという、文字通り「異次元」な金融緩和であった。
効果は不動産市場にテキメンに現れた。東京の都心や湾岸など、限られた地域でマンション価格が上がり始めたのである。
そこに追い打ちをかけたのが2020年から始まったコロナ禍だ。パンデミックの恐怖に怯(おび)えた各国政府は未曾有(みぞう)の景気対策を打ち出した。日本政府も「GDPの4割に相当」するマネーを市場に注入。例えば、企業には無条件で1社300万円、個人には一人10万円を配った。加えて不況対策の法人融資をユルユルの審査で出しまくった。これが東京のマンション価格高騰に火を注ぐ。
結果、2022年からマンション価格の高騰はにわかに急カーブを描き出す。中でも都心や湾岸エリアのタワマンは、平成大バブル崩壊後の底値から比べると「2~3倍が当たり前」の状態になった。東京湾岸埋立地に所在する「駅徒歩18分」の五輪選手村跡地の新築マンション販売では、申込倍率が数百倍に達する異常事態となった。
9月18日に政策金利を1.25%に引き上げた日銀。今後も利上げペースを加速させるとの観測もある
そんな狂乱に拍車を掛けたのがネットでの「買い煽(あお)り」だ。どこからか沸いてきた「マンクラ」(マンションクラスタ)と称される、マンションの話題に特化したインフルエンサーたちによる「買いましょう」「買えればラッキー」の大合唱により、まさに狂騒状態となった。
しかし、そんな狂った時代はいつまでも続かない。市場はいつの時代も「狂乱→沈静化」というサイクルで循環している。資本主義経済における「景気循環」の原則は、不動産市場においても例外なく適用できる。狂乱時代には「マンション市場に需要と供給の法則は適用できない」などという乱暴な言説が見られたが、今となっては戯言(ざれごと)に近い。
流れが変わり始めたのは、2024年の後半からであった。その年、東京のマンション市場で最も話題になったトピックス物件は「三田ガーデンヒルズ」だった。東京都港区三田に立地する旧逓信省簡易保険局庁舎跡地に計画された全1002戸のマンションで、最寄り駅は地下鉄「麻布十番」駅から徒歩5~9分の表示。決して近くはない。
ハッキリ言って、そんないい場所でもない。最寄り駅の「麻布十番」は港区内でも開業が最後発に属する地下鉄駅。アドレスの「三田」は港区内でのステイタス性が低い。
東京で不動産関連の仕事をしてきた人間なら、この物件を冷めた目で見ていたはずだ。ところが、2024年は狂乱の頂点であった年。「坪単価1200万円」という破格の価格に、多くの人が群がった。そして、翌25年の前半には中古市場で倍以上の値段が付いた。中には坪単価5000万円で取引された住戸もあったという。
だが、狂乱は一瞬で覚めてしまった。同年の夏ごろには停滞感が如実になる。中古市場で売り出された坪単価2000万円の住戸でも動きが鈍る。その頃から、東京の中古マンション市場全体で「停滞」が鮮明に見え始めていた。業界関係者の多くが「バブルの終わり」を意識し始めたのである。
しかし、新築マンションの価格は未だに上昇している。不動産経済研究所が発表した2026年1~6月の東京23区の新築マンションの平均価格は1億4,249万円となった。1億円の予算でも買えなくなってきているのだ。
一方、2026年6月に政策金利が1%になった。当然、住宅ローン金利も上昇。もはや「ゼロ金利」は遠い昔の出来事に思えてきた。
さらに、トランプが始めたイラン戦争で原油価格が高騰。その影響で物価上昇も続いている。光熱費など公共料金のみならず学費や塾費用、各種公共サービスも値上がり基調だ。新築マンションの物件価格、住宅ローン金利、そして各種物価が揃って上がる「トリプル高」状態である。当然、住宅購入に充てる資金の余裕はなくなり、新築マンションも売れなくなっている。
私は東京23区で販売されているほぼすべての新築マンションのオフィシャルページを定期的にチェックしている。それぞれの概要には販売状況を示す「先着順」や「第〇期登録」、そして「販売戸数」が表示されている。それらを時系列でチェックすることで、おおよその販売状況を類推できる。
全般的に販売の停滞が見えてきたのは2024年の後半から。特に都心から離れるにしたがって販売状況の停滞が目立っていた。2026年に入ってからは急激に悪化している様子が伝わってきている。
9月18日、日銀は政策金利を1.25%に引き上げた。日銀は今後も利上げペースを加速していくものと見られる。つまり、市場環境は悪化する一方だ。それは新築マンションの売り手であるデベロッパーも認識しているはず。
一方で、市場では完成在庫が増えている。建物が完成しているにも関わらず、買い手がついていない住戸が増えているのだ。
間もなく年末。そして来年3月は年度末。デベロッパーたちの焦りが募っている様子が窺える。こういう時に彼らが考えることは決まっている。
「値引きしてでもいいから、在庫を捌(さば)け」
私は40年ほど東京とその周辺のマンション市場を眺めてきたが、今まで「値引きの季節」は2度あった。平成バブル崩壊後の1990年代後半と、リーマンショック後の2009年頃。今回もまた「値引きの季節」がやってきそうな成り行きである。年末から年明けにかけて、完成在庫の一定数が「なりふり構わない」値引きによって処分される可能性がある。
新築マンションの値引きは、市場に与えるインパクトが大きい。その流れは中古マンションに波及する可能性が高い。マンション市場はまた「いつか来た道」である「値引きの時代」に突入するのだろうか。